第56話 この世界の理
資料室を後にする。……………… そんな馬鹿な。異常事態に遭遇しているという興奮が一向に覚めやらない。そんな俺の後ろで、安田がドアを閉めた。
「あの先輩ぃ、誰だったかなぁ?」
やっぱあの会話、雰囲気で凌いでたんだ。だと思ったぜ。だから、あんなにもちぐはぐだったんだよな。しかし、安田にも知らない女子がいたことは、これはこれで異常事態。
「へぇ、お前にも知らない女の子がいるんだな」
「まったく、女子は名簿票を暗記してんのによぉ。狐にバカされた気分だぜ」
「名簿票を暗記なんて暇人が。それに、バカは元からだろ」
「うるせぇいわい」
「それより安田これを見ろ」
例の文集、その表の集合写真を見せる。
「んん?」
そうだ安田、気づいたろ。お前は、そんなに馬鹿じゃない。自分で期待してなんだが、それはちょっと怪しいな。
「この子、可愛いな」
「違う、そうじゃない」
そんな話をしたかったんじゃない。俺が期待したのは、いつものじゃない。
「そうじゃなくてだな。……………… いや、そうだ。お前が言ってた子が持ってる写真をよーくみろ」
「ほぅ、遺影の子が好みなのかぁ。もう死んでるのに。通だぜ」
「ちげぇよ。ほら朝、お前もあった詩丘さんに瓜二つだろ。ってか同一人物だ。横に振ってある名前を見ろ、詩丘って書いてあんだろが」
「—————— なにぃ! 確かに、言われてれば、だなぁ! 俺の目に狂いはねぇ。女子をほくろの数と、ポリゴンのエッジを記憶してる、俺が言うんだから、間違いねぇよ」
「おどけて言ってるんだろうが、そこはかとなくキモイな、それ。普段から思ってたたが、暗記科目全滅なのに人の顔を覚えてるのは、どういう理屈だ?」
学校の七不思議、安田が占領してる七つの、その一つ。単細胞生物がいかにして、記憶するかの怪。現代科学で説明が付かない不可解。
「俺ぇ、本来、理系志望だったからなぁ、定員の関係で弾かれたけどよ。文系に興味がねぇから、授業とか覚えられねえよ。つぁ? 人の顔か? 話すと長くなるが、俺の従兄の兄ちゃんが動物園で働いてて、その兄ちゃんが子供の頃、図鑑くれたんだよ、虫の図鑑なぁ。蛾とか、訳わかんないくらい似てて、+αで個体群で。それに比べりゃ、人間なんて楽勝よぉ」
「そうか」
分かるような、分からないような、そんな分からない理屈だったから、表面だけで納得しといた。おしゃべりならこれで事足りる。妥協は人間関係を円滑に進める最重要のテクニック。それだけじゃない、きっと妥協は社会を支えている。そうやって、世界は回ってる。それが俺の言った「そうか」という三文字の正体なのである。
「じゃあ、帰るかぁ」
「おい、駄目だろ」
「—————— ?」
「ん? じゃなくてさ、駄目だからな」
「でも詩丘さん、幽霊だから見つかんねぇよ」
「まだ決まったわけじゃねぇし、他もやることあんだろうが。校内を調べて、物語と照らし合わせる工程が……………… 、って、おいこら、待て!」
引き留めようたってもう遅い。スタコラサッサな背中が、みるみる小さくなっていく。引き留めようたって、もう遅いのだった。
「俺はガチで用事があるんで、また明日なぁ~。ツマグロヨコば~い」
なんだそれ、腹立つな。あと明日は予定はないぞ、馬鹿め。次集まるのは、三日後だ。その事実を叫ぶ。
「おい手前、覚えてろよ! あと、次は明後日だ」
ひえ~、とか言って角に失せる。その悲鳴にうんざりした。俺は手を広げて首を振る。これは心の記号化というやつだ。やれやれ。
「まったく、逃げ足だけは早い野郎だ」
やれやれ、俺は柄でもなく独り言を吐いた。そして、やれやれ、と実際に言うのは、恥ずかしかったので、これ限りにする。あまりにも芝居染みてる。さっきからずっとだ。現実に物語を求めるなんて恥ずかしい。まるで、中二病じゃないか。
……………… こっからは一人か。
取り敢えず校舎の構造を調べねば、山崎に頼まれてるんでな。あそこから攻めてみようとそう思い立ち、誰もいない廊下を眺めると、その床には、いくつも平行四辺形が投影されていた。太陽の光が、窓枠で型抜きされた結果だった。
そのつまらない繰り返しから顔を上げて、ある場所を目指す前進をする。到着まで時間があるんで、歩きながら文芸部の短編集でも読もうかな。ふむふむ、やはり俺たちの映画と似ている。ほう、細部の展開には手を加えられているのか。まず、映像作品に落とし込む努力が垣間見える。へえ、そうか主人公たちはそんな理由で孤立したのな。超常現象がどうの。確かにこのスケール、山崎の技術を持ってしても無理だ。廃止して正解。
ここで、原作は結構、理屈抜きで話が進んでいると気が付く。詩丘さんは、そこをなんとか科学的に解釈しているのか。その結果、行き過ぎた科学は魔法、みたいなファンタジーの曲解に落ち着いたと。ふーん、EMP爆弾を持ち出したのはそれで。もともとは屋上の戸を押し開いて、そこで天使が死んでいる、……………… ははぁ。
そして、登場人物の名前はどこかで聞いたことある名前ばかりだった。えらい和風にされてるが、よくよく読んだら外国人ばかり、流石に
とまぁ、そんな風に歩き読みしながら、ある場所に差し掛かった。言ってた通り足音が良く跳ね返るじゃないか。作中の言葉を借りれば、足音をスカッシュさせる。全てはここから始まったんだ。虚構、嘘の始まり。
「改修前までは屋上解放だったらしいぜ」
懐かしい台詞だ。
そういや、安田と初めて遭遇したのは、屋上への階段だったっけ。奴も屋上を見学してたらしい。入学当時は時代せいか、屋上の扉は封鎖されていた。俺は扉が施錠されていることを認めるなり踵を返す。その先、階段の踊り場に、安田がいる。目がかち合って立ち止まる。声を掛ける。階段で情報を交換し、別方向に歩き出した二人は、それから一年後の春に知り合いになる。
俺は、そんな小回想を終え、斜め上前方を見た。階段の先を、ここから睨むのは、主人公がそうしていたからである。忠実にいこうぜ。
主人公の叙述通り、視線の先、大窓から外界が透けていた。静かな午後の空と、葉桜の構図が、浮世絵的に映える。この国の美はやはり退廃や陰鬱にあるな、なんて詩人ぶってみない。もっと他にするべきことがあるから。それ、検証。
さてと、殺人の隠蔽が行われたなら、鈴谷に会うまでの空白でしかない。解明してやる、そう心に決めて折り返しの踊り場を目指す。その踊り場に着くと、大窓に近づき立ち留まり、壁にもたれながら駐車場がある下界を眺め、考えた。
結局のところ、殺虫スプレー説や山崎仮説が、正解なのかもしれないな。単純に詩丘さんのミス、元ネタは坂田さんだっけ、なら坂田さんのミス。突き詰めると成り立たないことに気づけなかった初歩的な失敗。それらが仮に正解なら、出遅れた俺は負けたんだ。
Question→負け犬のままで、終われるか?
Answer →あいつらは所詮噛ませ犬さ。
理解できるか、ここに来て、この非合理なロジックを。俺には出来ない。だから静かにかぶりを振った。しかしながら、科学じゃない、理屈じゃない、理論じゃない、でも賭けてもいい。このままじゃ、終われない。
踊り場で返すと階段の終わりで、スチールの戸がぎんギラと瞬いた。一段一段、踏みしめる。普段の喧騒が、鳴りを静めているのは気のせいではない。夏休みがそうさせるのだ。
俺は屋上の戸を、右へ引いた。
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