057

 二〇八〇年、五月二十三日。木曜日。


 午後六時ニ十分頃。


 白石由人と椿久美は、進学塾『壺溪塾』水前寺校の隣に位置する、洋食屋『コーエイ』の椅子を陣取っていた。


 コーエイの木曜日はカレーの日。


 いつもなら五百円するカレーが木曜日だけ三百円で食することができるのだ。


 奥のテレビの見えるテーブル席を椿が陣取った。


 唯一持ち歩いていたミニトートを放り投げて、陣取る。


「おばちゃん! もちろんカレーね。二つ」


 Vの字を作って厨房に叫ぶ椿。


 椿が長椅子の方に座ったので僕は単椅子へと腰掛ける。


 先ほど泣きらしていたのは何だったのか。歩いている数分の間に、椿はすっかり元気になっていた。


 コーエイの調理は速い。木曜日はカレーの日と決まっているので僕等が入ってくる頃には準備万端だった。


 すぐさまカレーが二皿運ばれてきた。カレーの上にはトンカツが、食べやすいように一口サイズで刻まれている。


 テレビではテレビタミンが流れている。


「いっただきまーす!」


 と椿がカレーにスプーンを突き刺して食べようとしたその時。


 椿久美のカレー皿が吹き飛んだ。


 店の奥の厨房の方に向かってカレー皿が飛んで行った。


 ダダンっと音がした。


 ギシャンっと皿の割れる音がした。


 危険を瞬間で捉えた椿はまずテーブルを入口方面へとひっくり返す。僕のカレーも入口方面へと吹っ飛ばされることになった。


 椿に引っ張られ机を盾にして身を隠す。その引っ張られる瞬間の、目が回るような引っ張りの間に僕は入り口の方に目をやった。


 入り口にはレーシングスーツを着、オートバイ用とみられるヘルメットを装着した人物が数名立っていた。


 その中でも目を引いたのが、人物の中央に位置していた高身長で散弾銃を構えた姿だった。


 食事前、それ程派手な姿をした集団がコーエイに入ってきていたとは気付きもしなかった。店の中の雰囲気だっていつもと変わらず学生でがやがやとしていただけだった。


 テロか? いや違う僕はここで死ぬはずはないのだ。


 三時間後の午後九時に死ぬと盟約を打たれたからには、その三時間までは必ず生き残ることが保障されている。


 ならば狙いは椿久美、その人だ。


 だったら盾になるべきは机ではない。盾になるべきはこの僕だ──


 椿の手を無理やりにほどき机の前へと勇み出す。


 レーシングスーツの集団も速やかに店内に侵入。僕の周りを取り囲んだ。


「何の真似だ。僕はもう死を受け入れている。椿久美に何があったのか」


 僕は訊く。中央の背の高いレーシングスーツは何も答えない。


「椿久美を殺すな。銃を下ろせ」


「……」


 レーシングスーツの集団は誰一人銃を下ろさない。散弾銃もいれば警察ドラマで見られるようなスタンダードな銃の人物もいる。


「……」


 誰も銃を下ろすことはない。店内の学生たちも厨房にいるおばちゃん達も平然としている。


 誰一人悲鳴を上げるでもない。


 当たり前のように黙っている。


 僕を盾にした沈黙が訪れる。


「……重いな」


「……っ⁈」


 その声は。あや……


 パンッと乾いた音がした。その音が五回続いた。


 高身長のレーシングスーツの身体がぐらりと傾く。


 倒れてヘルメットにひびが入り、かこんかこんとヘルメットが数回跳ねた。倒れた背後に銃口を響かせたレーシングスーツの小柄な人物が立っていた。銃口からはまだ微かに煙が立っていた。


 床に血が溜まる。その血液を吸い取るがごとく豊満な髪の毛を要した倒れた人物──市村綾香は死んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る