052

「こんにちは。先輩」


 渡り廊下の通用口から外へと出ようかとしたとき、村山秀から話しかけられた。


 また話しかけられた。


 唐突に。


 まるで待っていましたとばかりに。


 腕を組んで、通用口の柱に寄り掛かって待っていた。彼はまだ学ランを着ていた。学ランに柱のサビが付くだろうと細かいことを考えて、その第一ボタンを開けた男子に答えてやった。


「サビ付くんじゃねえの。学ランに」


「当たり前のことを言いますね。昔みたいな気障きざなセリフはどこ吹く風とやら。今からコーエイ行くんですよね。今日は五月二十三日木曜日。木曜日はカレーの日、ですからね。行きますよね? 行きますよね?」


「いや、まだ何も全然決めてなかったけど。行くなら通町にでも行って……そうだな、どうせ地球最後だし、久美とワインとか飲み交わそうかなと思ってたんだけど」


「あ、私お酒無理なでーす」靴ひもを結ぶため下を向きながら、一瞬、手を上げて僕の提案にNOノーを突き付ける久美。……靴ひも?


「いや、なんで久美、僕のスニーカー履こうとしてるの?」


「いや、地球最後だしいいかなって」


 ああそうか地球最後だし仕方ないか……ておい。どういう理屈だよそれ。


「え、僕がローファー履くの」「いいじゃんたまには」


「ええとですね」


 僕、白石由人が椿久美とくだらない会話に村山秀は割って入った。


「あの、いいですか。文字数の関係で時間がちょっと足りなくて。物語に関係のない話はまたどこかでやってもらっていいですかね」


 文字数? 物語?


 人生とは限りのある物語とかそういうこと?


 とにかく僕はローファーを履くことにした。ローファーを履くのって手間がまったくらないことを知った。今度からローファーで通学しようかな。もちろん男性用のローファーで。


 何で男性用? そりゃこの女性用の久美のローファーが僕の足のサイズとまったく合わないから。


 待てよ。


WITHウィズさんにお願いってまだできる?」「できますよ」「ならこのローファーのサイズを僕の足のサイズに合わせて貰えるかな」「いいですよ眼を瞑ってください。はいできました」「うわ、いつの間にか履いた状態になってる。気が利くねWITHさん」「そうですね。で、話戻します」村山秀はもう機械のように淡々と答えた。


何処どこに行きますか」村山秀はもう一度聞いてきた。


「どこでもいいよ」僕は適当に答えた。


 はーやれやれ。


 そんな声が後ろから聞こえてきた。


「ディナープランを考えるのって普通男の子の役割じゃないの。てかてかそんなことより」椿は秀を指差して言った。


「なんであんたそこいるの? てかあんた誰?」


「いや、俺の名前は村山秀です。ああ。ん?」


 村山秀は首をかしげた。


 最早業わざとのように見える。


 全てはわざとか。見せかけか。


「指令が来てません? WITHから。今日の夜は『木曜日でカレーの日だから白石由人をコーエイに誘え』って。一向に誘いそうになかったので俺に新たな指令が届いたんですよ『また反抗されると困るから、通用口で白石由人と椿久美をコーエイに誘うよう伝えろ。特に人間である白石由人には必ず伝えろって』」


 予定調和!


 僕らに選択権はない!


 僕は秀に恐る恐る訊いてみた。


「もしかしてWITHさん怒ってる?」「はい。かなり」「僕から提案一ついいですか。あ、コーエイには行くんで」「ダメです」


 ダメです!


 うそやろ⁉ 僕最後の守るべき人間なのに! 今まで散々僕の頼み聞いてきたのに!


 ここにきて本性表したか、WITHさん。


「えー、いいじゃん別に由人は地球最後なんだよ。コーエイ行くって命令も聞くって言ってんのに」と、久美が横から口を挟む。


 その口を挟んだ途端。


 村山秀は、椿久美を睨んだ。


 殺すかのような目線だった。


 死線。寒気。急に。恐怖が伝わってきた。


 それは椿久美に向けたものなのに、その横に居た僕にすら『死』を連想させる圧迫感だった。


 視線の対象となった椿久美はというと。


「お願い! 一個だけお願いをさせて。不都合はないはずだから」と顔の前に手を合わせ、目をつむり村山秀に向かって頭を下げた。


 いつも通りの口調で驚いた。


 いくつもの死線を乗り越えてきたと、FORICOフォリコ食堂で言っていた。それは本当だったのかもしれない。


 多少の恐怖ではびくとしない。


 襲ってくる不安にも相手にしない。


 安定しながら己を突き通す。


 いつも通りの椿久美の姿だった。


「コーエイに行くときに、私と由人とのプライベートモードにして欲しいの。つまり鍵を開けさせてほしいの。由人と私との最後の時間は、誰にも聞かれたくないの。この気持ちは分かってほしいなWITHさん。ずっと願ってたよね。ここで由人がオーケーを出したらプライベートモードに移行したいの」


「強行はしたくないとそういうことですか椿さん」


「平和主義でかつ実存主義なもので」


 へらーと笑いながら久美は言っているのだけど難しい交渉なのか。僕にはよく分からない。


「分かったよね、由人」


「うん分かった。鍵で開ければいいんでしょ」


「知りませんよ。何が起こっても」


「知ってるよ。私はよーく知っている。そしてあなた、村山君だっけ? も、よーく知っている。知らないことはない。だって私たちはWITHさんで繋がっているのだもの。知らないことは何もない。プライベートなこと以外は」


「俺は……あなたのためにここにいるんじゃない」


 急に秀が低い声で怒鳴どなった。


 対象はもちろん椿久美。


 それでもにへら顔を崩さない久美。


 険悪ムード。何で?


 それにこの状況だと、この雰囲気だとまるで椿久美が悪者のような。


 初対面でそんなにりが合わなかったのか。


「……分かりました。俺は先に帰ってます。本当に知りませんよ何があっても」


大丈夫愛情部あいじょうぶ


 村山秀はプラケースだけを持ってその場を去っていった。えらく軽そうな荷物だし、やっぱり気障はお前だよと思いながら、彼の後姿うしろすがたが夕闇にけていくのを見送った。


「じゃあさ、由人」


 久美にそうかされて僕は三度目の鍵を回した。

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