011

 何も喋らないままきっかり十五分後、右回りバスが僕らの前に到着した。


 バスの乗車口がパカッと開いて中からスロープが降りてくる。画面に集中していたが、乗車口の開く音にハッと気付いた久美が先に乗り込む。僕も後ろから付いていく。僕ら二人がバスの通路に差しかる時に、入口のわきにある何かの装置がピカッ、ピカッと緑色あおいろに二回光った。僕らの衣服に組み込んである身分証明のチップに反応したのだろう。正直、僕は普段からバスは使わないのであまり詳しいことは分からない。


 交差点もなく、ほぼ渋滞することもない二〇八〇年現在の立体道路は本当に素晴らしいと思う。本当によくできている。だが、その恩恵の代わりに、道路は一方通行なので、バスはその都市の至る所を経由する。くねくねとした道筋のせいでバスが途方もなく揺れる。バスの運転は機械によるオート作業で行われている。全ての自動車はコンピュータに操作させるよう法律で定められており、機械が全自動で運転するのが当たり前なのだ。機械で正確に運転するためにバス車内の揺れは最小限に抑えられているはずである。はずなのだが、それでも物凄く揺れる。それで酔いに弱い僕は、極力バスに乗車することを避けてきたのだ。  


 しかし、今日は仕方がない。


 一番後ろの、座席が連なる席へ久美は向かった。久美は通路から見て、最も左側の席を一席分空けて座った。久美の横の座席のちょうど中央に位置する席に僕も座った。


 席に着いてちらりと右を見やる。久美はまたディスプレイを開いていた。車酔いが常日頃つねひごろの僕は信じられないものを見た感じがした。


「あの、車の中で文字を見たら酔わない?」


「ん? あーそうか。ゆーくん乗り物に弱いんだもんね。まあ大丈夫だよ。私乗り物酔いには強いはずだし。ていうかゆーくんって大抵の外的要因に対してすっごく弱いよね? 暑かったり寒かったりがすっごく弱いような気がする。運動部なのに」


「いや、このドーム中で育ってきた人だったら誰でもそうだろ。それに僕、結構暑いの好きだぜ?」


 ドームというのはこの世界を囲っている透明ドームのことである。


「あれ? この前の全校集会のときも倒れなかったっけ? そういう場面を結構見たことあるような気がする」


「あの日の体育館は蒸し風呂状態だったからな。それに体育館行く前に廊下で、大っぴらにはしゃいで体温が元々上がってたからだと思うよ」


 突然、ぐわんとバス全体が左に揺れた。僕も久美も右に引っ張られた。


「バスは苦手だな」


 僕は自然しぜん、皮肉に笑いながら呟いた。


「ま、まあ熊大まではすぐ近くだから」


 久美も声が若干震えていた。もしかしたら久美もこのバスの揺れ方は予想外だったのかもしれない。久美もまた、案外そんなにバスに乗ったことが無かったのかもしれない。


 そういえば、久美が今朝作りだした劇的な雰囲気にまれてあえて思い付くこともなかったけれど、どうして自転車にしなかったのだろう?


 まあ、いいか。それよりも僕の中で先行する大きな疑問を訊いてみた。


「なあ、なんで熊大行くんだ? デートって言うからてっきり通町とおりちょう辺りに向かうのかと思ってた」


 通町とは熊本くまもと県最大の繁華街の中央に位置する、市電の駅およびその周辺の名称である。


「なんでだと思う?」


 久美はちょっと笑いながら逆に訊いてきた。


「なんでって。まあ、そもそもデートなんてものは実は目的地はどこでもよくて、問題なのは誰と行くか。また、どちらか一方の目的を果たしに行くようにコースを設定するのがデート中の中弛なかだるみもふせげてベター。この二つの鉄板てっぱん法則に当てはめてみれば、久美が何か熊大に目的を持って向かっている、と僕は思うけど。そうじゃないと熊大で目的なくぶらぶらとしなら、平日の昼間の時間をつぶせるとは到底思えないけど」


「ご・め・い・とー、ゆーくん」


 当たったみたいだ。まあ、目的が無かったらデートコースに大学なんて選ばないだろう。目的があってもデートコースに大学を選ぶ人もそうそういないかもしれないけれど。


「けど、ハズレ」


「え、うそ。ん? ええと、それはつまりその、今僕た……」


 言い終わらずに、今度はぐんとバスが右に曲がる。僕も久美も左にがくんと引っ張られる。


 僕はバスがもたらす遠心力に必死に耐えた。しかし、ここらへんは体育会系と文科系の部活の差だったのだろうか、久美の方は完全に不意を突かれたようで、彼女の左肘ひじのエルボーアタックが、僕の右肘に思いっきり入った。


「つあ。が」


 僕ののどから、変な声が思い切り出た。


「わ、ああわ、ほんとごめん! 不注意でした!」


 あわてて久美がぶつかった僕の二の腕をさすりながら言った。


 僕は擦ってくれた久美の手を、またさすり返しながら話を戻した。


「うん大丈夫。ところで話を戻すけど、目的がないけど大学にデートしに行くってどういうこと? 目的がなかったら、そもそも大学なんて選ばないんじゃないのか」


 少なくとも僕の場合はそうだった。


「あーうん。デートだったらどこでもいいって考える人の逆の考え方かも。いや、なんていうか、今日、五月二十四日、ゆーくんと私が熊本大学工学研究室に辿たどり着けさえすればいいの。ちょっと見せたい物があるの」


「結構、具体的な目的あるじゃん。なんでさっきハズレにしたの?」


「由人がドヤ顔で正論せいろん正解せいかいを言うのが、なんか気に食わなかったから」


「ただのワガママ!」


「でもね、私がちゃんと目的を持って今大学に向かっているかってかれたら、必ずしもそういうわけではないの」


 久美は単純に僕を困らせたいだけではなかったようだ。


「目的はある。だけど理由は無いの」


「……なるほどな」


 つまり、久美は目的をかれ、それに答えた。しかし更にその次に訊かれるであろう理由の方は前もって所持していなかった。その前の段階の目的を持っているかいなかで否定した。物事には必ず理由がある、と考えるのが自然な人にとっては、その応答の仕方にも納得がいく。僕だってそうだから。


 デートの理由なんて彼女には無かった。


「理由は無い。ただ、ゆーとくんをこの時間に大学に送り届けたい。いや、送り届けなければならない。そんな気持ちしか今は無いの」


 今日の久美はこんなのばっかりだ。ぼんやりとしてつかみようがが無かった。


 理由の事は訊かずに久美には違うことを尋ねた。


「その見せたい物って何なんだ? 今、言えることか? 今、言いたくないなら別に、無理して言わなくてもいいけど」


「うーん」彼女は、左手を軽くあごに乗せ、片目をつむり、首をひねる。「なんていうか、自分で言っといてなんだけど、見せたい物、も確かにあるんだけど、ゆーと君に会わせたい人がいるって言うほうがしっくりくるかな。なんかさっきから私が言ってること、ちぐはぐしてるね」


 若干じゃっかん微笑ほほえみ、バツが悪そうにちらっとしたを出す久美。


「会わせたい人って誰?」


「それは──」


 また、がたんっと大きくバスが揺れる。二回の大きな衝撃で学習していた僕は、すでに左前の椅子の手すりに指をけていたし、久美の方も偶然だったとはいえ、僕にひじ打ちを当ててしまった罪悪感からなのか、右手で強すぎるくらい彼女の前の椅子の手すりを握っていて、僕ら二人は大きな衝撃に揺さぶられることなくしっかりと耐えた。


 三度目の揺さぶりに、僕等ぼくらは動じなかった。


 その揺れで少し間が空いた後、彼女はこれから会いに行く人の名前を告げた。


「熊本大学工学部教授、吉良きらたかし博士、だよ」

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