002

 放課後、マエケンのいつも通りの長めで、少々博多弁のきつい終礼が終わった。


「さっさ部活行こうぜ」


 太一はナップサックとエナメルバッグを背負って、僕の机の前に来た。


 速いな。まだ終礼終わって十秒ぐらいしか経ってない。ああ、なるほど、どうやらマエケンの話の途中で準備を済ませていたらしい。太一はとても器用な人間だった。


「ちょい待ちな」


 そう言うと、僕はショルダーバッグに教科書を詰め込む作業を再開する。


 太一たいちは、僕と同じバスケ部に入っている。熊本高校センターの二番手、はま太一たいち。熊本高校ポイントガード三番手の僕より少しばかりランクが高い。


 三年生が抜ければどちらもスタメンに名を連ねることになるだろうし、日常生活でポジションのランク付けが影響を及ぼすほどに、熊本高校バスケ部は規律に厳しいというわけでもない。


 太一は親友だ。二年になってクラスが一緒になる前から仲間だ。


 ショルダーバックに荷物を詰め終わり太一と共に体育館へと向かう。途中、一年のしゅうたちとも合流し、五人でわらわらと廊下を歩いて行った。


 当たり前だけど、人間が活動する範囲は、全てドームの中だ。


 校舎全体が透明のドームで覆われていて、廊下だろうと部室だろうと体育館だろうと同じ湿度、気温で保たれている。だが、練習中は違う。人間の群衆の体温の増加に体育館だけの、ピンポイントの空調設備は追い付かない。こんなとき人間の力を感じる。人の熱を感じる。


 一時間半ほどが経ち、午後六時過ぎで練習が終わった。その後、十分ほど顧問のジンさんの話があり、黙想して挨拶。それらも終わり、部員総出で片づける。部員は大

して多くはないので、後輩に後片付けを押し付けるようなことにはならない。


 僕はボール籠を部室まで転がしていく担当だ。まあ、部室まで運んで行くときにだって健斗(一年)とノリさん(三年)と全身音ゲー(全身にポインタを取りつけ、音に合わせて動かす部位まで正確に求められる、最近流行りの家庭用ゲーム)の話で盛り上がっていた。 


 部室に戻ると制汗剤の匂いが漂う。


 壁に掛っている時計を見やると、時刻は午後六時半を回っていた。


 ああ、ちょっとまずいな。なんて思った。


 だって今日は先週決めた約束の日。


 ここで、太一が大声をあげた。


「二年! 今日飯行くぞ!」


 おそらくは、ゴール片付け係の太一たちの班でもう食事に出る話が出ていたのだろう。


「いいね!」


「どこ行く? コーエイ?」


 なんて、話が次々と出てくる中、


「ああースマン。俺はパス」


 と、僕は発案者であろう太一の方を見て言った。


 一瞬太一は『えっ、こいつノリ悪っ!』って顔したけれど、すぐに何かを悟った顔をして、そのあと目元を垂らせ、口元を緩ませた。


「あ! もしかしてゆーと君、デートですかー?」


 そのもしかしてだった。


 僕は彼女と一緒に帰ることを決めていた。


「出たよノロケ」


「きた、吹奏楽部」


「えっ、吹部じゃなくて軽音じゃね?」


「あれ? そうだっけ?」


「でた、知ったかぶりだ」


「まあ、お幸せに」


「勝手にデートに行ってろ!」


 いつも通り、部室の中では後輩同期先輩を超えて、次々と幸せ者の僕に言いたいことを言ってくる。


 実際は一緒に帰るだけである。


 僕はさっさと荷物を部活用のトートバッグに詰め込み「ではさらば! 失礼!」と言い、靴を持って一目散に部室を飛び出した。


 腕時計を見る。午後六時五十分過ぎ。


 透明なドームの外側では、雨が上がった後によく見られる燃えるような夕焼け空が広がっている。


 何となく、少しでも早く二人で話したい、という思いが先行して、自転車は置いていくことにした。


 早く会いたい。


 約束の時間は特に決めていなかった。お互いに部活が終わり次第、校門の門柱の前で落ち合うことになっていた。


 渡り廊下を走る走る。


 土足廊下にたどり着き、スニーカーに無理やり足を突っ込んで彼女の待つ校門へと向かう。


 夕方、というかもう夜が迫ってきている薄暗がりのなか、校門が近付くにつれて、門柱の前に、後ろに自転車を置いて、僕の彼女が立っているのをぼんやりと視認した。


 僕が相手の顔を認識できないので、恐らくは相手も僕の顔は見えないのだろうけれど、僕は笑顔で右手を挙げてみた。 


 すると、僕の彼女、若干緑ががったセミロングのその人。


 椿つばき久美くみは。


「おおーい!」と、両手をぶんぶん振って僕の合図に答えた。近付いて見ると、彼女もまた満面の笑みだった。

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