葉が落ちる前に

坂本尊花

これは、ありふれた物語。

 私の姉は、癌を患っている。お医者様が言うには「なにも心配はいらない」そうだ。私はそれを聞いてホッとして、たまに姉の好きなクッキーを作って持っていっている。もちろんお見舞いには毎日行っている。

 今日の姉は少し元気だ。タンポポのように温かな笑顔を見ると、安心して涙が出そうになった。


 「最近、学校はどう?」


 優しい微笑みと、いつもの質問。変わらない姉の姿に安心しきってしまい、たくさん話したいことがあったはずなのに結局「いつもどおり、かな」なんて素っ気ないことを今日も言ってしまう。


 「それよりさ、姉さん具合はどう?」


 「私?私は元気だよ〜、むしろ元気すぎて看護師さんに怒られちゃうぐらい!」


 腕を顔の横まで持ってきて「元気!」のポーズをする姉。とても病人とは思えないほど元気らしい。「少しは病人らしくしてよね」って言ってしまうと姉は大笑いし始めた。笑いすぎて涙でてるじゃん、まったくもう。


 「はぁ〜笑った笑った!ささ、クッキー食べよ!」


 「姉さん、そんなはしゃがないの。第一お菓子はお医者様から止められてるんだから……って」


 カバンからクッキーが無くなってる、一方で姉の頬はハムスター並みに膨れていた。ため息、ひとつ。……さて、私も食べよう。


 「あっ、おいしい」


 クッキー作りの腕は、自分の予想以上に上達している。


 ……それから、なんでもないお喋りをして、一時間くらい経った。私はこれから学校なので「午後にまた来る」とだけ言い残して病室を後にする。姉は、やはり笑顔で見送ってくれた。


 最後に「この葉っぱが全部落ちたとき、私の命も……」なんて冗談をふさふさな夏の木に向って言っていたので「だったら接着剤でくっつけときなよ」と返しておいた。顔を膨れさせたあと、満足げに二人で笑った。




___病室から、すすり泣く声を聞いたことがある。その日は学校が半日で終わり、いつもよりも早くお見舞いに行けたんだ。エレベーターに乗り、自動販売機でリンゴジュースを2つ買って、廊下を進んだら、透き通る声がどこかから聞こえた。声の主は、姉だった。

 「ごめん、知ってた。」

 ずっと疑念があった、お菓子が制限されているのにも、姉の話をしたときの両親の反応にも。だから、ごめん。我慢できなくてカルテも盗み見た。それでも信じられなくて、親のメールを勝手に見た。でも、どうしても、何かの間違いだとしか思えなくて、私はずっと笑顔が素敵な姉さんのことだけ信じてきた。信じてきた、私……姉さんに嘘をついていたのかもしれない。___




「午後」。

 病室には誰もいない、姉は医者が駆け付ける前に事切れたようだ。

 私は荷物をまとめた、悲しさを少しでも紛らわせたかったのかもしれない、あるいは姉の息吹を少しでも感じていたかったのかも。

 いつも姉がもたれかかっていた引き出しを開けると、私はどっと泣き出す。半分以上残ったクッキーが、血塗れのタオルに包まれて出てきた。

 「ごめん、姉さん」

 貴方を殺したのは、私なのかもしれない。

 夏の葉が、私に影を落とした。


 その日、屋上の鍵は開いていた。

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葉が落ちる前に 坂本尊花 @mikoto5656

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