04−02 平和な日常(2)



「くっそリドーめ! 次は殺す、絶対殺す!」


 カルラの声が廊下にまで響いていた。事情はわからないけれど荒れている。ザムドと顔を見合わせて苦笑してから、応接室の扉を叩いてみた。でもこの様子ではどうせノックの音など聞こえないだろう、と返事を待たずに開ける。


「うちが思うに、リドーの奴は好き勝手遊んどるだけやで。なんでうちがそんな奴の相手を何回もしたらなあかんのや。旗色が悪くなったらすぐ逃げよるしさあ。はあ……」


 応接室のソファーでは、カルラが組んだ足の上に頬杖をつきながら不貞腐れた顔をしていた。その隣ではジュリアスがカルラに何やら魔法をかけていて、向かいにお父様、ザークシードも座っている。カルラ達の後ろには二人の少女が立っていた。


 ザムドやザークシードと同じ褐色の肌。けれどザムド達と違って二人の髪は深紫で、瞳も琥珀色だ。


 一人は黄緑色の飾りを肩までの髪に留めている少女。私より三つ上だったはずだから、たぶん十五歳だ。もう一人は水色の飾りをツインテールの根っこにつけている少女で、彼女は私のひとつ上の十三歳のはず。二人の少女は年齢以外は瓜二つだった。そして同時にザムドにもよく似ている。さすが姉弟だ。


 二人の少女――リーナとレナは、カルラとジュリアスの後ろで喋り続けている。


「あいつら卑怯なのよ、寄ってたかって」


「そうよそうよ、一対一ならカルラねえさんが負けるわけないんだから」


「だいたいこの怪我だって、あたしたちを庇っただけなのよ」


「そうよそうよ、カルラ姐さんがやられたわけじゃないんだからね」


 そこまで彼女達が話したところで、カルラが「やかましい!」と怒鳴りながら二人を振り返った。


「あれぐらい自分で避けてや! 他の魔族もあんたらが倒さんかい!」


 リーナとレナは一瞬だけ同時に黙ってから、「はーい」と揃った声を上げる。カルラは顔を前に戻し、はあと息を吐いてから二人を追い払うように手を振った。


「ほれ、あんたらはミュリアナに顔見せといで。心配してんで」


 するとリーナとレナはまた「はーい」と声を揃えてから、パタパタと足音を立ててこちらに駆けてきた。彼女たちの通り道を空けるために横にずれたけれど、二人は私の前で立ち止まる。


「ディアドラ様だ」


「前ほどツンツンしてないね」


「ディアドラ様、たまには私たちとも遊ぼうよ」


「そうよそうよ、ザムドばっかりずるい」


「二対一でらない? 私たち、二人でならもう大人にだって負けないのよ」


「今度はつまんないなんて言わせないんだからね」


 二人は勢いよく話し続け、返事をする隙を与えてくれない。困って一歩後ろに下がると、カルラの「かしましいわ! はよ行かんかい!」という怒声が飛んできた。リーナとレナが不満気な顔を見合わせてから去っていく。


 勢いに押されて、戦わないかという誘いを断り損なった。けれどいったん忘れることにして、私はカルラに駆け寄った。カルラの腕には二の腕から肘にかけて包帯が巻かれている。


「カルラ、怪我したの? 大丈夫?」


「よーお嬢、半年以上ぶりやなあ。またちょっと大きゅうなったか?」


「いや、そんなことより怪我は?」


「別に大したことあらへん。用があって寄ったついでに治してもろてるだけや」


 カルラは何でもないことのように言う。けれど以前リドーとの戦いの時に酷い怪我をしていたことを知っている私としては、その発言をそのまま受け取ることはできなかった。治療していたジュリアスに視線を移してみると、真面目な視線が返ってくる。


「そうですね、今回は」


「『前は酷かった』みたいな言い方せんといて。怪我して帰ってきたのは初めてやろが」


 カルラがジュリアスを軽くはたき、ジュリアスがちょっとだけ笑った。カルラはジュリアスのお父さんのことも知っていたし、なんだか仲がよさそうだ。


 カルラが腕に巻いていた包帯を取る。確かにその下の肌には傷一つ残っていない。でも肌に触れていた白い布はまだ乾いておらず、真っ赤に染まっている。魔族は軽症の定義がおかしくない? と考えていたら、私の横からザムドが身を乗り出してきた。


「なあカルラおばさ――」


 ザムドが言い終える前にカルラの腕がにゅっと伸びてきて、ザムドの顔をわしづかみにする。ザムドのこめかみにも頬にも指が食い込んでいてとても痛そうだ。


 カルラが口元にだけ笑みを浮かべる。目が笑っていないっていうか怖い。


「もう一回チャンスやるわ、坊主。なんやて?」


「か、カルラ姐さん……」


「よろしい」


 カルラが手を離すと、ザムドの顔に真っ赤な指の跡が残った。自業自得だけど、痛そうだから回復してあげよう。私はザムドに手を当てるとそこから魔力を流し始めた。


「で、何や?」


「俺も行きたい!」


「却下。これ以上子供はいらん」


「ええー! 姉ちゃんたちだけずるいよ」


 ザムドは不満気に口を尖らせる。それを受けたカルラも、ソファーの背に後頭部を乗せて天井を見上げたまま、疲れた顔で大きなため息をついた。


「うちかて好きで連れてるわけやあらへん。なあザークシード、ほんまに他におらんの? うちは託児所と違うんやで? あの子ら、朝でも昼でも夜でもずっっっっと喋っとるんよ。かしましすぎるわ」


「いやー……すまん。しかし物理攻撃より魔法攻撃が得意で、しかも飛べる者がいいいと言われると、私のところには……」


 ザークシードも苦笑気味だ。


 下のレナが私より一つ上というだけで、二人とはそれほど歳が離れていない。カルラはリドーを追っていると聞いたけれど、そんな戦いに連れて行くにはまだ幼すぎる気がする。でも私も連れて行かれたわけだし、強さが全ての魔族においては年齢なんて関係ないのかもしれない。


「そんなに人がいないの?」


 首を傾げた私の問いに答えてくれたのはジュリアスだった。


「いませんね。正確にはわかりませんが、ナターシアの人口は、大陸全体でも人間の小国に満たないと思います」


 聞けば、ナターシアに戸籍という概念はないらしい。税も取っていないというし、住民全てを管理する必要はないんだろう。各集落に何人住んでいるかを物資の調達のために定期的に確認する程度だそうだ。それだって精査はしていないらしい。


 お父様より前の魔王の時代までは魔族間の殺し合いも日常で、増え放題だった魔獣に食われる魔族もいたため、なかなか人口は増えなかったらしい。


 カルラが「うち十人兄弟らしいけど、二十歳まで生きとったんは三人やな。上の何人かは会うたこともないわ」と苦笑した。いくらなんでも過酷だし命が軽すぎる。


 もともと人口が少ないところに、戦える者のうち半数以上がフィオデルフィアに向かってしまい、魔王城に兵として残っているのは百人もいないとのことだった。魔族は一人ひとりが強いとはいえ、確かに百人は心もとない。


 お父様が魔王になって死亡率はぐっと下がったものの、増えたのは十代以下の子供ばかり。じゃあもしリドーとカリュディヒトスが、フィオデルフィアに渡った全員を引き連れて攻め込んできたら負けるんじゃ? と不安になったけれど、今のところそんな気配はない。


「この際、物理でも飛べんでもええから大人の男にしてくれ」


 カルラがまた足の上で頬杖をつきながら言う。それに反応したのはお父様だった。


「何かあったか?」


「なんかリドーに変な気に入られ方してしもたみたいで……」


 カルラは大きなため息を吐きながら、右手で己の両目を覆った。


「この怪我したときにな、〝痛みで歪んだお前の顔が好き〟って言われてん……」


 その場にいた、カルラとザムドを除く全員から、さあっと表情が消えた。


 なにそれ怖い。


 ザムドだけはきょとんとした顔で私たちを見回している。


「キモイやろ!? 思わず逃げてきてしもたわ!!」


 カルラは手を目から外すと、拳を作ってテーブルに振り下ろす。ガチャンと複数の音が鳴ってカップから飲み物がこぼれたけれど、誰も何も言わなかった。


「いや、うち一人が狙われる分にはええんやけど、アレが他に向くとヤバい。というわけでリーナとレナはこのまま置いていきたい」


「わ、わかった、他を考えよう」


 ザークシードが何度も頷いてから、腕を組んで難しい顔をし始める。お父様も眉をひそめ、「まずお前がもう行くな」と言った。私もその方がいいと思う。カルラがいくら強いといってもリドーだって強いし、他の魔族もいる状況では何があるかわからない。


 けれどカルラは首を横に振った。


「うちかてもう会いたないけど、他に誰が行くんよ? あいつの相手できんの、うちくらいやろ?」


 お父様が困ったように「なら私が」と言いかけたけれど「駄目に決まっとるやろ」とカルラに切って捨てられた。しんと静かになったと思ったら、今度はザムドが元気よく片手を高々と上げる。


「はいはい! 俺行きたい!」


「却下や」


 さっきも駄目だと言われたばかりだというのにめげない奴だ。えー、と不満気な声を上げているけれど、ジュリアスにすら勝てないのだから当たり前だ。


 少しして、カルラが思いついたように言った。


「……いや、せやな、ザークシードに一回でも勝てたら、連れてったるか考えたろか」


「ほんとかっ?」


 ぱぁっと顔を輝かせたザムドをちらりと見てから、カルラの耳元で「いいの? あんな約束して」と小声で聞いてみる。カルラはにいと笑ってから、「うちは考えたると言うだけで、連れてったるとは言うてない」と同じく小声で答えた。大人ってずるい。もちろんザムドは聞いていないらしくニコニコしている。


「まあ、男の子は目標があった方が強うなるやろ」


「そうかな……」


 カルラの言葉に首を傾げたけれど、いつも以上にやる気を出しているらしいザムドを見る限り否定しきれないものがある。


「他の魔族を減らすまででもええし、坊んを貸してや。グリードはん」


 カルラがジュリアスを指差しながら言ったが、ジュリアスが申し訳なさそうに表情を曇らせた。


「申し訳ありません、実はこのあと、キルナス王国に出向くことになっておりまして」


「……へえ? 手紙送るて言うてたやつ、返事来たん?」


「ええ、一国だけですが」


 ん? 何の話?


 目を瞬いて二人を見比べる。お父様もザークシードも驚いた様子はないし、わかっていないのは私とザムドだけみたいだ。


 キルナス王国ってどこだっけ? ゲームでそんな国を訪れた覚えは――いや、ある。レオンの出身国だ。そしてその国は確か、ゲームが始まる頃にはとうに滅んだ国だった。そうか、私が魔王にならなかったから、まだその国は存在し続けているのか――いや、待てよ? あの国が滅んだのはレオンが騎士の試験に合格してすぐのことだったから、来年、いや、今年のことじゃないかな?


「そういうことならしゃーない。あーあ、少年が手伝ってくれへんかな……」


 ちゃんと覚えていない。こんなことならレオンも攻略しておけばよかった。残念そうなカルラの声を聞きながら、設定を思い出すべく私は必死で頭をひねるのだった。



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