第四章 王魔戦争

第7話

 エンリ一行は、コリットの屋敷で何日か宿泊した際に何人かの魔女の居場所を聞き、その後数週間かけてハーバン大陸を周った。コリットの助言通り数名の魔女から目的の魔霊素を受け取った後、コリットの勧めもあって大陸東の港町マストロへ向かい、そこから船で世界最大の陸地面積を誇るラフラッド大陸へと向かった。

 ラフラッド大陸には世界最大かつ最古の王国ナチュ・ナラルが存在する。王魔戦争において、この国がなければ終戦は不可能と言われ、大陸の約七割の土地面積を持つこの王国は、今でも世界に大きな影響を持っている。中でも、三大魔女の一人で、唯一オルトゥーラを故郷に持たない魔女ドーミネンが住んでいるのもこの国である。

 この大陸には他の大陸にはない特徴がいくつかあり、その一つが今でも広がり続ける広大な砂漠である。大きすぎる陸地の中に、周囲の熱帯気候に囲まれているにも関わらず、その地域では雨が降りづらく、また強い風が地面や岩肌を削り取っていくので、かなりの広さを持つ砂の大地が形成されている。この砂漠に隣接するような形で、ナチュ・ナラルは存在する。

 大昔、まだ王国ができたての頃、敵国の軍隊がよくこの砂漠を横断して襲ってきたこともあり、砂漠に近い場所には監視を行うための高い塔がいくつか建設されていた。これは今でも使われているらしい。

 他にも、このナチュ・ナラルには他の国にはない施設がある。

 まずは王魔戦争資料館。歴史に類を見ない世界的な大戦争の一端を担ったこのナチュ・ナラルにおいて、世界をどれだけ変えていったかを正確に後世に伝えるために作られた。

 もちろん、この戦争を語るうえで外せない『魔女』の存在やその成り立ちまで、細かく記されている。

 次は錬金術中央研究所。この国は錬金術の発達から始まり、それは今でも変わらず文化の中心として生活に根付いている。魔女の使う魔法を除くと、数ある技術体系の中でも錬金術は効果が発動する時間差が最も短く、誰が使っても同じ効果が得られるとあって、戦争が起こる少し前までは戦闘時における有効な技術としても最も注目を集めていた。

 だが当面の課題として最も元手がかかるということが、小国では扱いにくい原因であるため、ナチュ・ナラルほどの大国だからこそ存在する研究所であるとも言える。

 また、もっとも珍しいのは世界魔法評議会の中央議事堂があることだろう。魔法によって起こった犯罪などを審査し、場合によっては裁判なども担当することがある施設だ。ただ、この中央議事堂は以前はオルトゥーラに存在したものを建物ごとこの国へと移設したものになる。王魔戦争がなければその役目は引き続きオルトゥーラが担当していたに違いない。

「せっかくなので、王魔戦争についての学習をしたいと思うのですが」

 そう言いだしたのは、少し前に一行から離脱を受けていたかもしれないパルティナだった。

 千里眼の魔女コリットとの別れ際に再会の約束をするも、彼女自身から『残るか残らないかはパルティナ自身が決めることで、儂に決定権はない。どこにも行くところがなくなったら、来るといい。ただ、決して後悔させるようなことはさせないぞ』と言われてしまった。これにはさすがのエンリも驚いたようで、旅行の終わりにもう一度訪ねることを約束した。

 エンリは、早速一緒に旅行に出かけたことがいい方向に向かっている、と感じたようで、それなら、とログレス達と一緒に資料館への訪問を提案した。

「ただ、私はちょっと別で用事があるから、あなた達だけでお願いできないかしら?」

「え、どちらに行かれるのですか? 気になるんですけど」

 クリエラが少し残念そうに聞いてくる。なんせいつもログレスとチャイクロの手綱を握らされている本人からすれば、さらにパルティナも任されたとあってはたまったものではないからだろう。

「ええ、評議会に行って、この大陸にいる登録済みの魔女の居場所を聞こうと思って」

「おお、そうだったな。評議会に登録のある魔女の情報がもらえるなら、そのほうが早かろう」

 ログレスが、朝食のレパ・パスタを頬張りながら相槌を打つ。近海で取れた青魚を軽く焼いた後、身をほぐして賽の目に加工したパスタに混ぜ、ラフラッド牛の乳から作ったレパ・ソースをふんだんにかけた料理である。つい昨夜到着したここ、レパタネーロ港町の地産料理だそうだ。他には、エンリがバタートーストにズッケのミルクティー、パルティナはラフラッド牛の肉パスタ、クリエラは青魚の酢漬サンドイッチ、チャイクロは意外にも近海魚盛り合わせをぺろりと平らげてしまっていた。

 朝食を終えた一行は、その足でナチュ・ナラルの中央都市であるゼーオ・ナラルへと向うことになった。

 この大陸における技術は、かつて精霊が多く姿を見せていた関係で精霊魔法の研究が盛んではあったのだが、近年において錬金術の錬磨に磨きがかかり、今ではあらゆるところで錬金術の恩恵を受ける場面が増えている。特に移動に関していうなら、王魔戦争が始まるまでは馬車や陸鯨りくくじらによる貨物車が主な運搬手段だったのだが、近年になってゴーレムの動力部分だけを使った十人くらいが一気に運べる車や、風を受けなくても進む船などが開発されている。レパタネーロとゼーオ・ナラルとは本来徒歩で移動するとなると砂漠を横断するため丸二日かかるが、砂漠を渡る時に乗る砂上船が陸でも走るようになった新しい陸上船の開発により、半日で向かうことができるようになったようだ。

 ログレスはもちろんエンリも初めて乗る乗り物であったが、先日乗った海の上の船よりも乗り心地が良く、他に客もいなかったこともあってスムーズに中央都市ゼーオ・ナラルへと到着した。

「さて、まずは宿取りかしら」

 陸上船用の乗り場から出たあたりで日が傾き始めたことを空を見つつ、エンリは肌着が自然と汗ばんでいることに気が付いた。この大陸自体が暖かい地域が多いとはいえ、季節は夏を迎えようとしていることを肌で感じた。

「宿でしたら、こちらでしょうか」

 パルティナが案内板から宿泊施設の多い区画を提示する。ここからそれほど離れていない。それより、意外と評議会の施設が近くにあることに気が付いた。

「意外と近いのね…… そうね、今日はちょっと早いけど先に休んじゃいましょう」

 海の船、陸上船と移動が続いて疲れが出たのか、全員一致でまず宿をとることになった。

 さすがにゼーオ・ナラルは歴史の中心都市とも言われる都市で、あちこちに古い建物が散見され、ただ宿を探していただけなのに意外と時間をとられた。それもそのはずで、他の国にない施設もたくさんあるこの都市だけで、来訪者は年間五万人を超えるらしい。この人数はエメリッド大陸の全人口に匹敵する。ラフラッド大陸の人口がおよそ四十万人を超えないことも含めて観光に力を入れているのが分かる。

 ただ、世界全体としての観光が推奨されているのかというとそうではないようだ。エンリ達が持っている世界渡航許可証ワールドパスは発行を抑えるようになっており、代わりに特定の国との行き来がしやすいようになっていると、陸上船の乗り場で教えてもらった。

 これは最近出所不明の小規模な反社会的攻撃テロリズム行為があちこちで起こっていることに起因しており、追加で入出国審査を受けなくてよい世界渡航許可証ワールドパスを不用意に配布しないためらしい。

 いずれにせよ「せっかく平和が享受できるようになったのに」とエンリはぼやいたが、あくまで世界渡航許可証ワールドパスの発行が抑えられているだけで、むしろ特定の国への観光は推奨されているのは変わらない。


     *   *   *


「なんせゼーオ・ナラルっていうのは古い言葉で『集まる住処』っていうくらいだからね。ちなみにナチュ・ナラルは『偉大な住処』さ」

 ようやく見つけた食堂兼宿「はらぺこ亭」の主人が、記帳の合間に気さくな感じでナチュ・ナラルの語源を教えてくれた。

「なるほど、ということはゼーオ・ナラルのほうが歴史が古い、ということか?」

「そりゃそうさ。ここからナラルは始まって、他の周辺国を吸収していくうちにこの街が首都になって、首都と国の名前が同じっていうのは他の国に示しがつかないから最初は『ナチュ・ナラル連合国』って物々しい名前だったんだ。少し前に大陸のど真ん中にあるハニジ・ナラルが独立するまでその名前だったからね」

 ちなみにハニジは『繋がる』って意味だよ、まで聞いた後、エンリ・パルティナ・チャイクロとログレスとクリエラとでそれぞれ部屋をとり、荷物を置いた後で一階の奥にあるカフェレストランに集合した。

「もう少し時間があるけど、エンリ殿たちはどうする?」

「私は今のうちに評議会に行こうと思うの。意外と早く着いたし、あまり時間もかからないだろうし」

「では、私もお供いたします」

「ちょっとおなか、すいたかな」

「なら、我と少し出店を回らぬか?」

「食事ならここでもいいと思いますけど? そのうち日も暮れて、慣れない土地で探しに行くよりその方がありがたいですけど」

「ぐ、仕方ないチャイクロ殿、ここで旨いディナーにありつこうではないか」

「うん! 食べたら、またおもしろいおはなし、きかせて!」

「もちろん! まずは腹ごしらえだな! すまぬそこな方、注文を頼みたいのだが……」

 すっかり仲が良くなったログレスとチャイクロを横目に、パルティナとエンリは再び外出するために部屋へ戻った。

「そんなにかからないと思うし、荷物も少しだけにして……」

 準備もほどほどに、エンリとパルティナは早々に部屋を後にする。

 はらぺこ亭から評議会の事務受付棟へは、センター通りの噴水場を抜けて北へ折れて少し進んだ場所にあった。古い街並みをそのまま広げた割には整備が行き届いており、初めて来たはずのエンリ達も迷うことなく到着した。

「時間も時間ですし、あまり人も居られませんね」

 まだ日は完全に落ちてはいないが、昼間の陽気が抜けきらない空気が腕や背中にじっとりと汗をにじませている。既に日が届かなくなった遠くの街灯は既に明かりが灯り始めていた。

「用事自体はそんなにかかることはないでしょうから、さっさと済ませましょう」

 エンリはすたすたと中へと入っていった。


     *   *   *


「そういえば、この宿から戦争資料館はどれくらいで行けるのだ?」

 ログレスが皿を下げに来た店の従業員に突然質問をした。

「あ、えーと、王魔戦争資料館ですか? ここからだとちょっと遠回りですけど、センター通りの噴水前まで出たらそのまま真っすぐ歩いて、そしたら左手に評議会別館が見えてくるんで、その建物に沿って左に折れて、またまっすぐ行けば迷わずに行けますよ」

「なるほど!」

「……絶対分かってない顔してますけど」

 ジト目でクリエラはログレスをにらむ。

「そ、そんなことはないぞ! そうだ、噴水場はここに来る前に確か通った道だな! 腹ごなしにそこまで散歩に行ってくる!」

「あっ、ログレス! まだ話は……」

 ログレスは、クリエラの制止が耳に入る前に外へと出てしまう。

「あー、ぼくもー!」

 クリエラから逃げるように宿から出るログレスの後を追う形でチャイクロも外へと出る。

「まったく、何もなかったらいいんですけど」

 ログレスは軽い駆け足のまま外へ出た。

「確か、こっちだったな」

 日が落ちる前に通った覚えのある方向を目指しながら、駆け足の速度を緩める。

「まってー、ログ!」

「おお、そなたも来たのか? よし、共を許そう!」

 二名はそのまま歩みの速度まで落とすと、街灯が灯りだした街並みを探検し始めた。

 来る時は周りをよく見ていなかったせいで気が付かなかったが、家の一つ一つが石造りでできているのが分かる。自然石を加工した素材が多く使われているのは原価が原因なのか、地域的な理由が原因か。砂漠が近いことを考えると後者ではないかとログレスは推測する。わざわざ建築材を作るよりは岩山を砕いて作った石を加工する方が何かと便利だからだろう。

 そんなことを考えながら、噴水のある広場につく。日もほぼ落ち、涼しい風が背中の汗ごと体を冷やしてゆく。空を見上げると、見事な星々が空の藍と太陽の橙で彩られた対比の中でひときわ幻想的な輝きを演出して見せる。

「……空は、広いな」

 想像もしていなかった、外の世界。きっと『あのまま』では決して見ることのできなかった景色。

「海は美しく、空はどこまでも繋がって、食事は飽きず」

「お肉、おいしかったね」

 チャイクロは大きく欠伸をする。食欲が満たされれば、次は睡眠欲だ。

「いやいや、まだ眠るには惜しい。まだまだ世界を知り尽くしたい」

 まだエメリッドを出てからそれほど立っていないというのに、もう人生のほとんどを別の大陸で過ごしたような充実感を感じている。それも、エンリ達に出会ってから…… いや、魔女と出会ってから、自分を取り巻く環境が大きく変わりつつあるように感じる。

 視線を空から下ろして周りをよく見れば、今でも街を歩きゆく人々のなんと様々なことか。彼らもまた自分たちと同じように別の大陸から渡ってきたのだろうか? それとも大陸の反対側に住んでいて、たまたまここへ来た者だろうか。よく見れば、砂漠地帯でよく見られるという特徴的な外套を纏った者もいれば、薄い布のようなものだけを体を覆っている者もいる。上も見ていて楽しいが、下を見ていても楽しいとログレスは感じた。

「それもこれも、エンリ殿のおかげと言えような!」

「うん、リーリのおかげぇ……」

 チャイクロは前足を大きく前に伸ばし、その上に顎を置くしぐさをする。あと少しで眠ってしまいそうだ。

 だが、そうはしなかった。突然、耳を大きく立てて、ログレスの方に向ける。

「ダレか、くる」

 突然雰囲気が変わったことにログレスは一瞬反応が遅れた。

「くる、とは? エンリ殿か?」

「ちがう、この足音はしらない。でもこっちにむかってる」

 チャイクロは完全に目が覚めたのか、上体を起こしてログレスに寄り添った状態で警戒態勢に入った。

 ログレスはそんなチャイクロを見て、自分も周りを見回した。人通りは先ほどと変わらないが、いくらか人混みは薄くなりつつある。徐々に街灯の明かりが強くなっているような感じを受けるほどに、今日は太陽も仕事を終えたようだ。

 それを見計らってか、黒緑のフード付きローブを纏った人影が、静かに二名に近づいてきたのをようやくログレスは確認できた。

 注意深く、視線を向けないように人影を観察する。耳をそばだてるも、周りの喧騒の方が大きいのか、足音が聞こえてこない。自然と背中に汗が伝う。時季外れな冷たく嫌な空気が流れている気がした。

「エンリと、言ったのか」

 突然、耳元に声が聞こえた。

(!?)

 瞬間、先ほどの人影の黒い法衣ローブが視界いっぱいに広がった。おかしい。まだ距離があったはず。思わずログレスは飛び上がり、距離をとるためその場からさらに二、三歩後ずさる。腰に手を当てたが、武器となる獲物は宿に置いてきたことを思い出し、舌打ちする。

「答えよ。お前は〝終焉の魔女〟の従者か」

 深く、暗く、重い男の声が、再びログレスに質問をつぶやく。

(な、何故エンリ殿を魔女呼ばわりしている? しかも、〝終焉〟とは……?)

 ログレスは考えがまとまらない。先ほどは行動で虚をつかれ、今は言動で虚をつかれてしまい、思考が追い付いてこない。

「何者だ! 無礼であろう!」

(今は時間を、考えるための機会を作らなければ!)

 ログレスは、十分すぎる大きな声で、ローブの男に問いかけた。

「否定せずは肯定の証」

 しかし、そんなログレスの行動を読んでか、ローブの男は怪しい笑みを浮かべるといつの間にか持っていた杖を大きく天へと掲げ始めた。

「エンリを恨め、……「わざわいはぞればいかづちなりてならびつらなり穿うがたらん(サバルゥガ)」!」

 低く鈍い声が周囲に重なり合って響いた瞬間、男の杖の先に黒い霧に包まれた炎がいくつも出現し、空気が焦げる嫌なにおいとともに、ログレスに向かって放たれた。

「圧縮言語!? 馬鹿な! しかもこんな街中で……っ!

 とっさの事で反応が遅れたログレスは、すべての炎に対応しきれず、右肩に一つ、右のふとももに一つ受けてしまった。

「あぁう!」ログレスは思わす数歩のけぞった。

「ログレス!」

 チャイクロは視界から外れたログレスを目で追う。

「……ああ、大丈夫。まだ立てる」

 言葉とは裏腹に、ログレスは苦悶の表情を浮かべている。ローブの男が放った魔法は、炎の魔法の中でも上級クラスの魔法だ。うまく避けたほうではあるが、それでもダメージはかなり受けたようだ。

「……よくも」

 チャイクロが、男を力いっぱいにらむ。

「猫は必要なかろう」

 男は再び杖を掲げる。空間が震え、今度はチャイクロの周りに不可思議な歪みが発生した。

「「はぜるはかみなりのごとくなんじへみだれうちつけん(バルィラダ)」!」

 歪みが一瞬にして青黒い炎へ変わり、チャイクロに業火が襲い掛かる。

「チャイクロ殿!」

 まるで突然大きな火炎球が出現したかのように、一瞬にして業火がチャイクロを包み込む。

「そ…… そんな」

 ログレスが、チャイクロの姿を見失った、その時。

「……む」

 いつまでも消えない業火に、ローブの男は不審に思ったのか、大きな火炎球に注意を向ける。

「よくも、友だちを!」

 突然火炎球がはじけ、中から美しい銀色の鱗を持った少年が、ローブの男の前に出現した。

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