一章 役目を終えて【ミシュリーヌ】
第1話 政略で結ばれた二人
― 三ヶ月前 ―
ミシュリーヌ・フルーナは、カーテンが開け放たれるのを感じて目を覚ました。
「妃殿下、お目覚めですか?」
天蓋の外から専属侍女のボンヌが声をかけてくる。寝付いたばかりなのに、もう起きる時間らしい。
「ええ、起きているわ」
ミシュリーヌはボンヌに返事をして、他の侍女が準備してくれたお茶に手を伸ばした。
ここはフルーナ王国の王宮内にある第四王子オーギュスト・フルーナの離宮だ。ミシュリーヌはオーギュストの妃として、ここで七年前から暮らしている。ただ、ミシュリーヌが眠るこの部屋に彼が訪れたことは一度もない。
ミシュリーヌは、フルーナ王国から中規模の国をいくつか挟んだ先にある帝国の第八皇女として生まれた。父である皇帝は、世界屈指の権力を使い希少な聖女を何人も妻としている。そのため、ミシュリーヌも母の才能を受け継ぎ聖女の力を宿していた。
当時のフルーナ王国は、各地にある神殿の水晶の浄化が追いつかず、魔獣が凶暴化し増殖していた。神官より劇的に浄化ができる聖女がすぐにでも必要だったのだ。
逆に、帝国には元から魔獣がいないため、魔獣からとれる魔石が常態的に不足していた。帝国の発展のためには、フルーナ王国の魔石が必要だったのだ。
オーギュストとミシュリーヌの結婚は、そんな国同士の思惑が合致したことによる完全なる政略結婚だった。
しかも、当初はフルーナ王国の王太子と年齢の近い第四皇女が結婚するはずだった。ミシュリーヌが来ることになったのは、異母姉である第四皇女が土壇場で魔獣のいる国には行きたくないと、迎えに来た王太子を拒んだためだ。
王太子は当時すでに二十六歳。フルーナ王国側は代わりとなったミシュリーヌが十歳と幼かったため戸惑っていた。しかし、国のことを思えば第四皇女を説得する時間の余裕もなかったようだ。そのため、護衛として王太子に帯同していたオーギュストが急遽ミシュリーヌと結婚することになったのだ。
十六歳だったオーギュストが十歳のミシュリーヌを妻と思えなくても当然だ。それが七年経ってミシュリーヌが十七歳になった今も変わっていない。
政略結婚なのだから、よくあることだと割り切るべきなのだろう。ただ、オーギュストに特別な感情を抱いてしまったミシュリーヌには難しかった。
ミシュリーヌは枕元に置かれた腕輪をはめて、ため息をつく。結婚のときにオーギュストからもらった腕輪は、ミシュリーヌの心情を無視するかのように今日も輝いていた。
「オーギュスト殿下から、『朝食をご一緒したい』とのお誘いが来ております」
ミシュリーヌが着替えを済ませて、リビングに移動すると、部屋に待機していた侍女から声がかかる。ミシュリーヌが了承の返事を伝えると、すぐにオーギュストの訪問が告げられた。
「ミシュリーヌ、おはよう」
部屋に入ってきたオーギュストは、いつもと変わらぬ色気のある笑顔を浮かべている。ミシュリーヌは見惚れてしまいそうになって、慌てて淑女の仮面を被った。
「おはようございます」
長身のオーギュストを見上げて、大人っぽく見えるように微笑み返す。六つ歳上の夫に意識してもらうための必死の作戦だ。
「……」
「殿下?」
オーギュストの切れ長の瞳がミシュリーヌを観察するように見ている。恥ずかしくなって俯くと、大きな手が頬に触れた。
「いつもより、元気がないな。体調が悪いのか?」
「そんなことはありませんわ」
ミシュリーヌは否定するように顔を上げて微笑む。考え事をしていてあまり眠れていないが、言うつもりはない。
オーギュストの手が労るようにミシュリーヌの目の下をなぞる。オーギュストの青い瞳に特別な感情を探しそうになって、ミシュリーヌは期待してはいけないと心の中で自分を律した。
「目の下にうっすら隈ができているな。寝不足なのか? 夜更かしをして本を読んだりしては駄目だよ」
ミシュリーヌはオーギュストの言葉を聞いて、うぬぼれなかった自分を褒めた。
政略結婚ではあるが、オーギュストはミシュリーヌを大切にしてくれている。それがいつまでも諦めきれない一因でもあった。ただ、どんなにミシュリーヌが頑張っても、オーギュストは妹のようにしか見てくれない。
「わたくし、そんなに子供ではありませんわ」
「そんなつもりで言ったのではないよ」
オーギュストが困ったように笑う。彼は否定したが、本音はどうなのだろう。
「聖女である君の方が得意だろうが……」
癒やし効果のある水魔法の気配がして、寝不足で重かった頭がスッキリとしてくる。オーギュストが満足そうな顔をしたので、隈もとれたのだろう。
「ありがとうございます」
「知っての通り応急処置でしかないから、今日は部屋で大人しくしているんだよ。夜にはパーティもあるが……
オーギュストがあっさりとそんなことを言うので、ミシュリーヌは慌ててしまう。今日行われるのは、水晶の浄化の終了を祝う祝賀パーティだ。嫁いできて七年、国中を旅してようやく各地の水晶の浄化が終わった。延期なんてことになれば、国民を不安にさせかねないし、他国への安全宣言でもあるので大変なことになる。
「そんなこと仰らないで下さい。聖女としての最後の大仕事です。きちんと勤めさせて下さいませ」
今日の役目を終えれば、この国に聖女は必要ない。神官がきちんと浄化を引き継いてくれているため、次に聖女が必要になるのは早く見積もっても百年後だ。
魔石の輸出はフルーナ王国にも利があるため続いていくだろう。
そんな中で、形だけの結婚は続ける理由があるだろうか?
ハレムを持つ父には皇女がたくさんいて、母を早くに失ったミシュリーヌの存在を覚えているのかさえわからない。祖国を頼れないミシュリーヌは、聖女という肩書がなくなれば、ただの世間知らずの小娘でしかない。
「無理はしないで良いからね」
「はい、ありがとうございます」
オーギュストがミシュリーヌの意思に反して追い出すような事はしないだろう。彼のそばにいたいミシュリーヌは、その優しさに縋るしかないのだ。
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