第2話 君は陽だまり


 すべての授業を終えた放課後、七海は足早に歩く。旧館は遠いから、他生徒は来たがらない。ここには誰も来ないから、七海のお気に入りの場所だった。

 旧音楽室からは、相変わらずヘタクソで、だけど楽しそうなピアノの音が響いている。扉を開けると、既に夏那がピアノを弾いていた。


「よう、ヘタクソ」

「誰がヘタクソだ!! 来るのが遅いぞ!!」

「先生の話が長かった」

「許す」


 七海は、あの日から夏那にピアノを教えている。


 最初に聞いたときの演奏はほんとうにヘタクソでひどい演奏だった。しかし、七海の演奏を聴かせた後の夏那の演奏には、目を見張るものがあった。七海の演奏をそのまま演奏してみせたのだ。完全な耳コピだった。おそらく、彼女は耳がいい。

 楽譜の読み方、曲のイメージを教えると案外、すんなり教えたことを吸収していく。夏那はスポンジだ。きっと夏那はイメージさえ掴めれば、どんな曲も弾ける。

 教えれば教えるほど、ピアノの演奏が上手くなる夏那に、七海は高揚感を覚えた。教える楽しさとは、きっとこういうことなのだろうと。


 あんなにつまらなかった日々が、こんなにも楽しい。あの日、ピアノを教えると言ったのは正解だったと七海は夏那をみてほくそ笑む。


「そういえば、最初の時もそうだったけど、何で演奏する時に魔力込めないんだ?」


 音楽魔法は、奏でる音に魔法を乗せて相手に伝えることができる魔法だ。人を癒やし、楽しませるため、魔法で演奏をより良いものにしていく。しかし、夏那の演奏にはいつも魔力が込められていなかった。


「あ〜……実は、魔力が込められないんだよ」

「魔力が込められない?」

「そうそう。魔力が無いわけじゃなんだけどさぁ」


 そう言って気まずそうに目を逸らす。


「じゃあ、何でこの学校に入れたんだ? 音に魔力を乗せられるのが最低条件だったろ」


 そう。魔法学校音楽科に入るには、まずは最低条件をクリアしなければならない。


『魔力ある者、楽器の扱えるもの、音に魔力を乗せられる者、音楽科への入学試験資格を与えん』


 この三つの条件が揃って初めて、入学する為の試験を受けることができるのだ。夏那はピアノは弾けているが、七海が教える前は世辞でも上手いとは言えなかった。おまけに魔力が音に乗せられないと、試験資格も貰えない。


「私さ、特別試験受けたんだよ」

「!! まじか、あの変態鬼畜試験受けたのか!?」


 特別試験とは、筆記は無し。面接形式で、先生5人から「何でもいいからなんかやれ」と言われる、トンデモ試験の事であった。

 毎年多くの受験者がいるが、合格者はおらず、皆一様に「地獄だった」と泣きべそをかいていたという。それでも、筆記試験が無いから、特別試験を受けに来る受験者は後を絶たない。


「すごかったぜ。部屋に入るなりいきなり早速だが、私達を楽しませろとか言われてさ」

「噂の試験内容、マジだったんだな。」


 夏那はげんなりした風に顔をしかめる。試験の時を思い出している様だった。


「順番待ってる間なんて、試験終わった人たちが顔真っ赤にして泣きながら走ってってさ、まじでドン引きだったわ」

「でも、お前は受かったんだよな。なんの楽器演奏したんだ?」


 夏那は目をそらし、手をモジモジさせながら言った。


「それがな、実は演奏してないんだよ」

「演奏してない?」

「そーそ、演奏してないの。楽器持ってないし。」


 演奏してないとはどういうことか。特別試験の合格条件が先生達を楽しませることである。いったい、何をして楽しませるのか。そこには恐らく、『音楽で』という言葉が隠れている。楽器なくしてどう受かると言うんだと七海は考える。


「私の楽器は"声"なんだ」

「声?」

「そう、声!」


 夏那は椅子から離れ、七海をまっすぐ見つめる。あの日と同じ青空の目が、彼を射貫く。


「七海、ピアノ弾いてくれよ。きらきら星!!」

「いきなりなんだよ」

「いいからいいから、ほら!」

「わかったから押すんじゃねぇ!」


 七海は夏那に押され、椅子に座る。

 鍵盤に指を置き、集中する。

 

 夏那は目を閉じ、大きく息を吸って、

 ――歌いだした。


 ピアノの旋律に合わせて、心地よいソプラノが響く。その歌声は、どこまでも透き通り、いつまでも聴いていたいと思わせるものだった。それはまさに、天上の音楽と言えるだろう。

 驚いたのはそれだけではない。外側から流れてくる温かな温度、あたりを照らす光の粒子、部屋に満たされていく祝福の旋律。これは間違いなく夏那の魔力だった。


 七海の音に、夏那の歌声は合わせるように、寄り添うように流れる。こんなにも穏やかな二重奏は初めてだった。



 曲は終わり、七海は歌の余韻にひたる。夕日の光を受けたステンドグラスの下で、堂々と胸を張り歌う夏那は、どこかの絵画のような神聖さがあった。


「どうだった?」

「凄かった」

「おお、食い気味。えへへ、歌歌うの得意なんだ!」


 そう言って照れたように窓の方を向く彼女は、どことなく嬉しそうだった。


「私さ、何でか知らないけど歌にしか魔力乗せらんないんだよ」

「それ、授業で困らないか?」

「うん。すげー困る」


 夏那は嬉しそうな顔から一転、苦い顔をして語りだす。


「実はさ、授業上手くいってなくて……。魔力が乗せられないうえに楽器も弾けないから、すごく困ってたんだ」


 授業は楽器が弾けることが大前提の授業である。そんな中、楽器の弾けない生徒がいては、当然困るだろう事は誰の目から見ても明らかだった。


「先生はどうしてこんな事もできないんだって、他の人もそれに便乗して色々言ってきてさ「そんな時、面接の時の先生に旧音楽室の鍵を貰ったんだ。ここで練習すればいいって!」


 夏那は両手を広げ、七海に笑いかける。


 七海は知らなかった。ここにいる時、夏那はいつも楽しそうだった。だから、夏那が悩んでいたなんて気づかなかった。練習の為に旧館まで来ているのは本当だろうが、きっと、理由はそれだけじゃ無いのだろう。


「だからさ、ここにお前が来て、ピアノ教えてくれるって言ってくれたの、すげー嬉しかったんだ!!」


 その言葉に、七海は救われたような気持ちになった。他者は七海のことを傲慢な奴だという。七海が他人のために

何かすると、上から目線だと言われていた。


 人の評価が怖くて、わずらわしくて。他人の奏でる音がどんどん嫌いになり、合わせる事ができなくなった。相手の音を無視する様になった。

 段々、人との距離が空いていき、相談できる相手も無く、泣けもしなかった頃の幼い自分が、報われた気がした。


 そして、七海は夏那に後ろ指を差した人達にに怒りが沸いた。


「お前、実技試験の時にピアノ弾け」

「は?」


 夏那はぽかんと口を開ける。七海は続けた。


「今回の実技試験の評価ポイントはどれだけ課題曲を自分らしく表現できるかだ。魔力は関係無い」


 七海の目は本気であった。本気で夏那にピアノを弾かせる気だった。そん七海に、夏那はたじろぐ。


「で、でも! 私ピアノ下手っぴで……」

「俺が教えてやる!!」

「!」


 切に叫ぶ七海に、夏那は息を呑んだ。


「俺が試験までにお前のピアノを合格レベルまで引き上げてやる。だから信じろ!!」


 七海は、夏那を馬鹿にした奴らを見返してやりたいと思っていた。


『こいつは努力している。自分の欠点を補おうとしている。他者をコケ落とす事しか考えてない奴らとは違う。爪弾きにされていた俺を救ったのは夏那だった。――なら、今度は俺が夏那を救う番だ』


「……っだけど、七海も練習あるじゃんか!」

「お前、俺が周りからなんて言われてるか、知らねーの?」


 ――俺は"天才"なんだぜ?


 七海がそう言うと、夏那はキョトンとしたあと、クスリと笑い、「自分で言うなよな」と呟いた。

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