キスの答え合わせ ⑤

「――あの、悠さんはご存じなんですか? 貢さんがわたしを好きになった理由を」


 貢がいつ、どんなキッカケでわたしのことを好きになったのか――。ずっと気になっていたけれど、本人に正面切っては訊く勇気がなかったので、思い切ってお兄さまに訊ねてみたのだ。


「うん……、まぁ知ってるけど。絢乃ちゃん、その前にタバコ一本吸っていいかな? この部屋って灰皿ある?」


 悠さんはそう言って、ジャケットの胸ポケットからタバコのソフトパッケージとライターを取り出した。


「あー、スミマセン! このビルは全館禁煙になっているので……。一階エントランスを出たところにしか喫煙所がないんです」


 わたしは手を合わせて彼にお詫びした。ここはこの建物の管理者として、きちんと説明しなければならないところだった。トラブル防止のためにも……。


「う~ん、そっかそっか。悪かったね。このごせいじゃ仕方ねえよなぁ。喫煙者ってどこ行っても肩身狭いのよ。絢乃ちゃんは何も悪くねえから、気にしなくていい」


 悠さんにヘソを曲げられたらどうしようと思っていたけれど、彼はあっさりと納得してくれたのでわたしもホッとした。


「――あ、そうそう! アイツが絢乃ちゃんのことを好きになった理由な。アイツが言ってたのは、『俺は絢乃さんに救われたんだ』って。……心当たり、ある?」


「…………いえ。どういうことですか?」


 わたしは自分の記憶を一生懸命に辿ってみたけれど、彼を救ったという記憶に思い当たるフシはなかった。

 でも、わたしの方に自覚はなかったとしても、彼の方は「救ってもらった」と思ったかもしれない。


「あのさ、キミが貢と出会った頃のことなんだけど。アイツ、その頃にいた部署で上司からひっでぇパワハラ受けてたらしいんだわ。んで、しょうちゅうオレに電話してきた時とか、実家に顔出した時とかに親父やお袋に『会社辞めたい』ってこぼしてて」


「あ……!」


 そこまで聞いて、わたしの記憶に訴えかけることがあった。



 ――初めて会ったあの夜、彼は「上司の代理で仕方なくパーティーに出席した」と言っていたのだ。

 でも、その後すぐに「今日は来てよかった」とも言っていたので、あれもただの謙遜というか社交辞令だろうとわたしは勝手に解釈してしまっていたのだけれど……。

 あの言葉の裏に、パワハラが潜んでいたなんて……!


 彼が言っていた上司というのは、きっと総務課長だったしまたにさんのことだろう。確かに、わたしが会長に就任してから彼とお話しした時、何となくひと癖もふた癖もありそうな人だなぁとは思っていたけれど――。



「――何か思い当たるフシ、あるみたいだね?」


「はい……」


 わたしは悠さんに、初対面の夜にわたしと彼とで交わされたやり取りについて話した。わたしの勝手な解釈のせいで、パワハラの事実に気づけなかったことも……。


「絢乃ちゃん、自分責めなくていいって。アイツもキミに余計な心配かけたくねえから言えなかったんだと思うし」


「……そうですね」


 悠さんは責任を感じていたわたしを優しく慰めてくれた。この兄弟は、どうしてこんなにもわたしに優しいのだろう?



 ――通路からはいい薫りがしてきていたのに、貢はなかなか戻ってこなかった。三人分だったから時間がかかっていたのだろうか。


「でも、たった一回そんなことがあったくらいじゃそこまで思い詰めませんよね? ということは……、パワハラはあったということですか?」


「おっ? いいとこに気づいたねー、絢乃ちゃん。本人曰く、実はそうだったらしいんだよなぁ。アイツ人が好いからさぁ、その上司にとっては格好のオモチャだったらしいぜ。アイツも断りゃいいのに、ホイホイ引き受けるから自業自得なところもあるとオレは思うけど」


「そんな身もフタもない……」


 お兄さまの辛辣なコメントに、わたしはだんだん貢のことが気の毒になってきた。


 確かに、上司の命令だって時には断る勇気も必要だとはわたしも思う。

 けれど悲しいかな、断ったらどうなるか分からないという理不尽が罷り通ってしまうのが会社組織、と考えている古い価値観の人たちも少なからずいるのが実情なのだ。――我が〈篠沢グループ〉だけは、そういうことのない優良ホワイト企業であってほしいとわたしも思っているのだけれど。

 貢みたいな真面目で誠実な人は、そんな理不尽な目に遭っても「これが会社というところなんだから仕方がない」とその理不尽さえも甘んじて受け入れてしまうのだろう。うー……、頭が痛い。


 それにしても、この会社でそんな問題のある人が管理職を務めていたなんて……。わたしはこの組織のトップとしてなげかわしく思った。そして、どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのだろうと罪の意識にもさいなまれた。


「ほらほら、絢乃ちゃん! そんな顔すんなって! 言ったろ? アイツはキミのおかげで救われたんだ、って」


「……はい」


 また険しい表情になっていたらしいわたしに、悠さんはそんな言葉をかけてくれた。


「絢乃ちゃんに出会って、元気と勇気をもらったアイツはオレに電話で宣言したんだ。『俺、会社辞めないことにした』って。その代わり、部署を異動することにしたんだとさ。アイツの気持ちを変えたのは間違いなくキミだったんだよ」


「なるほど、そんなことが……。じゃあ、わたしに救われたっていうのはそういう意味だったんですね」


 わたしは直接彼を救ったわけではなく、彼が前向きポジティブになるキッカケを作っていたわけである。自覚こそなかったけれど、想いを寄せていた彼の力になれていたことが嬉しかった。



「――で、昨日の件に話戻すんだけど。絢乃ちゃん、アイツがしでかしたこと、怒ってないんだよな? ってことはさ、もしかしてキミもアイツのこと好きなワケ?」


「…………はいぃぃ!? どどどど、どうして!?」


 訊ねられ、わたしは思わず激しく動揺してしまった。


「あ、その反応は図星だな」


 悠さんが小さくガッツポーズを作った。……わたし、この人には敵わないな。ズバッとわたしの気持ちまで言い当ててしまうなんて。

 これ以上ごまかしてもどうせバレてしまうだろうと腹を括って、わたしは悠さんに心の内を全部打ち明けた。


「……はい、悠さんのおっしゃるとおりです。わたしも出会った瞬間から、貢さんに惹かれてたんです。ただ、初めての恋ですし、職場ではボスと秘書という間柄なので、告白しようかどうかも決めかねてたんですけど……。あのキスがあって、このままじゃいけないなぁって思い始めてたところでした」


 彼本人がその場にいたら、わたしはここまで自分の想いを吐き出せていたかどうか分からない。でも悠さんは一切口を挟まず、冷やかすこともせず、うんうんと相槌を打ちながら耳を傾けてくれていた。


「でも、上司であるわたしから告白されたら貢さん、困っちゃいますよね? やっぱり言わない方がいいのかなぁ……?」


「絢乃ちゃん、心配しなくても大丈夫ダイジョブ! だってキミら、立派に両想いじゃん。だから安心して告んなさい♪」


 まだ悶々と悩んでいたわたしの肩を、悠さんは向かいの席からポンと叩いてくれた。


「はい……! ありがとうございます!」


「いいのいいの! ……ああ、キミの気持ち、オレからはアイツに絶対ぜってー言わねえから。それも安心しな」


 悠さんはあくまで、お節介にならない程度で恋のサポーターに徹してくれるらしいと分かったので、わたしは「はい!」と元気よく返事をした。



「――にしてもアイツ、っせえなー。コーヒー淹れんのにどんだけ時間かかってんだよ」


「もうそろそろ戻ってくる頃だと思うんですけど……」


 彼が給湯室へ行ってから、かれこれ二十分ほど経過していた。普段はわたしの分だけなので十分ほどで戻ってくるのだけれど、さすがに三人分は初めてのことだったので、わたしにも時間の目安が分からなかった。



「――お待たせしましたー! すみません、三人分も淹れるのは初めてだったので、思った以上に時間がかかってしまって」


 それから一分も経たないうちに、トレーを抱えた貢が通路から抜け出て来た。


 トレーにはカップが三つ載せてあって、ちょっと重そうだった。

 見慣れた淡いピンク色のカップがわたしの分で、あとはブルーのカップと真っ白なカップが一つずつ。――白のカップは来客用なので、ブルーのカップが彼自身の分ということだ。


「ありがとう! ――あ、トレー重いでしょ? わたし、運ぶの手伝うよ」


「いえ、大丈夫です。これも秘書である僕の仕事ですので」


 わたしが手を出そうとすると、彼はそれをやんわりと断った。自分の仕事にプライドを持っているのはいいことだとは思うけれど、大変な時には意地を張らないで少しは頼ってもらいたい。


「んじゃ、オレ手伝おっか?」


「いいって! 兄貴はお客さまだろうが! 手伝わせるわけにいかないっつうの」


 彼はお兄さまにもピシャリと言い放って、重そうなトレーを一人で応接スペースまで運んでいた。


「……貢の意地っぱり」


 悠さんがポロッと吐き捨てたのが、わたしの耳に入ってきた。貢は聞こえていなかったのか、それとも聞こえないフリをしていたのか……。


 ――というわけで、わたしと貢、そして悠さんの三人でのささやかな茶話さわ会が始まったのだった。

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