キスの答え合わせ ②
――そんなこんなで翌日……。
「絢乃さん、今日で二年生も終わったんですね。お疲れさまでした。――ところで、通知表の成績はどうでした?」
オフィスへ向かう車内では、彼も普段どおりの態度でわたしに接してくれているつもりだったようだけれど、どことなくぎこちなかった。
特に、いきなり成績の話題なんか持ち出すあたりが……。
「あー、うん。五段階評価で、体育以外はオール5」
「へぇー、スゴいですね。でも体育だけはやっぱりダメなんですか」
「だって運動オンチなんだもん。悪い?」
自分だって運動オンチなくせに、彼はそこをからかってきた。
「いえ、別に悪くはないですが……。絢乃さんにも苦手なものがあったんだなぁと思うと、微笑ましくて」
彼が笑いながらそう言って、運転席からチラリと流し目をよこしてきた。
ふと目が合うだけで、前日彼にファーストキスを奪われた記憶がムクムクと思い起こされ、顔がかぁっと熱くなった。
「……………………そう」
ボソリと相槌を打ったわたしから、彼も気まずそうに視線を逸らした。
――里歩、やっぱりわたしには〝いつもとおんなじように〟なんてムリよ! と、心の中だけで
「――あああの、絢乃さん。……昨日のこと……なんですが、本当に……怒ってらっしゃらないでございますか?」
彼はまだ前日に自分が犯した失態(だと本人は思い込んでいた)を引きずっていたようで、訊ねる声も上ずり、日本語も何だかおかしくなっていた。
「だから怒ってないってば。しつこいよ」
「…………はい」
自分で「忘れて下さい」と言ったくせに、わざわざ話題を蒸し返すのはやめてほしい。それでなくても、わたしの頭の中はもうグチャグチャだったのだから。
わたしがぶっきらぼうに答えると、彼はしゅんとなっていた。
* * * *
――事態が動いたのは、その日の夕方近くのこと。ある思いがけないひとりの訪問者がそのきっかけとなった。
「――桐島さん、この資料なんだけど誤字チェックちゃんとした?」
わたしは彼をデスクの側に呼び、彼のミスを指摘した。
この日の仕事は、お互いにもうボロボロだった。普段のわたしと彼にはあり得ない凡ミスを連発しまくり、各方面に多大な迷惑をかけまくっていたのだ。
「あっ、すみません! うっかり忘れてました!」
「ほらここ、誤字だらけでしょ。悪いけどやり直して。誤字チェックは書類作成の基本でしょう?」
「ハイっ! すぐやります!」
彼はわたしが見せたプリント用紙をひったくるように奪うと、自分のデスクに戻って資料の文書ファイルを開き、ひたすらバックスペースキーを叩きまくっていた。
そういうわたしも、彼をチラチラ気にしながらため息をつき、メールの処理をこなしていたのだけれど……。
「――ああっ! 会長、そのメールは転送されてきたメールなので、ちゃんと村上社長宛てに送り返して下さいと申し上げたじゃないですか! そのまま専務に送り返さないようにと!」
「…………えっ!? 何これ!?」
わたしは彼のシャウトで、ハッと我に返った。
彼はすさまじい速さで資料を作成し直したらしく、プリントアウトされたその書類を手にしてわたしのデスクの側に来ていたのだ。
「あー……、そうだったね。ゴメン。やだもう、わたしったら何やってるんだろう……」
わたしは頭を抱えながら同じメールを村上さん宛てに送信し直し、
「――あ、山崎さんですか? 篠沢です。ゴメンなさい! わたしったらボーッとしてて、村上さんに返さなきゃいけないメールをそのまま貴方のところに返信しちゃって……。申し訳ないんですけど、そのメールはそちらで削除してもらえますか? ……ええ、お願いします。お手間取らせちゃってホントに申し訳ないです」
…………はぁぁぁぁぁぁぁぁ~~っ。――わたしは受話器を戻すと特大のため息をついた。
会長に就任して三ヶ月ほど経とうとしていたけれど、こんな初歩的な、凡ミス中の凡ミスをしでかしてしまうなんて。
「もうやだ……」
「……あの、すみません会長。全部僕が原因ですよね? 昨日あんなことをしてしまったから――」
「だから違うってば。貴方ひとりの責任じゃないよ。もう謝らなくていいから。ただ、わたしも仕事に身が入ってないだけなの」
わたしは落ち込む彼を慰めた。わたしが仕事に集中できなかったのは、わたし自身のメンタルが弱いせいでもあったのだ。彼ひとりに責任を押しつけるようなことはしたくなかった。
「そうですか。では、そろそろ休憩に致しますか? コーヒーお淹れしますね」
「うん、ありがと。お願い」
ヴー……、ヴー……、ヴー……。
わたしが返事をしたタイミングで、彼が着ていたジャケットの内ポケットからスマホのバイブ音がした。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい。電話が……」
彼はスマホのディスプレイを確かめると、「げっ」と声を漏らした。表情を窺うと何だかちょっとウンザリ顔だったので、わたしは誰からだろうと首を傾げた。
「出てあげたら?」
「はぁ、よろしいですか? では、ちょっと失礼します」
なかなか電話に出ようとしない彼を促すと、彼はわたしに断りを入れてから応答ボタンをスワイプした。
一般的にオフィス内では電源を切っておくのがマナーだけれど、秘書は例外である。というか、我が篠沢グループに限っては社内でも電源を切る必要はない。マナーモードに設定しておくだけで十分なのだ。
「――もしもし? ……うん、まだ仕事中。会長室にいるけど。……はぁっ!? 今、すぐ近くまで来てる!? マジかよ! っていうか、俺の仕事中に電話してくるなって言ったじゃん!? だいたい、そんなこと俺の意思だけじゃ決められないし、返事できないし!」
電話に出た彼の口調は、普段の丁寧な調子ではなくぞんざいだった。一人称も「僕」ではなく「俺」になっていたのでプライベートな電話、それも親しい間柄の相手からなのだとわたしも直感で気づいた。
……まさか、他の女性から!? とも思ったけれど、よく考えたら彼は今フリーだと言っていたことを思い出した。
それに、もしも親しい間柄の女性がいたとしても、彼が女性に対してそんなぞんざいな口調にはならないはずだ。
「……ねえ桐島さん? お電話、どなたからなの?」
わたしがおずおずと訊ねると、彼はスマホから耳を離して短く「兄です」と即答した。
彼のお兄さまである
「でも、今日って平日でしょ? お兄さま、お仕事はどうしたんだろうね?」
「それが、今日はもうバイトが入ってないから、会長に挨拶したくていまこのビルの近くまで来ていると言ってまして……。どうしましょうか?」
彼はお兄さまへの返事に困っているようだった。 事前の
それに、彼のお兄さまにお会いするのを、実はわたしも楽しみにしていたのだ。
「桐島さん、わたしが直接話すわ。電話、スピーカーにして?」
「……えっ? 分かりました。――兄貴、ちょっと待ってて。会長が直接お話ししたいって」
彼は電話の向こうのお兄さまに一言断りを入れてから、スピーカーのボタンをタップしてわたしのデスクの上に置いた。
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