キスの答え合わせ ③

「――桐島さんのお兄さまですね。初めまして。わたし、会長の篠沢絢乃です。貢さんにはいつもお世話になっております」


『えっ、マジ!? 絢乃ちゃん!? 初めまして、オレが貢の兄の桐島悠っす。こちらこそ、ウチのていがいつも世話んなってます』


 初めてお話しする悠さんは思っていた以上に気さくな人で、いきなりわたしのことを「ちゃん」付けで呼んだ。


「おい、聞こえてるぞ! 〝〟って何だよ、愚弟って!」


 スピーカーフォンにしていたので、もちろん貢も一緒になって聞いていた。「愚弟」と言われたことに対してムッとした彼は、お兄さまに食ってかかっていたけれど、悠さんは「ゴメン」の一言もなく見事にその抗議をスルーしていた。


「まあまあ、桐島さん。――お兄さまのことは、貢さんから伺ってます。今、近くにいらっしゃるんですよね?」


『うん。えーっとね、JRの東京駅から西に行ったとこ……って言ったら分かる? これから会いに行きたいんだけど、時間大丈夫かな?』


 悠さんが教えてくれた現在地は、篠沢商事ビルから徒歩十分もかからない地点だった。

 幸いにも、この日は他に来客の予定もなく、午後イチで仕事を始めていたので大方片付いていて、わたしの手も空いていた。


「ええ、大丈夫ですよ。わたしも今は時間に余裕がありますし、悠さんは桐島さんのご家族で、わたしにとっても大事なお客さまですから」


「ちょ……っ、ちょっと会長!?」


 横で貢が目をいていたけれど、わたしはあえて見ないフリをした。……今にして思えば、わたしってけっこうヒドい上司かも。


『そう? ありがとう! っていうかオレ、アポなしなんだけどいいのかな?』


 悠さんも、事前アポがないことを気にしていたようだったので。


「う~ん、本当はあまりよくないんですけど……。分かりました。では、この電話をアポということにしてはいかがでしょう? 受付にはわたしから話を通しておきますので、悠さんはそのままお越しください。いらっしゃった時に受付でお名前をおっしゃって頂けましたら、一階までお迎えに参りますので」


『うん、ありがと。そうさせてもらうわ。じゃ、あと五分くらいで着くと思うからまた後で☆』



 ――通話が切れると、彼がブスッとした顔でスマホを内ポケットにしまった。


 彼の言いたかったことはよく分かる。ものすごく。でも、わたしはあえてすっとぼけた。


「……なに?」


「『なに?』じゃないでしょう! なんで僕の意思を無視して二人で決めちゃってるんですか!」


 そしたら彼は、案の定わたしに噛みついてきた。


「別にいいじゃない。今日はこのあと予定もないことだし、快く出迎えてあげれば。何か不都合なことでもあるの?」


「…………えーっと」


 わたしがそう訊ねると、彼はちょっと困ったような顔になった。


「……実は昨日の夜、兄に電話でを話したら、『兄ちゃんがひと肌脱いでやるから心配するな』って言われたんですよ。でもまさか、それがこういう意味だったとは……」


 彼が困っていた理由がそれで分かった。まさかお兄さまが会社まで来られるとは思っていなかったらしい。


「へえ、いいお兄さまじゃない! どうして会社にいらしてほしくないの?」


 わたしは一人っ子なので、彼がどうしてお兄さまの来訪を渋っているのかその理由が思い当たらなかった。


「それは……ですね、別に来てほしくないわけではないんですけど。何となくちょっと面倒くさいといいますか……」


 どうやら、仕事に私生活プライベートを持ち込むようでイヤということらしかった。



「――とにかく、受付には話通させてもらうわよ。もうすぐお兄さま来ちゃうから」


 わたしはそう言うと、再びデスクの上の受話器を取り上げて内線番号を押した。


「お客さまをおもてなしすることも、会長の大事な仕事なんだからね」


「……それは、分かってますけど……」


 まだぶうたれていた彼にわたしが苦笑いしていると、受付と内線電話が繋がっていた。


「――あ、篠沢ですけど。お疲れさまです。あのね、もう少ししたらお客さまがいらっしゃるので、来られたら折り返し連絡お願いしますね。秘書室の桐島さんのお兄さまだから。……ええ、よろしく」


 受話器を戻すわたしに、彼はまた口を開いた。


「……僕が兄に来てもらっては困る理由はですね、なんか授業参観に親が来た時みたいな気持ちと言ったら分かって頂けます? イヤというわけではないですが、会社での自分をさらけ出すようで、気まずいというか何というか……」


「ああ……、なるほどね。何となく分かるかも」


 彼がわたしに、仕事がバリバリできる有能な秘書ぶりを見せたいという気持ちは理解ができた。彼も大人の男性なので、それなりに見栄みえ沽券こけんもあったのだろう。

 そして、授業参観の時に感じていたなんだか落ち着かない、ソワソワした気持ちも。大人になってまで、そんな気持ちを味わうのが彼はちょっとイヤだったのだろうと。


「そういうものなのかなぁ? わたしはママと同じ仕事を共有してるから、あんまりよく分かんないけど」


 でも、わたしは例外といえば例外だった。オフィスでも家でも(もちろん学校でも)、わたしはいつでも素の自分でいたから。「見栄ってどこの言葉?」という感じ。――もそうだけれど。



「――はい、会長室。……ええ、今お着きになったんですね? 分かりました。ありがとう。じゃあ、今下りますね」


 再び一階受付から内線が入り、悠さんの来訪を告げた。


「――桐島さん、わたし今からお兄さまをお迎えに下まで行ってくるから。貴方はここでお留守るす番よろしく」


「……えっ!? 会長が行かれるんですか?」


 彼はわたしの言葉に、明らかに困惑の声を上げた。


「うん。だってわたし、貴方のお兄さまに一度お会いしたかったんだもん。それに、貴方が行ったらお兄さまとケンカになるかもしれないじゃない。それは貴方もイヤでしょ?」


「…………うー……、それは……まぁ。ハイ」


 わたしの指摘は図星だったらしい。渋々ながら、彼は頷いた。

 そんな彼を尻目に、わたしはウキウキしながら会長室を後にした。



 エレベーターで一階まで下りると、ロビーに置かれているオリーブグリーンのソファーから一人の男性が立ち上がった。一階の床にはカーペットが敷き詰められていないので、わたしの靴音に気づいたらしい。

 年齢は三十歳前後で、貢が言っていたお兄さまの年齢とも一致する。身長は貢より少し低く、髪は茶色に染められていて、デニムパンツに白のTシャツ、カーキ色のジャケットという少しカジュアルな服装だった。


「――初めまして。こんにちは! 桐島さんのお兄さま……でいらっしゃいますよね? 先ほどはご連絡ありがとうございます。わたしが〈篠沢グループ〉会長の篠沢絢乃です」


「やあやあ、キミが絢乃ちゃん? こんちー☆ 桐島悠でっす。ぅおっ、それ制服? いいじゃん! 可愛いよ!」


 悠さんは底抜けに陽気な人のようで、わたしに挨拶を返したと思ったらわたしが制服姿だったことに気づいてハイテンションでベタ褒めしてくれた。


「ありがとうございます。悠さんはラッキーですよ。わたし、今日が終業式だったので」


「あ、そうなん? よかった、今日来られて」


 実は春休みに入ったら、わたしはその期間中は制服出勤を封印するつもりでいたのだ。


「オレさ、実はキミの制服姿拝めるのも楽しみだったんだ♪ 四月から高三だったっけ」


「はい」


 わたしの学年は貢から聞いていたのだろうか。それとも、就任記者会見でわたし自身が言ったことを憶えていたのだろうか?


「んじゃ、オレのちょうど一回り下かぁ。これじゃ犯罪だよなぁ」


「……え?」


「いや、冗談だよ」


 キョトンとしたわたしに、悠さんは豪快に笑ってそう言った。……どうでもいいけれど、そこがオフィスビルのロビーだとちゃんと分かっていたのだろうか? ちょっとは空気を読んでもらいたい。



 真面目なおとうととは違って、お兄さまである悠さんはちょっと軽いというか、ある意味女性受けしそうな感じの男性だとわたしは思った。きっと女性の扱いにも慣れているのだろう。


「ここでの立ち話も何ですし、会長室へご案内します。行きましょう」


 わたしは悠さんを促し、二人でエレベーターホールへ向かった。


「――ところで、貢さんがビックリしてましたよ。まさかお兄さまが会社までいらっしゃるとは思わなかった、って」


 そこまでの道すがら、わたしは貢が言っていたことや、お兄さまに会社まで来られることを渋っていた理由などを悠さんにお話しした。


「……だろうなぁ。アイツ、仕事中はネコ被ってるだろ? きっと絢乃ちゃんにオトコとしていいとこ見せたいんだろうな。オレが来たら、ボロ出しちまうんじゃないかって気にしてんだよ」


「ボロ……は出てると思います。若干じゃっかん


 わたしは苦笑いした。普段わたしの前では「俺」なんて言わなかった彼が、お兄さまからの電話では思いっきり「俺」と言っていたし、言葉遣いもかなり砕けていたし。


「何だかんだ言っても、彼はお兄さまが大好きなんだと思います。だから昨日も、困り果ててお兄さまにお電話したんでしょうし」


「あれま。アイツ、そのことまでキミに話したのか。――まあ、オレが今日ここに来たいちばんの理由はそこなんだけどさ」


 悠さんもさぞ驚かれたことだろう。まさか弟さんから電話でそんな泣き言を聞かされて。


「アイツ、電話で何て言ったと思う? 『兄貴、どうしよう!? 俺、会社クビになるかもしれない!』って、そんなん聞かしてオレにどうしろっつうのよ。んで、理由訊いたらキミのファーストキス奪ったって白状してさぁ」


「…………そうだったんですか」


 それを聞いて、わたしは悲しくなった。彼はそこまでわたしを信用していなかったのか……。


「わたしも、昨日散々言ったんですよ。『貴方のこと、絶対クビにしない。辞めてもらっちゃ困る』って。どうして信じてもらえないのかな……」


「ホンっっトにゴメンねー、絢乃ちゃん。アイツ頑固だからさぁ、オレが電話で何言ったって聞きゃぁしねえんだもん。だからここは、直接話するべきなんじゃねえかと思って今日ここに来たってワケ」


「なるほど……」


「アイツ、まだキミと気まずいまんまなんじゃね? いつもならしねえ凡ミスとかやらかしてそうだな」


「……はい、おっしゃるとおりです。わたしもですけど」


 この状況をどうにかしないといけないと思っていたのは、わたしも同じだったけれど。具体的に何をどうしたらいいのか分からなかったので、悠さんが来て下さったことはまさに〝渡りに船〟だった。


「今ごろ、貢さんが会長室うえでクシャミしてるかもしれませんよ」


「ああ、オレたちがウワサしてるから?」


「はい」


 わたしと悠さんは、エレベーターに乗り込むとそんな会話をして笑い合っていた。



   * * * *



 ――ちょうどその頃。


「…………っぶへっくしょいぃぃ! 誰か俺のウワサでもしてんのかな」


 会長室で留守番をしてくれていた貢は、盛大なクシャミをしていたらしい。

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