夢幻の如く

波 七海

1.寄生 ~寄り添い生きる~

ツイッターのタイムラインに流れてきた漫画がある。

『家猫ぶんちゃんの一年』と言うタイトルだ。

ツイッター垢があるなら見てみて欲しい。

https://twitter.com/shinzokeigo/status/1231054374538858498


飼い主の男性とぶんちゃんが微笑ましくたわむれる様子はわずか3ページしかない。

しかし、それだけで両者の関係は伝わってくる。


所々でクローズアップされるぶんちゃんの表情。


鳴きかけても一向に反応を示さない男性にぶんちゃんは何を思ったのか?


男性を想い起こすぶんちゃんの心に去来していた感情はどんなものであったのか?


男性を見送るぶんちゃんの気持ちはどのようなものであったのか?


ぶんちゃんが新しい家族に迎え入れられて、新たな名前が与えられた時の気持ちはどのようなものであったろうか?


この漫画では、ぶんちゃんは色々な顔を見せてくれるし、男性に対する想いと言うものが痛いほどに伝わってくる。

飼い主の男性を見送るぶんちゃんが惜別の思いを抱いていたのかは分からない。


例えこの漫画が単なるフィクションであり、動物が人間に対して単純な感情以外に何か思うところがあるなど、人間の幻想に過ぎないと一笑に付すことは簡単である。


私を始め、この漫画を読んだ方々が抱いたであろう気持ちも所詮、人間本位な見方に過ぎないと思う人もいるかも知れない。


この世界に愛はない。希望に満ちてもいない。

勝手に期待しては裏切られることなんてザラである。


それでも、人間は期待せずにはいられない。

幻想を抱かずにはいられない。


人間はこうりたいと理想を追い続けるべきなのだ。

そしてもっとお互いに寄り添うべきなのだ。

SNS上の児戯じぎにも等しい『おままごと』とは違う関係を構築するべきなのだ。

(※SNSを否定する訳ではないです。あくまで一部にそう言う人がいると言うこと)


私は思う。


ぶんちゃんは間違いなく飼い主の男性に寄り添っていた。

そして男性の方も。


切なく哀しい結末だが、理想はここにある。


※※※


実を言えば、私も今年の4月2日に飼っていたポメラニアンを亡くした。

電撃大賞用の作品を書いている頃の出来事だ。


私の人生は悔いで満ちている。

当然、彼女が息を引き取った時も後悔に襲われた。


幼少期の頃からトイレのしつけなどで厳しく叱ったこと。

私の体調が悪く起き出せない中、一階の廊下でずっと鳴いていたのに構ってあげられなかったこと。

最初は玩具を使って遊び相手になっていたが、その時間も段々と減っていったこと。


もっと優しく接していれば。

もっと構ってあげていれば。

もっと私の精神状態がまともであれば。


きっと彼女はまだまだ長生きできたと思ってしまうのだ。

彼女は元々腎臓が悪かったが、延命だってできたかも知れない。

それが彼女にとって幸せなことなのかは分からないけれど。


葬儀に出した時の彼女の顔が目に焼き付いて離れない。


私は彼女に寄り添ってあげることはできなかった。

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