見知らぬ指輪

@chauchau

三日早まる


 後悔。

 自分のしてしまったことを、あとになって失敗であったとくやむこと。


 紙の上を二度、三度と指でなぞっても記載されている文字に変化は訪れない。編纂者にケチをつけるわけにもいかず、私は中学時代から愛用している古ぼけた辞書をそっと閉じた。


 同棲を始めるときに二人で購入した壁掛け時計が時を刻む。カッチカチと針の音がいつも以上に耳に付く。

 慣れないことはするものではない。二十分前の愚かな自分を叱り飛ばしてやりたいが、猫型ロボットの居ない私では過去に戻ることなど出来るはずがないのだ。


 どうして私は部屋の掃除なんてしてしまったのだろう。

 大人しく彼の帰りを待っていれば良かったんだ。いつもみたいにテレビをつけて大笑いしていれば良かったんだ。そうすれば、こんなことにはならなかったんだ。


 押入の奥に見知らぬ紙袋を見つけた時に引き返せば良かった。

 二重になっている袋、内側の袋は私でも知っている有名ブランドの袋だと気付いた時に引き返せば良かった。


 好奇心は猫を殺す。

 殺すのは猫だけではなく、愚かな女もだ。


 袋の中の小さな箱、

 大切に保管されていたのは、一目で高いと分かる見知らぬ指輪。


 付き合い始めて四年目。

 同棲を始めて二年目。

 お互いの誕生日は、ちょっと良いお店を予約するだけの彼がホテルのディナーを予約した時は、おかしいとは思ったけど、まさかと心に蓋をした。


 言いました。

 そういえば、言いました。


 誕生日に夜景の綺麗なホテルでプロポーズとかされてみたい。


 付き合う前のただのサークル仲間だった時に酔った勢いで言いました。

 言いましたけど!


「くぉぉぉぉぉ!!」


 無理だ。

 とてもじゃないが無理だ。


 何が?


 決まっているじゃないか!

 指輪を見つけたことを黙っていることをだよ!!


 無理! 無理! 本当に無理!

 いますぐにでもプロポーズされたい! いますぐに返事がしたい! もうニヤける顔がどうやっても元に戻らない!


 でもきっと彼はもう随分と前から準備してくれていたはずだ。

 それを私の我儘でなかったことにするというのか。黙っていることも、騙すことも人生に於いては大事なこともある。素直なことが全てではないのだ。


 知るかァ!!

 いますぐに彼の胸に飛び込んでキスしたいんだよ、こっちは!! 正論なんざ糞くらえだ!!


「うぅぅぅぅううぅう!!」


「呻き声が外にまで響いているけど、今度は何をしでかしたんだ?」


「好きッ!!」


 ネクタイを緩めながら帰宅した彼の胸に、猪突猛進、押し倒す勢いで私は飛び込んだ。


「俺も好き。んでもって、泣き止もうな」


 受け止めてくれた彼の指が涙をふき取った。

 近所迷惑考えずに泣きじゃくる私の続く言葉に、さすがの彼も動揺を隠し得なかったが、


「締まらないけどさ」


 心配で顔を覗かせたお隣さんに拍手喝采されました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

見知らぬ指輪 @chauchau

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説