第119話 ちょっと早いけど決起会!
さらに数日が経った日のこと。
「ただいまー!」
「おかえりー」
部室にやってきてこんな挨拶する戸水さんに対して、月見里さんはそう返す。別にふざけてるわけでも、この前みたく何かシチュエーションを決めてやっている訳でもないのだ。
「仕上がった原稿、ばっちし文芸部に渡してきたよー!」
そういうことである。
かれこれ原稿制作に意欲を注ぐこと一週間。三人とも納得のいくものがようやく完成し、その原稿を製本担当の文芸部に届けてきた帰りだからだ。故にこんな感じの珍しいやり取りになったのだ。
「お疲れ様、若菜」
「あぁーキツかった……」
「それもこれも、わかちーが最後のページ破いちゃうからじゃないですかー」
「ぎあいはいりずぎであ゛あなっぢゃっだのよぉぉぉぉ……」
昨日のこと。漫画担当で一人作業を続けていた戸水さんは、完成に向けて気合い最高潮な状態であった。
そして最後のページを描ききったその瞬間。訪れたのは喜びと達成感かと思いきや、それは一瞬のことであり。直ぐにそれは悲しみと虚しさへと変わっていった。
喜びがあまりに大きかったのか、感情溢れて力が入りすぎて、Gペンで完成したばかりの原稿に穴を開けてしまったのだ。
幸いにも? 穴が空いたのはその最後のページだけだった。しかしせっかく仕上げたものが一瞬でも台無しとなり、描き直しとなればそりゃあ虚しくなるのも頷ける。莉亜も昔、そんなことがありましたし。
「はいはい。泣かない泣かない。締切には間に合ったんだから良かったじゃないの」
「よ゛がっだげどざぁぁぁ……」
「うわぁわかちーめっちゃ泣いてる」
悲劇のあった昨日は、泣くよりも前に虚無感で目が濁っていた。
しかし今日となってはこの有様である。昨日のことを思い出してかもう涙が止まらなくて止まらなくて。
「あ゛っへぇね゛ぇぇぇ……がぎなお゛ずのあ゛へでもうやる気ガクッとざがっぢゃう゛じぃぃぃ……」
「泣きすぎよ……若菜」
「みなどじゃんどがおるじゃんにもゔえいわぐがげじゃうじぃぃぃ……」
「戸水さんティッシュあげるので涙と鼻水拭いてから話してください」
それで顔がぐじゃぐじゃになってるし、滑舌悪いわで。もう滅茶苦茶だよ。
今俺の隣に座ってる葉月と蕾、怖がって何も言えずにいるんだから。
てかあんたら。それでちょっと俺の後ろに隠れたくなるのはわかるんだが、背中の肉ごと俺の制服を掴むのはやめてくれないか。めっさ痛い。
今の二人には、戸水さんはどんな風に見えてんだ。魑魅魍魎の何かか。それとも服だけを溶かすというご都合主義能力持った灰色のスライムか。
ともかく。ズボンのポケットからポケットティッシュを取り出して戸水さんに渡す。それを彼女はシュバっと受け取った……というか強奪するくらいの勢いだ。鼻をかんで涙を拭えば、見えた顔はやけに清々しくて。
「ふぅ……スッとしたわぁ……。とまぁなんやかんやあったけど。無事に原稿は完成しましたよ、と」
「さっきの振る舞いをなんやかんやで片付けようとしないで下さい」
さっきまで盛大に泣き崩れていたとは思えない豹変ぶりである。
「そういう訳で! ちょっと早いけどこれから決起集会しよっか!」
「いきなりすぎるっすね」
「でも決起って……」
茅蓮寺祭での漫画研究部としての活動項目だけど、ほとんどがこれまでやってきた事前準備だ。演劇部に演目の脚本を提供したり、文芸部と制作する漫画を執筆したり。
当日に漫画研究部としてやることとすれば、地域ボランティア主催のフリーマーケットの手伝いくらいだ。決起と言われても特に何を頑張ろうって言ったらいいものなんだか。
「当日になんか気合い入ることありましたっけ?」
「若菜はいつもこんな感じよ。湊も詩織もわかってるでしょう」
「そーっすよねーひなちー。わかちーは何やるか分かりませんもん」
それにまだ、茅蓮寺祭当日までは日にちがある。決起と言っても早すぎると思っているのは、ここにいるほとんどがそうだろう。
「確かに当日までにこっちでやることって、ほとんど終わってるけども」
「演劇部からはなんか連絡ないんすかしおりん」
「昨日もうすぐ完成しそうだって言う連絡なら、鏑木さんから来ていたわよ」
「近いうちに、また呼ばれるかもしれないっすね」
「だったら葉月たち、みんなよりも先に見ることができるですよね!」
「そういうことになるわね。試写会みたいなものだから」
脚本を提供した側として、完成したものを誰よりも先に見ることができるという特権が与えられているのだ。
「思うけどなんで私に連絡よこさないのかしら」
「知らないわよ」
「まぁいいわ。ということで! 決起会ってことで今からファミレス行こうか!」
「ファミレス行くのはいいすけど、決起会にしちゃ早いんじゃないすか」
「いつ行ったって良いじゃないの! やるって決めたらやるよ! 気合いを入れる会なんだから、前日だろうが二週間前だろうが関係ないじゃない!」
これ……もう行く流れだな。この人って割かと強引に物事進めていくからなぁ。半年も同じ部活で活動してりゃ、先輩がどういう人かってのも、嫌ってくらいにわかる。
「ということで今からバス停まで競走だーい!」
「あーずるいっすよわかちー!」
「ちょっとー! 二人とも走ったら危ないわよー……」
我先にと出ていった戸水さんを先頭に、ワラワラと部室から出ていく。落ち着きがないってのはこの部活の特色だな、もう。
部室は閉められ、鍵は槻さんが返しに行った。残ったのは俺と蕾だけに。
「……俺らも行こうか」
「そう……だね」
近くの階段に向かおうとしたところで、蕾がクイッと俺の制服を掴んだ。
「どうした蕾?」
「えっと……その……。茅蓮寺祭の日、なんだけど……よ、良かったら……」
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