無欲


––– 不思議な感覚だった。

感情は凪いだ海面の様に穏やかで、

今、置かれている状況に対しても恐怖を感じることもなく…ただただ、気持ちが落ち着いていた。

 それに反して右手に握った刃は、熱を帯びた様に煌々と光を放ち、暗闇を照らした。


 僕はゆっくりと刃を動かすと、まるでバターの様に切れていく幼虫。


 ……なんだ。弱いじゃないか。


 そもそも、何で僕は戦ってるのだろう?

世界を守る? いいや、違ったな。

 リラさんに良いところを見て欲しかったんだ。

 ––– 何故?


「何故だったかな?」

僕は刃を振ると、覆いかぶさっていた幼虫イヴェは吹き飛び消滅した。

『……ユウト!! 全部飲み込まれたらアカン!!』

 そう、刃から聞こえるカアクの声。


 –––うん? だって、こんなに気持ちがいいんだよ? 安心してよ。あの醜い化け物をすぐやっつけるから。


 僕は立ち上がると、幼虫イヴェが這い出る卵めがけ、刃を振り抜いた。

 すると、蒸発するかの様にそれらは消え去っていった。

「さて、と。ボスを倒さなきゃ」

 僕は地面を蹴ると、その身体の速度に刃が遅れる。内心、カアクちゃん、しっかりしてよ。と、思いながら、僕は女王蟻に向けて刃を突き立てると、何の苦もなく女王蟻は弾けて消えた。

「あ、ラッキー。巣ごと破壊出来たみたいだ」

 直ぐに裏側世界は解除され、目の前には気を失ったリラの父親の姿が現れた。


 …おやぁ?

リラさんが両手で口を覆って、哀しそうな顔をしてるぞ?

 そこは喜ぶべきだよって、教えてあげようかな? ほら、僕、こんなに強くなったんだよ?


「ユウトの! 卑怯者!!」

 そんな思いに反して、リラの放った言葉が理解出来ず、僕は、「えっ?!」と、言葉を詰まらせてしまった。

「私の!気持ちはどうだっていいの?!

なんで、あなただけ……いつも自分を苦しめるのよ…… なんでっ!私の想いを置き去りにするのよっ!」

 そう言うリラは泣いていた。

『カアク……リラに全部聞こえていたぞ』

そう語るナロゥの声も消沈しており、イヴェの巣を破壊し喜ぶべき状況のはずが、悲しみに暮れるこの事態が僕を困惑させた。


 僕の手から離れ、刃から姿を現したカアクは「ユウト…罪を被りすぎや。アンタの真面目な性格が仇となってもうたんやな」と、肩で息をしていた。

 同じく実体化したナロゥは「今のユウトは人間の許容値を遥かに超えている。現に、今の動きで四肢のすじがズタボロになっているのに平然と立っている事が異常だ……」と、僕に視線を投げてよこした。


 ハムの悲しげな鳴き声の後に、リスタも同調して口を開く。

「つまり、精神に肉体がついていけず、このままではユウトの身体は朽ちてしまう…と」


 そんなやりとりの中、僕はまるで他人事の様に会話を聞いていた。

 ……だって、何だか、どうでも良くなってしまったから。


「ユウト、また逃げるの?」

そう口を開いたのはリラだった。彼女は固くてのひらを握りしめており、その拳は小刻みに震えていた。


 ––– リラは、以前の弱い僕に戻って欲しいのだろうか?

「僕に、また苦しめと?」

「そうよ」

「こんな理不尽な世の中で足掻けと?」

「そうよ」

「だって、生きる事は辛い事だらけだよ?」

 そう言った刹那、彼女の掌が僕の頬を打ち、乾いた音が部屋に響いた。


「アナタが! 教えてくれたんでしょう! 自分を手に入れる為なら、いばらの道でも進むって事を!」

 そう叫ぶリラの顔はしわくちゃで…

でも、その必死に訴える声は僕の心に小波さざなみを立てて……

 そして、次の彼女の言葉に、僕の心は大きく揺すぶられる事になったんだ。


「私がっ!!好きになったユウトは! 今のアナタなんかじゃない!!」


     次回! 『共犯』

         お楽しみに!!


––– 僕の歴史に、また新たなる1ページ!

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