落語異聞録
Aba・June
第1話 異聞品川心中
えー江戸と申しました頃。本橋と京橋との中間あたりの中橋というところに、貸本屋の金蔵という男がおりました。この金蔵という男、小柄で丸顔、目は細くて口が大きい。鼻は胡坐をかいている。よく言えば愛嬌がある。おっちょこちょいな話をする。悪く言う人はいないが、まあしかし、いい男じゃない。
裏長屋に住んでいて貸本屋で細々稼ぎ、時たま品川に女郎を買いに行くのが楽しみ。と近所の連中は思っておりました。
ところが、ところが、この金蔵、盗人が本職で、それも相当に腕の立つ奴でありました。人は見かけによらないというのの見本みたいなやつでございます。
表向きは貸本屋でございますから、大きなお店やお金持ちのお妾さんなんかの家にも出入りをいたします。
「いやあ、けっこうなお宅でございますなあ。おやすみになられるのはどちらで?」かなんか色々話をしましてな、間取りや金をしまってありそうな場所を、根気よく何回も通いながら探って参ります。
そいでもって「うん、あそこだな」と目星がつきましたら、今度は忍び込む機会を待ちます。
お店でしたら、お付き合いの宴会があるとか、お妾さんなら旦那が来ない日とか忍び込むのに都合がいい日をうまいこと聞き出します。
この金蔵盗みの技術は大したもんで気配を消して、ほんとに音もなく忍び込み、物色します。大体見当をつけていたところに金はあります。物には手を出しません。金に換えるとき足がつく恐れがあるからです。
こうやって金蔵は金を貯めこんでおりました。周りの人間はおっちょこちょいで人のいい、女好き、酒好きの、ちょっと抜けた人間と信じ込んでおりました。
実は金蔵は5歳のときに両親に流行り病で死に別れ、世の中の底辺で辛酸をなめております。その中で金蔵は盗人に拾われ育てられました。悪い奴は時たま良いこともしたくなるらしいです。その親代わりの盗人に教え込まれたのは盗人の技と「目立っちゃいけねえ」「他人からは馬鹿だと思われろ」ということでした。金蔵はそのとおりだと思い、それを守っていたのです。
ある程度金が貯まったら、どこか知り人のないところで余生をのんびり過ごそうと金蔵は考えておりました。
ところが、中橋あたりを縄張りにしている親分、この親分のところには金蔵も出入りをしているのですが、この親分、なんとなく金蔵が気になっておりました。悪党の親分なんてのは勘が鋭くなくちゃあ務まりません。子分だと思っていてもいつ寝返るか、寝首をかかれるか分からないんですから。
「どうもなんか金蔵の野郎は引っかかるなあ」と日頃から感じておりました。
そんな中、ある晩のことです。親分が深夜、博打の帰りに金蔵の長屋の近くに来ましたとき、人の気配を感じました。さっと天水桶の陰に身を潜めました。金蔵の長屋の方を覗っておりますと、一人の人影。その人影は辺りを見渡すとすっと音もなく長屋の戸を開けて中に入って行きました。夜目にも重そうな風呂敷包みを背負っているのが分かりました。古典的な泥棒の姿ですな。でも風呂敷包みを背負うと両手が使えて便利なんでしょう。今リュックで通勤する人増えていますが、それとおんなじ。
親分はにんまりとして、そっと立ち去りました。
翌日の晩、親分は品川の白木屋という女郎屋(品川では貸座敷と言ったそうですが)で、お
親分とお染は深い仲でして、親分が大事な話があると切り出したのです。
「お染、おめえも今、金がほしいだろ?実はな、いい儲け話があるんだが、乗らねえか」そう親分は切り出しました。
あの間抜けに見える金蔵が実は泥棒で俺の見るとこじゃかなり溜め込んでいる、それを二人で分けようじゃねえか。
「分けようたってどうするのさ」
「あいつはお前に惚れてる。そこにつけこむんだ。金がなくって苦しくてしょうがない、死のうと思うけど一緒に死んでくれないかと誘うんだ」
「そう上手くいくかねえ」
「そこは、板頭のお前の腕だ。な、桟橋から飛び込もうかなんか言って、あいつだけ突き落として殺しちまえばいい。酒をうんと飲ませて」
「そうだね。じゃやってみようか」
なんてんで、話がまとまります。
お染は翌朝さっそく金蔵に手紙を書きます。
金蔵は惚れた女からの手紙だから飛んでくる。お染の手練手管と酒をたっぷり飲まされたんで金蔵は心中を承知します。
真夜中、大引け過ぎなんて申しますが、お染は金蔵を起こして店の裏、桟橋に出る木戸のところに連れていきます。二人で暗がりの中桟橋を進みます。桟橋の突先に着きます。
金蔵の奴はガタガタ震えてしゃがみ込んで海を覗き込んでおります。お染がいろいろ言っても飛び込もうとしません。誰かに知られて追いかけてこられたら大半だとお染は焦ります。もうしょうがない。お染は腹を決めて五六歩下がると勢いつけて金蔵を蹴り落そうと突進しました。と、突然金蔵が立ち上がり振り返りました。結果として金蔵は身をかわしたような形になり、お染は「ぎゃー」と叫んで海にどぶーん。
「お染!」金蔵は叫ぶと泳げないのにお染目がけてどぶん。溺れている人を助けるときは泳いで行って助けようとするのは危ないそうですが、ましてや金蔵は泳げない。お染も泳げない。お染は今でいうパニックてえやつで必死に金蔵にしがみつく。金蔵は泳げないところにしがみつかれたから身動きが取れない、どうしようもない。いくら品川は遠浅と言っても、こりゃあ助かりません。スキューバダイバーの方なんかも波打ち際のなんでこんなところで?というところで溺れてしまうこともあるそうです。
翌朝、親分は首尾はいかにと品川にやって参ります。どうも街がざわざわしている。白木屋に入って若い衆に「何だか騒がしいが何かあったのかい?」と尋ねます。
「あ、親分。いやあ、大変なことになっちまったんで。お染とあの中橋の金蔵が海に飛び込んで心中しちまったんで」
「なにっ、心中だと」親分内心しめしめと思いましたがそんなことはおくびにも出さず驚いて見せます。
「ええ、なにしろお染さんもここんとこお客が付かなくてねえ。時々ふさいでました。金蔵はあれでお染さんに惚れてましたからね。部屋からお染さんが来てくれって金蔵に出した手紙も見つかったんでございますよ。ですから二人で心中」
「二人とも早まったことをしちまったなあ。なにも死ぬことはあるめえに」
親分はそういいながら、胸の内でにんまりしました。ゆっくり金蔵の長屋を家探しして金は俺一人のもんだ。お染に分けてやらなくていいようになったんだからな。成仏しろよ、二人とも。南無阿弥陀仏。
品川心中でございます。
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