第3話 因果応報

 先日、モンスターバイトに物を投げつけられた。軽い物でもなんでも物を人に投げつけるって常識なんですか? 気に入らないから人に物を投げる。

最悪です。子どものようなくだらない喧嘩に振り回されて、身を切る思いで戦って、得られるものって何もない。本当にくだらない。自分の過ちを修正しながら、生きていくのが人ではないのか? 

 私の母があんまりの悲惨の状態に占い師さんの所に行ってきまして、アドバイスを頂いたみたいです。

内容は

「今いる、娘さんの職場は5歳児の集まり。この10年は大変だったはず。良い上司の上で働いた方が良い。ただ、星座を見ると、かかってこいやっていう精神だから忙しいし、余計なトラブルに巻き込まれる。逃げるのも一つの手だと。良い環境の入り方もある」

 簡単に言うと”逃げなさい”ということ。

 余りのひどさに占い師さんも本当にそういう人がいるのかというぐらい酷い人らしい。そういう人は因果応報で孫や子孫に祟るとも言っていた。

 なんとも恐ろしい。思えば、因果応報や天罰、罰当たりとかっていう言葉が生まれるのはこういうことなのかと。

 私も正しい人間ではないし、間違いもあるし、対人関係だって全てが円満な訳ではない。自分の正しさを教えるのは間違いだと気づいた。しかし、何も言わないのも冷たいのではないかと思う。当たらず触らずで本当の絆や大切な何かを得られないのではないのだろうか。

人は人との関わりや環境でその人物像を作り上げる。自分を作るのではなく自分はその環境に順応しているだけではないのか? 自分を作るとは何か?

 私の意見はこうだ。

 一人でいる時間に何をしているのか? 誰とも関わらない、会社からも解放され、役職や肩書もなく、個として自分はどうあるべきかと考える。それを見出し、人生を有意義にし縁はうまく回っていくのではないのか? 

 私は上司との会話で言った。「私の評価は私が決めることではない。他人が決めることだ」と私と一緒にいたいと思ってくれる人が少数でもいればよいのではないか? 人生は出会いと別れの繰り返しである。環境が変われば人も変わる。

 何が正しくて何がいいのかわほんとのことろ分からないのである。

受け止め方は人それぞれである。本人が嫌な事だと思ったら”ハラスメント”であり、会社は利益を出さなければいけないから不利益な人材は不要。

しかし、労働問題が浮き彫りになり、人権侵害にまで及ぶほど悪質極まりない。自殺者の数と比例しているだろうか? 時間があれば調べてみたい。

「死人に口なし」と言う様に死んでしまったら、終わりなのである。

自分の証言や意見を言えず、他人の評価に任せ、周りを巻き込むので自殺は絶対にしてはいけない。自分の命を殺すから人殺しでもある。だれもが生きる権利を与えられているのだ。死ねば抗議することはできない。死人は誹謗中傷を浴びても何も語れない。だから、何も語らない方を悪く言うのだ。生きている人をかばう風潮さえある。死んでいい人間なんてこの世にはいないと思う。生をまっとうする。全うしていてもいつか壁にぶち当たるし、計画通りにいくならば間違いなんて犯さないだろう。

 どういう風に人生を修正していくかが課題だと思う。

 


 

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