4 少女は自分と向き合った
物見の報告が、続々と入って来る。そのどれもが、味方の優勢を知らせるものばかりだった。
日が傾きだした頃、南門付近で狼煙が上がったと報告が入った。
リウィーは、自らの目で確かめてくると、謁見の間を飛び出した。
戦いが始まる前、懸念されたのはフィルナーナの所在だった。
アポソリマで最も強固なのは、もちろん中心にある城だが、ここは一度、侵入を許してしまっている。とはいえ、ここ以外に防衛に向いた建物は、ない。
市中を移動し続けるわけにも行かない。表向きは、王はまだ生きており、城で臥せっている事になっている。王を置いて摂政が市中を逃げ回っているのでは辻褄が合わない。城に籠もる他なく、具体的にどこにいるべきかが検討された。最終的に城の中央かつ、最も広い謁見の間を中心に、相当数の兵を置いて防備を固める、という方法が取られることになった。
リウィーはもちろん、フィルナーナの側にいる。戦闘では役に立たないヒゲも一緒だ。
義勇兵からも何人か出すことになり、クリスの推薦で、クレッドが警護を担当する事になった。
昼過ぎから始まった戦いは、始めのうちは一進一退だったが、徐々に味方優勢の報告が増えていった。狼煙の報告があり、南が見える窓に貼り付く。空を飛ぶ影が集まり、城にまで届く大歓声。敵影が、後退している。
互いの陣営が大きく動き、戦いの
まだ抵抗があるように見えるが、勢いが逆転する事は、もはやないだろう。
けど。まだ終わったわけではない。来る。必ず。
何故、そこだと思ったのかは、良くわからない。
歓声で包まれる謁見の間をよそに、あの夜以来、誰も入る事がなくなった上層階に一人足を踏み入れた。階段前に常時、見張りの兵がいたが、決戦となるこの時は誰もいなかった。
フィルナーナの私室の前を通る。何度も、この部屋で夜を過ごした。つい最近の事だけど、遥か昔のような気もした。
姉と回合した廊下で、一人佇み、待った。
遠くで歓声が聞こえる。木蓋の隙間から差し込む西日が、廊下に濃い影を作っていた。
「答えは、出たか」
声。振り返る。そこにウィーナが、いる。
「やっぱり、分かり会える人は、いるよ」
何も言わない。無言で先を促してきている。
「ガスティールは。虐げられてきた人々を解放する、という事を利用している。口実にして、戦争をして、解放した人達を手駒として取り込んでいる」
「そんな事はわかっている。一方的な、一つの思惑だけで国が動くなどあり得ない。それでも、私達を。私を助けてくれたのは、間違いなくガスティールだ」
「その時は、そう、だよね。けど。嵐の民は、虐げられていたわけじゃ、ない」
「差別が無かったわけでは、あるまい」
「うん。でも、全く分かり合えなかったわけでもないよ。アポソリマにも、嵐の民が住んでいる。風の民と、結婚している人もいるよ」
「だから、何だ」
「戦う必要なんて、どこにも無かった。戦争を始めさせたのは、ガスティールだよ」
違う。ウィーナが、鋭く否定した。
「何故、戦争が始まったのか。それは、呪い、だ。過去から続く怨念。風の民は、報いを受けなければならない」
暗い声。呪詛のような言葉。でも。
「そうなったら、今度は風の民が、呪うよ。ガスティールを、嵐の民を。……狼の民を」
「……」
「気持ちはわかる、なんて、簡単には言えない。けど、呪いを子孫に。子どもたちに押し付けるのは、違うと思う。
子どもを産んだことはないから、わからないけど。自分の子どもに、祖先や自分がされた事を、教えるの? こんな仕打ちを受けたから、呪えって、言うの?
それは、子どもを呪っているのと、同じじゃないの?」
祖先が受けた仕打ちを、子孫に伝える。彼の者の子孫は、報いを受けるべきだ。
それは、一体誰のためなのか。それは、自らの子孫を呪っているのと、同じではないのか。
狼の民。血。能力。それは、祝福なのか、呪いなのか。
たぶん、どちらでもない。言葉は、想いは、どちらにも成り得る。
だったら、我が子に授けるものは、呪いではなく、祝福でありたい。
「虐げられている人を、救う。凄い事だと思う。偉いと思うよ。
けど、ガスティールがしている事は、呪いをかけているのと、同じだよ」
沈黙したウィーナは、腰に挿した短剣に手をやった。鞘の上から、握りしめている。
「だとしても。そうだとしても。私は、どうすればいいんだ?」
今度は、此方が沈黙した。どうしたら良いのか。わからない。
「ここで投降すれば、どうなる? 私は助かるだろう。だが、郷の仲間達はどうなる?
私が裏切ったと知られたら、どうなると思う?」
「……」
「フレイアが、レナリアが助けてくれるのか? いつ? どれだけ待てばいい?
その間に、何人、死ぬ? 何人、殺される?
それとも、全員で逃げればいいのか? 逃げ切れるのか?
逃げ切れたとしても、どこが受入れてくれるんだ?」
「……わからない」
「どうすればいい? 私はどうしたらいいんだ?」
「ごめん、わからない」
「お前は、仲間を見殺しにするのか。虐げられ、死にゆく仲間がいると知って、何もしないのか」
「それは……でも、だからといって、ガスティールにつくことは。出来ないよ」
「そう、だな」
ウィーナは、短剣を抜こうとはしなかった。ベルトごと取り外すと、投げ捨てた。
「答えなんて、無い、な」
仕草が。目が。これ以上、語る事はないと、言っていた。
言いたいことは言った。伝えたかったことは、伝わったと思う。ある程度、納得もしてくれたのだとも、思う。けれど、根本的な問題を解決できていない。
ガスティールは間違っている、だから従わない。それと、狼の民が救われるか否かは、違う問題だ。風の民や、嵐の民が救われるかは、別の問題だ。
別の問題だけど、それらの問題や主張は絡み合っていて、皆を同時に救う方法は、無い。
現時点で、狼の民を救っているのは、ガスティール。これは、まごうことなき真実だ。
そして、ガスティールの主張を受け入れるならば、風の民は滅びなければならない。
ウィーナは、引けない。
だからと言って、リウィーも譲ることは出来ない。
戦うしかない。
もっと時間があれば、何とかなるのかもしれない。
せめて、今が戦の最中でなければ。争うことも無かったのかもしれない。
けど、今、この場所で。今の、お互いの立場で。譲り合うことが出来ないのなら。
それ以外に、語り合う方法はない。
せめて、出切る事。
「これで、最後にしよう」
リウィーも、ベルトごと小剣を捨てた。
性格は違う。けど、考えていることはわかる。
戦う。狼の民として、全力で。
名も知らぬ神に祈った。私に、狼の神の、祝福を。
僅かな時間で、少女の身体は変化を遂げた。全身、白色の狼。
ウィーナもまた、同じ能力を開放した。目の前には、瓜二つの、白い狼がいた。
見た目は殆ど同じ。僅かに、目の色だけが違う。
リウィーは、右目が緑、左目が青のオッドアイ。
ウィーナは、右目が青、左目が緑のオッドアイ。
向かい合うと、まるで鏡を見ているかのようだ。
殆ど同じで、そこだけが違う。決して交わることのない、鏡の向こうの自分。
狼同士の戦いは、非常に単純なものだった。速度と力にものをいわせて、爪と牙を奮う。爪では、致命傷を負わせる事は難しい。犬同士の争いがそうであるように、喉に牙を突きたてた方が勝つ。単純で、わかりやすい戦いだ。
リウィーとウィーナの戦闘力は、変身時であってもほぼ互角だった。体格も、力も、敏捷性も。反射神経も、感覚の鋭さも、ほとんど同じだった。
違いが有るとしたら、経験の差。
ウィーナは、全身を変身させて戦う事がたびたびあった。己の任務の為に、能力を出し惜しみするような事はなかったのだ。
それに対して、リウィーは全身を変身させる事に
身体の変化に対する慣れ、というのは確実にある。特に全力で動く場合、習熟に対する差は大きい。さらに言うと、狼の姿で戦闘をした経験は、全く無かった。
経験の差は、少しずつだったが確実に現れて行った。爪などでできる小さな傷の数が、徐々に増えていく。僅かな痛みに、ほんの少し気を取られる。それで、また小さな傷を負う。
呼吸が荒くなる。流れた血と一緒に、体力もなくなって行く。一瞬でも気を抜けば、勝負はあっという間に決まるだろう。その戦いは、全力疾走を続けてどちらが先に根を上げるか、を比べるようなものだった。
戦い始めて、どれぐらい経っただろうか。それともまだ僅かしか経っていないのだろうか。西日は弱まり、徐々に暗くなってきている。限界が近い。
(心臓が、爆発しそう)
互いに隙を伺いあう間、呼吸を整えようと四苦八苦する。激しい動悸がそれを許さない。全身が、だるい。頭がクラクラする。切り傷なのか打ち身なのか、体中が痛い。
それでも気は抜けない。
(負けるわけには、いかない)
まだ死にたくはない。やりたい事は沢山ある。
クレッドと、もっと一緒にいたい。一緒にご飯を食べたり、遊んだりしたい。
仲間の為にも、死ねない。フィナに、もっと抱きつきたい。一緒に温泉に入りたい。クリスに、一度でいいから口喧嘩で勝ちたい。ホルムヘッドは、私が言わないと髭を剃らない。
ウィーナの為にも、死ねない。わかってあげられるのは、自分しかいない。何も出来ないかもしれないけど、寄り添ってあげたい。
故郷の、仲間。許されるのなら、もう一度会いたい。
気力だけは、充実していた。
今、勝っているものがあるとすれば、それだけだった。
残った体力を全て注ぎ込んで、最後の攻撃に出た。今の状態では、あといくらも持たない。ならば、次に全てを賭ける。一旦距離を取ると、体制を低くして全力で突進した。
ウィーナも、真っ直ぐに向かってくる。小細工無しの真っ向勝負。正面から、激しくぶつかり合う。
――競り負けたのは。
僅かに頭が浮いた所に潜り込まれ、あっという間にひっくり返された。背中を撃ちつけ、呼吸が一瞬止まった。隙をついてウィーナが馬乗りになった。
一瞬のち、喉に激しい痛みが走る。牙を突きたてられたのだ。苦しさの後に、焼けるような痛みが走った。こうなってしまっては、もう勝負は決したも同じだ。けれど、諦められない。体が動く限り全力で抵抗した。腹を掻き毟る。決して優しい攻めではない。全身、狼になると体毛で防御力も上昇するが、胸部や腹部はあまり変わらない。鱗の民や嵐の民と同じだ。馬乗りは、弱点である腹を晒す事になる。爪が皮膚を裂いた。激しく出血し、大量の返り血を浴びる。暖かい、と思った。
抵抗は長くは続かなかった。すぐに全身の力が抜けて行き、身体が動かなくなった。
負けると、思った。
このまま、死ぬ?
そう感じた瞬間、牙が離れた。
お互いに、すでに限界を越えていた。気力・体力を使い果たした両者の変身は解け、人間の姿に戻っていた。
瀕死の重傷だった。立ち上がる事はおろか、指一本、動かすこともできない。
ウィーナも深手を負っていたが、なんとか立ち上がった。捨てていた短剣を拾い上げると、鞘から抜き放ち、逆手に構えた。リウィーは、その様子を視界の端で捉えていた。
とどめを刺される。そう思った。しかたがない、とも思った。
何とか目だけを動かして、顔を見た。
目が合う。
鏡の向こうの私と、同じ目。それを見ながら「その時」を待った。
――だが、短剣が、振り下ろされる事はなかった。
再び剣を捨て、視界の外へ消えていった。
(何故)
そう言おうとしたが、傷の痛みと出血で、喋ることはできなかった。
(負けた。けど、とどめをささずに、行った)
どうしてだろう。
痛みも忘れ、考えた。何を思い、どんな結論に達してそうしたのか、わからない。
わからないけど、決着がついたのも間違いない。
(これから、どうしよう)
そんな事を考えた。今の状態は、よくわかっている。このまま放っておいたら、確実に死ぬ。かと言って、体は全く動かない。声も出ない。誰かが助けてくれる事を祈るしかないのだが、終わりは近づいていると言ってもここは戦場だ。可能性は、低いといわざるを得ない。
絶望的な状況の中で、考えた。
結局、止める事はできなかった。そして、今、確実に死に近づいている。
けど。
もし。
もしも、助かったら。
ウィーナが、これからどうするつもりなのかは、わからない。
でも、どういう形であれ、見届けなければならない。それだけは、わかった。
もう一度目覚める事ができたなら……。
その事を今一度心に刻むと、リウィーの意識はゆっくりと闇に落ちて行った。
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