3 剣士は誇りを捨てた
北の山間に、狼煙を発見したのはホルムヘッドだった。
すぐに報告が上がり、物見が派遣された。レナリア軍の姿が確認されたのが、一刻後。アポソリマ北門に到着したのは、その日の夕刻だった。
火計が実施された翌日から数えて三日が経っていた。あの火計で敵軍はカルデラ内から撤退した。偵察によると、占領した砦まで下がり、部隊の立て直しを図っているとの事だ。
到着した援軍の先頭に、リウィーの姿を見つけたのはフィルナーナだった。走り寄る少女を、翼の姫は両手を広げて迎え入れていた。互いの無事を確かめ、再会を喜びあった。
クリスは、軍の中に見知った顔を見つけた。
藍色の髪の女将軍。マラーナ・クルストは、進み出るとフィルナーナの前で立礼した。
着任の挨拶を行う。今回のレナリア遠征軍の指揮官は、彼女なのだろう。と、言うことは配下に神弓騎兵団の騎士が相当数いるはずだ。
流石に軍馬は連れていないが、弓兵としての実力には期待が持てる。
早速軍議を行うことになり、皆で城へと移動した。
レナリア軍の数は、実戦部隊で二千。余り多いとは言えない。されど、この
経緯を確認すると、部隊の編成に二十日。出立から着陣まで、計算すると三十三日であった。目算では「早くても二ヶ月」だったので、単純計算で七日、実際の所、十日以上早く到着した事になる。レナリアほどの規模の国で実践したとなると、驚異的に早いと言える。
部隊は実戦経験豊富な精鋭部隊で、装備も山岳地帯の行軍や戦いに備えてよく考えられていた。機動性を重視し、鎧は金属製を避ける。武装は空中戦を想定し、長弓や長槍を主とする。食料を分散して運ばせ、山中での無駄な移動を削減する、といった具合だ。
さらには、後続として一万規模の大部隊を編成しており、一ヶ月後には到着するという。
フレイアの状況を予測して、少数精鋭を最速で派遣、大部隊を送り込むまでの時間を稼がせる。口で言うのは簡単だが、実行するのは難しい。「賢王」は、噂に違わず天才的な政治手腕と実務能力を有していると言える。
大将がマラーナであることも、文句のつけようがない。実力は我が身を持って知っているし、軍議の様子を見れば指揮官としての有能さも、よく分かった。
本来なら歓迎の意味を込めて宴でも行われるところだが、戦時故に、必要な情報交換や今後の目算を済ませると、その場はすぐに解散となった。
斥候から報告がきたのは翌日の昼だった。敵は増援が到着。間もなく進軍を開始する。
向こうも、おおよその状況は把握しているはずだ。レナリアの大部隊が迫っているのも。
それでも引かないのは、山の最中では、嵐の民に勝てる者はいない事を知っているからだ。早期にアポソリマを落とせば、彼らが優位である事は動かない。
フレイアとしても、大部隊が到着する迄の一ヶ月近く、防衛に徹するのは現実的ではない。援軍が到着した事で、食糧事情の悪化は加速する。敵軍を打ち払い、早期に流通を回復させなければ、この冬を越すことは難しい。
先だっての火計の問題もある。森に火をつけられれば、国を再興する事すら難しくなる。
次が決戦になると、誰もが感じていた。
*
淀んだ空の下に敵軍が姿を見せたのは、五日後の事だった。
昼前に先頭が見え、そのまま前進。小細工無し、真正面からぶつかる算段なのだろう。
数は、およそ三千五百。ざっと見た所、嵐の民が四割程だろうか。残りは一般兵で、一部に重装歩兵の姿も見えた。
対するフレイア軍は六百。義勇兵が二百。レナリア軍が二千。他に民兵もいるが、あまり当てにならない。実質の戦力は二千八百程だ。
フレイア・レナリア連合軍は、この数で打って出るしかない。
守りに徹すれば火を付けられる危険が増し、嵐の民による、空からの強襲を誘発することにもなる。街には傷病者や非戦闘員も多く、これ以上、戦火にさらすわけには行かない。
真正面から仕掛ければ、敵は受けて立つしかない。もし、それでも空から街を狙ったとしたら、本体の数差は逆転する。アポソリマを落とせたとしても、ガスティール軍だけが全滅とあっては、嵐の民は立場がなくなるだろう。互いに短期決戦を望んでいる事だし、正面からぶつかるのが最良――この作戦を提案したのは、マラーナだった。
布陣の様子を見る限り「神弓の騎士」の読みは、的中していると言える。
フレイア・レナリア連合軍は、手筈通りに南門の外に展開した。
――時に、新王国歴1032年。海陽節、17の日。
正午を回った頃、両軍は正面から激突した。
敵陣営の最大の特性は、飛行部隊がある事だ。人間の頭上は死角になっている。ある程度は予測と訓練で補えるが、想定と実戦は違う。その意味では不利と言わざるを得ない。
けれども、それはレナリア軍が劣っていると言う事ではない。大人数での「戦争」と言う物に限定すれば、彼らは圧倒的に戦い慣れていた。実戦経験豊富で、集団戦法に長け、事前に情報を収集し、装備や戦術を精査する。レナリアのそれに比べれば、嵐の民は「部隊」などではない。ただの「集団」にすぎなかった。
また、空を飛ぶ者にとって「神弓騎兵団」は天敵と言えた。騎乗はしていないので本来の機動力は発揮できないが、弓の腕まで変わるわけではない。狩の民の距離感、弓の正確さと速射性。その力は、大陸最強を名乗るに相応しいものだった。
開戦早々に空中に舞い上がった嵐の民は、次々に撃ち落とされていった。
敵の中で驚異となったのは、重装歩兵だった。全身を鎧で覆い、大型の盾で身を守る。矢を射っても当たるに任せ、槍を揃えて突撃されると防ぐ手立てがなかった。見た目に反して動きも機敏だ。軽量高硬度の、特殊な金属を加工して作られているのだろう。ガスティールの「鉱の民」としての本質を垣間見る事が出来る。数がそれほど多くないのが、不幸中の幸いだ。
他の兵は、装備に統一感がなく、士気も練度もまちまちだった。
レナリア軍指揮官のマラーナは、その事をいち早く見抜き、圧巻の指揮を見せた。
木々が生い茂る視界の悪い戦場において、まるで盤上から見下ろすかのように、両軍の動きを把握していた。早く、正確な用兵で重装歩兵を遠巻きにし、周辺から攻撃する。回り込もうとした部隊の側面を突き、散開した小部隊を取り囲んで撃滅する。
見えているとしか思えない読みで、敵軍を圧倒していった。
クリスの部隊は、右翼後方に位置していた。
義勇兵で編成された少人数の部隊なので、後方に位置し、討ち漏らしを叩いたり、空からの強襲に対する「抑え」となるのが任務だ。アポソリマ南門の南西、カルデラ外輪山の麓。木々も少なく、見通しの良い場所に陣取った。そこからは両軍の動きがよく見えた。
マラーナは、レナリア軍は強い。強すぎる。
圧倒的な強さに見える戦いは、早い段階で心理的な均衡を崩す。
その心配は、悪い方で的中した。
側面を突かれ、部隊として半ば崩壊した嵐の民の一部が、上空で旋回し集まりだしていた。弓矢による追撃で数を減らしているが、少なく見積もっても数百はいる。それらが、アポソリマに向けて移動を始めていた。
情勢が悪いと見て一部が暴走したか。ここの部隊だけでは対抗できる数ではないが、何もしないわけにはいかない。僅かな間で考えを巡らせ、狼煙を上げるように指示を出した。
アポソリマに対する警告の意味もある。友軍に危機を知らせる意味もある。
けれども、最大の狙いは「目立つ」事にあった。
嵐の民の指揮官は、あの男だ。確信があった。
指揮官を倒せば、部隊は動けなくなる。一騎打ちなら数差は関係ない。開けた場所で狼煙を上げれば、否が応でも目を引くだろう。気づけば、必ず来る。
私を見つけろ。預けた勝負の、決着をつけよう。
まるで恋人と待ち合わせているかのような、不思議な高揚感。
上空に広がる翼影に、動きがあった。待っていた男が、目の前に降り立つ。
ギレスガッザ。
強敵として認める、真の戦士。
倣うように、嵐の民が降下をはじめた。弓を構えようとした者がいたが、やめさせた。
部隊は周辺を取り囲まれていった。どうやら、この囲みが決着をつける場所のようだ。
「お前達は手を出すな」
ギレスガッザは周囲に大声で呼びかけると、一人、前に出た。
数歩進み出て、剣を抜いた。使い慣れた片刃の剣を目線まで持ち上げ、切っ先を眼前の戦士に向ける。辺りは静まり返っていった。戦場にあってこの静寂。近くにいた誰もが、この戦いを見守っている。
剣と、槍がわずかに触れ合う。軽い金属音が鳴り、始まりの合図となった。両者の気合の声が、アポソリマの上空に響いた。
高速で剣と槍が繰り出される。
力と力。
技と技。
恐ろしいほどの早さで、高度な技術がぶつかり合う。取り巻き達が、興奮して歓声を発した。
負けじと、部隊の仲間達が声を上げる。それに背後から大きな声援が重なった。城壁で待機していた民兵たち。狼煙を見て駆けつけた他の部隊の兵たち。
両軍の応援合戦が、怒涛のうねりとなって二人を包み込んだ。
ギレスガッザの主な攻撃は、体重を乗せた重い突きだ。早く、強烈な刺突を連続して放ってくる。剣で防ごうとしても、受け流す事は容易ではない。角度が少しでも悪いと体ごと持っていかれてしまうか、最悪、剣が折れてしまうだろう。
仮に盾を持っていたとしても、この威力では簡単に穴が開いてしまいそうだ。だからこの突きは、身体ごとかわすのが正解と言える。
自然、後の先とならざるを得なかった。槍を躱すと同時に接近し、剣を振る。まるで舞うような動きで槍撃を裁き、同時に連続して剣を放つ。華麗、という表現が似合う戦い方だ。反攻は何度か手足を捉え、浅い傷を負わせた。
しかし。
(このままでは、勝てない)
戦いながらそう考えていた。一見すると自分が優勢なように見えるだろう。
だが、我の攻撃は、華麗さとは裏腹に、軽い。回避に重点を置くと踏み込みが甘くなる。これでは、強靭な羽毛で覆われている体に致命傷を負わせる事はできない。
彼の攻撃は、躱すのに非常に神経を使う。掠っただけでも大きな傷を負うだろう。ギレスガッザは立っている場所からあまり移動していないが、避けながらの反撃は動きが大きくなり、体力を消費する。
どちらが先に限界に達するのかは、目に見えている。
躱しながら斬る、と言うのはクリスの戦い方ではない。
先の先を取り、息もつかせぬ連続攻撃で仕留める。それが、本来の姿。両者の持つ武器の差が、その戦い方を許さないのだ。
剣では、勝てない。
それは、屈辱的な事だ。
剣で勝てないから、剣を捨てる。そうする位なら、誇りある死を選ぶ。
――そう、思っていた。
(本当に?)
自問した。
誇りは、戦士にとって重要な事。戦士とは、生き方そのもの。強敵と戦うことは喜び。敗れたとしても、悔いはない、はず。
重要な事はなんなのか。――今、負けてもいいのか。
否。
負けるわけには、いかない。
背負っている物は、誇りだけでは、ない。
翼の姫の為。彼女を想う仲間の為。あの若者の成長も見届けたい。
(必ず、勝つ!)
勝負に出ることにした。このままでは、いずれ体力が尽きる。ならば、まだ余力のある今のうちに勝負する。ギレスガッザの渾身の突きが迫った。
――とっさに剣を捨てた。自らの、誇りの象徴とも言える、剣を。
槍を、体を左に撚って躱す。右脇に通し、両腕で抱え込むようにして柄を掴む。
激烈な威力の、捻りが加えられた突き。刃のない部分でも、摩擦で皮膚が裂けた。
ギリギリの所で、受け止める事に成功した。
男の顔に驚愕の色が浮かぶ。瞬間、槍を掴んだまま低く沈み込んだ。体を反転させ、足を払う。不意を突く事に成功し、相手は転倒した。
戦士としての誇りなのか、ギレスガッザは槍を放さなかった。
力では分が悪い。組み合った所で勝ち目はない。
そう判断してすぐさま槍を離すと、腰裏に挿していた短剣を抜き、地面を転がる影に向かって突きたてた。
狙いなどはない、あてずっぽうだったが、手応えはあった。
転がるようにして距離を取る。偶然だったが、すぐ傍に先ほど捨てた剣が落ちていた。
ギレスガッザは、肩を抑えながら立ちあがった。短剣は、右肩に突き刺さっていた。
致命傷ではないが、戦闘力を奪うという意味では十分だ。
剣を拾った。
「もう、勝負はあったでしょう。その肩では、戦えない」
男は、何も答えなかった。無言でゆっくりと首を横に振ると、左腕だけで槍を構えた。雄叫び上げ、突進。体重を乗せた、突き。
速さはある。が、軽い。
軽く受け流すと、反撃に出た。クリス本来の、力強い連続攻撃。片腕だけの槍では、凌ぐ事はできない。
刃が、左腕と右の大腿部を捕らえた。十分な踏み込みからの斬撃は、硬い羽毛をも切り裂く。
ギレスガッザは槍を落すと、膝をついた。肩で息をしながら此方を見上げる。
「見事だ。俺の負けだ」
留めを刺せ、と続ける。
意を汲んで、一端剣を振り上げた。
……ふと、思った。勿体ない。下がって、ゆっくり剣を下ろした。
「まだ、終りではない。戦士として。
貴方は、もっと強くなれる。もっと、強くなりなさい。私は、それを越えて見せる」
驚いたような表情。僅かな沈黙。横に首を振った。
「降っても、どの道、処刑される。ならば今、お前の手で討たれる事を望む」
言いたい事は、理解出来る。
通常なら、そうなる可能性は高い。ならば、自分を打ち倒した者の手にかかって死にたい。
戦士としては、当然の考え方だろう。
でも、今回は。翼の姫は、そうはしないだろう。
「必ずとは保証できないけど。貴方が死ぬ事のないように、努力はする。出来る事はすべてしましょう。だから、賭けて見て。あなたほどの戦士を、このまま殺したくはない」
返事は、返ってこない。
もし、どうしても死にたい、そう言うのなら、望み通りに留めをさす事も考えた。
だが。
「もしも、次の機会があるなら。また、戦ってくれるか?」
「もちろん」
周囲から歓声が上がった。ギレスガッザは、投降した。指揮官を失った嵐の民は戦意を無くし、次々に武器を捨てた。
これが切欠となり、戦いの流れは一気にフレイア・レナリア連合軍へと傾いて行った。
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