5 戦士はもっと強くと呟いた
「フィナ、大丈夫かな」
隣にいたリウィーが呟いた。
「大丈夫。むしろ願ってもない事だろ」
クレッドはそう応えつつ、自身にも大丈夫だと言い聞かせた。いきなり王様がやってきたという展開には驚いたが、歓迎すべきだろう。
「今後、どうなるのかな」
「どうなるにしても、殿下は国に戻ることになるでしょうね」
赤鱗の戦士は即答した。
「なんで分かるの?」
「断られた場合は、帰るしかない。受入れられた場合も、話を通す為には国に戻るしかない。護衛が一人でも生き残っていたなら、殿下は残るしかなかったでしょうけどね」
その言い方が、クレッドは少し、気になった。
「フィナは残るしかなかった、というのは」
一瞬、クリスがしまった、という顔をした。
「……戦時下の国に戻るのは、危ないでしょう」
「それはわかるけど。護衛が一人でも生き残っていたら、残るしかなかった、って言ったよな」
「そんな風に言ったかしら?」
「言ったよ。さっきのは、確信を持って言ってただろ」
言い間違えただけ、とはぐらかされた。何を隠している。
「姫は人質だから、ですよ」
後ろから、声が掛けられた。振り返ると、そこには藍色の髪をした女性が立っていた。
王の護衛として一緒に来訪した人物だ。
長い髪を後で結び、雪のような肌が印象的だった。護衛らしく、腰には剣を帯びている。
「あんたは?」
「私は、マラーナ・クルストと言います」
「マラーナ……『神弓の騎士』マラーナか!?」
その名は、聞いた事があった。レナリアで剣を志す人間なら、知っているだろう。
王国騎士団の一つ「神弓騎兵団」は、弓騎としては大陸最強と名高く、団長には「神弓の騎士」の称号が与えられる。五年程前に初の女性が就任したはずだ。
「ええ。今日は近衛騎士として来ていますが」
驚いた。もっと大柄で骨太な人物を想像していたからだ。確かに女性としては背が高いが、特別体格がいいと言うわけではない。腕などは自分の方が遥かに太いではないか。これで女物の服を着ていれば、絶対に有名な騎士だとはわかるまい。
「さっきの『人質』って、どういう事?」
リウィーが割って入った。
「言葉通りの意味です。
援軍を派遣して敵軍を撃退できたとしても、それは一時しのぎにしかならない。継続的に防衛をしようと思えば、我が国の傘下に入るしか無いでしょう。そうなると、忠誠を誓う証として人質を差し出す必要があります。伝令役になれる兵がいたのなら、姫には残ってもらう事になったでしょう。本人の意思とは関係なく」
言葉は理解できたが、言っている内容はなかなか理解できなかった。頭の中で、何度か反芻する。確認するようにクリスを伺うと、少しの逡巡の後に、赤い瞳が縦に揺れた。
「フィナは、風の民は。理不尽な侵略に苦しんでいる。助けてやろうと言う気は起きないのか? 何故、人質とかいう話になるんだ?」
マラーナは、なんの反応も示さなかった。まったくの無表情だ。美しい顔だが、仮面のような印象。怒りに火がついた。
「おいっ、何とか言えよ!」
掴みかかろうと腕を伸ばす。少女が止めようとして服を引っ張ったが、それぐらいでは止まらない。勢いに任せ前に出るも、手はすんでの所で空を切った。絶妙な距離感で、踏み出した分だけ後退する事で、躱された。
さらに前に出ようとしたが、クリスが間に割って入った。
「今、あなたが暴れても不利になるだけよ」
その言葉に、少しだけ落ち着きを取り戻した。
向こうは、と言うと何事もなかったかのように平然としていた。此方が少し冷静になったのを見越して、続きを話しだした。
「考えて見なさい。我々は彼らに恩や義理があるわけではありません。助けたからと言って、見返りが期待できるわけではありません」
「そんな、損得勘定だけで考えるのか!」
「援軍を出した場合、戦いの場所は我々の知らない土地です。どんな相手なのかもわかりません。現地に赴く兵士達の危険は大きい。
戦になれば人が死にます。我々の仲間が、大勢。死んだ兵達にも家族はいます。あなたは残された家族に、戦った理由をどう説明しますか?
風の民が可哀想だったから、とでも?」
マラーナは淡々と話した。何も言い返せない。
「兵士や遺族への直接的な見返りは、まだ何とかなります。
けれど、一度の戦いではこの戦は終わらない。継続的に防衛するには、現地に拠点を構築し、軍を駐留させる必要があります。そうしないと守れません。
風の民にとっては、どうでしょう。初めは、守ってくれていると、感謝されるかもしれません。しかし、期間が長くなると、どうしても細かな問題や軋轢が発生します。我々の総意として、他意は無かったとしても、支配されていると感じる人もいるでしょう。
そう考える人が増え、反乱が起きたら。駐留する軍は大打撃を受けます。最悪、全滅するかもしれません。万が一にでもそんな事が起きてしまったら。我々は、彼らを殲滅するしか、道が無くなります。
そうならないように、そう考える民の心を諌めるために、『王族』という器があります。
邪な気持ちを抱かせない為の楔こそが、王族の人質、という事です」
怒りは消え去っていた。完全に言い負かされた。リウィーも何故かしょんぼりしていた。
「殿下も、理解しているでしょうね」
補足するような呟き。そうなのか。フィルナーナは、そうなる事を知っているのか。それを、望んでいるのなら。反発する事に、何の意味もない。
「わかった。貴女の言う事は、正しい。何も言い返せない。俺は……何も出来ない」
「そうかしら」
赤毛が揺れた。
「護衛が一人でも生き残っていたなら、殿下は残るしかなかった。
実際には一人も生き残っていないのだから、殿下は帰るしか、ない」
謎掛けのような言葉に、頭を捻る。
「いきなりレナリアの軍隊が押し寄せたら、混乱を引き起こすだけ。今、事情と経緯を説明できるのは殿下しかいない。落ち着いたらまたレナリアに戻らないといけないとは思うけど、一度は必ず帰ることになるはず」
マラーナを見た。何も言わなかったが、その目はクリスの言葉を肯定していた。
「レナリア軍と一緒に向かうのが普通でしょうけど、殿下の性格からすると、早急に、単独でも戻ると言い出しかねない。帰路は安全、とは言い切れない。貴方はどうする?」
もし、そうなるとしたら。もちろん決まっている。
「同行する。俺が守る」
即答すると、クリスは何も言わず、満足そうに頷いた。
*
「あなた、名前は?」
不意に、マラーナが言った。しばらくの沈黙の後、リウィーに肘で突っつかれる。自分に名前を聞いてきたらしい。
「クレッドだ」
何故か、親に諭され、すねた子どものような気持ちになっていた。自然、返事も荒々しいものになる。
「会談が終わるまで、まだ時間がかかるでしょう。それまで体を動かす気はありませんか?」
そう言って、腰に下げた剣をあらわにし、柄を握った。
「よければ、中庭でお相手しましょう」
そう言うと返事も聞かずに歩き出す。思わず振り返り、仲間を見た。二人とも好きにすればいい、と言う顔をしていた。
どう言う意図で剣の稽古に誘ってきたのかはわからないが、この際、理由は何でもよかった。言い負かされて腹が立ったのも事実だし、鬱憤を晴らせるとも言える。考え様によっては「神弓の騎士」の実力を直に伺える良い機会だ。
誘いを受ける事にした。誘われるがまま、中庭についていく。クリスとリウィーも、どうせする事がないからと見物しについてきた。
中庭はそれほど広くはなかったが、部屋から漏れる灯りのおかげで、不自由なほど暗いわけではなかった。
マラーナは、庭の中央まで進むと向き直り、腰の剣を抜いた。細身の長剣。刀身が青白い輝きを放っていた。知識のあるものなら、それが特別な金属を用いている事がわかっただろう。「鉱の民」は、あらゆる金属を精錬・加工する知識と技術を持っているという。この剣は、その手によるものだろう。
「女だからと手加減は無用。そんな気持ちでは大怪我をします」
そんな余裕はない。戦士の本能が、対する相手の実力を瞬時に感じ取っていた。
愛用の剣を抜く。左手には盾を構える。
女騎士は剣を片手に持つと、刃先をだらりと下げていた。盾は持っていない。無駄な力は入っておらず、軽く上下に体を動かしている。
「いつでも、どうぞ」
そうして、薄っすらと微笑む。
背中に冷や汗が流れるのを感じた。まったく隙がない。無造作に見えるが、どこから切りこんで行っても躱されるような気がした。
不意に、動いた。
気が付くと、喉元に剣先が突きつけられていた。やられた、そう思った。
「油断めされるな。一瞬の気の緩みが、戦場では命取りになります」
そう言うと、元の体勢に戻っていた。何度でも、付き合ってくれる様子だ。
気を取り直すと、今度は先に前に出た。持ちうる技術と知識を総動員して斬り込んだ。その攻撃は掠りもしなかった。全ての技が、あらかじめどう来るかわかっているかのようにヒラリ、ヒラリと躱される。あっと思った時には、剣が弾き飛ばされていた。
その後も何度も挑んだものの、動きを捉えることはできなかった。つかみ所のない、流れるような動き。ゆっくりだと思うと、突然目に見えない程の早さに加速する。細身の身体から繰り出される一撃は、恐ろしく重い。足元にも及ばないとはこういう事か。
十回挑んで行って完敗だった。
十回目が終った後、体力を使い果たし、膝をついた。相手はと言うと息一つ乱れていない。それを見て愕然とする。この人と自分との間に、一体どれほどの差があるというのか。
「私も、いいかしら?」
赤鱗の手が、軽く上がった。今度はクリスが挑むと言う。マラーナは直後だと言うのに、剣を構えると軽く頷いた。
二人の手合わせは、凄まじいものだった。高速で繰り出される技と技の応酬。剣撃の音が幾重にも重なっていた。普段の稽古ではこれ程ではなかった。「手加減しない主義」と言っていたが、明らかに嘘だ。
両者の剣技はほぼ互角に見えた。力ではクリスが、速度ではマラーナが、少しずつ勝っているように感じた。時間にするとわずかな間だが、永遠に続くかと思われるほどだった。
結局、決着がつくことがなく、引き分けと言う事で両者は引いた。
世の中には上には上がいる。痛烈に感じた。
今の腕では、この二人に百回挑んでも、一度も勝つ事はできないだろう。
もっと強くならなくてはいけない。
そうでなければ、あの翼の姫を守る事など、できないだろう。
終わった後、クリスは息を荒げていた。そう言えば、こんな姿を見たのは初めてだ。今までの実戦の中でも、稽古の中でも無かったように思う。
神弓の騎士もまた、息を切らしていた事が、せめてもの救いだった。
マラーナは剣を納め、息を整えると目の前までやってきた。じっと目を見つめてくる。
「あなたは、まだまだ強くなれる」
いきなり、口を開いた。
「素質がある、と感じます。もしかすると『武の民』の血を、受け継いでいるのかもしれませんね」
武の民は、東大陸にいたとされる、武技に長けた一族だ。国としてはもう存在せず、外観的な特徴もなく、祝福もわかりにくいので、その存在は半ば伝説と化している。
祖先の中に武の民がいた可能性は、ゼロではないが。常識的に考えるとあり得ない。
「お世辞ではありませんよ。強くなりなさい。今よりも、もっと」
そう言うと、踵を返し、館の中に戻っていった。後姿を見送った。
「あの人。本当は、もっと強いわね」
クリスは後ろ姿を眺めながら呟いていた。リウィーが首をかしげた。
「そうなの? よく分からなかったけど」
「剣技だけなら互角でしょうね。けど、あの人は弓騎士でしょう。弓も得意なはず。
飛び道具は、性に合わない」
マラーナにとって弓術が本分、なのは間違いないだろう。「神弓の騎士」の弓の腕が、並であるはずがない。
だが、それもまた謙遜に聞こえた。鱗の民の本質は、しなやかかつ強靭な身体。素の状態での防御力は、そうそう並ぶものはいない。本来の戦い方は、恐らくもっと荒々しいものだろう。防御力を生かした、相打ち覚悟の一撃を防げる人間は、世の中にそうはいないはずだ。
いずれにしても、二人に遠く及ばないという事実は変わらない。
「もっと、強く……」
クレッドは呟いた。何度も、何度も。自らに言い聞かせるように。
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