4 髭男は状況に戸惑った

(これは、どういう状況なんだ?)

 気がついたら、何故か王宮の一室にいた。少し前まで、実家の前にいたはずなのに。

 一人、ここに至るまでの経緯を思い起こしていた。


 ホルムヘッドは、レナリア王国の貴族の家に生まれた。貴族といっても土地も爵位もない家柄だが、王都に館を構え、代々文官を輩出している。元々平民だったが曽祖父の代で認められて身分を与えられた、と聞いている。両親は健在で、父は現役の高級官僚。母も王宮に仕えている。姉、兄、弟がそれぞれ一人ずつ。皆、宮仕えの文官だ。

 最初は研究職につきたいと思っていたが、父親に反対されて渋々、王宮に仕える事になった。二年ほど経った頃、ある問題を起こしてしまい、首か左遷かという話になった。

 家は優秀な兄が継ぐだろうし、万が一の事があってもこれまた優秀な弟がいる。暇になるならこれ幸い、首で良いやと思っていたのだが、姉に諭されて左遷という事になった。

 この辺が理由で家族と折り合いが悪く、家が好きではない。一応貴族なので家名もあるが、普段名乗っていないのは、そういう事だ。

 いつぞや言った「当てがある」というのは実家の事だ。ハイルナック到着後、一人で家に向かった。偶然、帰宅中の姉、ラナリアムと再会した。

 姉は四つ年上。何故か溺愛されており、家族の中で唯一、味方になってくれる。

 押しが強い。姉に弱いだけかもしれないが。

 家には入りたくなかったので、近くの店で事情を説明した。「そういう事なら」と城に連れて行かれた。この部屋で待っていてと言われて、半刻くらい放置されている。

 既に日は落ちていて、手持灯ランタン一つの頼りない灯りの中、一人悶々としていた。


 神の祝福は「血」だと言う。純血に近いほど強い力を有する。「王族」が「偉い」のは、平均的に能力が高いからだ。一般市民は王族と比べると「血が薄い」が、それでもレナリアで代々暮らしている人達は、殆どの場合「狩の民」の血と能力を受け継いでいる。

 混血の場合、顕現する「祝福」は一つだけ。隔世遺伝で異なる祝福が表に出る場合がある。見た目に現れるものであれば直ぐにわかるが、そうでない場合は祖先を辿らないと、有する「祝福」が何か、わからない事が多い。

 家族は皆「狩の民」だったが、自分は能力が欠落していた。物心ついた頃には落ちこぼれだと気づいていた。

 祝福の研究に執心なのは、この辺が理由だと思う。


 手持灯の弱々しい灯りは、自らが「狩の民」ではない、という事の象徴だ。

 彼らの特性は、感覚にある。視力や聴力、方向感覚、遠近感などが、そうでない者に比べて優れている。その為か「灯り」に対しても感性が異なる。暗視能力はないが、距離感や空間把握能力が高いので、例えば真っ暗な部屋の中でも、どちらの方向に何歩進んだらドアがあって、腰の高さにドアノブがある、といった事を殆ど無意識に把握している。そして厄介なことに、それが当たり前だと思っている節がある。

 例えば城の広い廊下に柱が立っている。他の国なら柱ごとに燭台を設け、日が落ちれば火を灯す。手持灯一つの灯りでは、柱にぶつかってしまう可能性があるからだ。

 しかし、狩の民にはそれは必要ない。歩く程度の早さなら、初めての場所だろうと平然としている。何でも、靴音の反響で柱までの距離がわかるらしい。蝙蝠か。


 幼い頃、夜に目が覚め、側屋トイレに行きたくなり、姉に付き添って貰った。灯りは無い。姉は難なく歩くが、自分はしょっちゅう壁やら何やらにぶつかった。あれが、違うと気づいた最初だったか。

 というか、今でもあまり変わらないか。城に連れられてこの部屋に着くまでに、階段で躓いた。流石に困ったのでお願いしたら、出てきたのがこの頼りない手持灯一つだった。こういう所なんだよな、と回想した所で、ようやくラナリアムが戻ってきたのであった。


 次に案内された部屋は誰かの執務室だった。正面に大振りな机。レナリアにしては大型で明るい燭台。机の向こう側の椅子に、男が一人、腰を下ろしていた。

 部屋の雰囲気から相応に高位の人物だとは思うが、判然とはしない。

「貴公が、ラナリアムの弟君か」

「はい。ホルムヘッドと申します」

 状況が良くわからないが、とりあえず名乗り、頭を下げた。

「噂は耳にしているぞ。何でも、ラナリアムを守るために上官を糾弾し、名誉を守るために泥をかぶったと聞いたが、事実か?」

 絶句した。思わず姉を見る。姉はどこか嬉しそうに微笑んだ。

「お戯れが過ぎますよ、陛下」

 二度、絶句。当の本人は、楽しそうに笑っていた。

「この御方は、レナリア王国国王、カフェル陛下です」

 陛下、と呼んだ時点で予想は出来たが、まさか国王とは。着ているものとか、案外地味だな。まぁ、非公式だしもう夜だし、あんなものか。しばらく固まっていたが、思い出したように膝をついた。騙し討ちとか、勘弁してほしい。

「ここでは跪礼は不要だ」

 言われて、失礼しますと立ち上がる。正面の顔を改めて見る。遠目にしか見た事がないが、確かにレナリア王その人に見えた。

「で、事実なのか?」

「……勘弁してください」

 本当に勘弁してほしい。うつむいて頭を掻く。カフェルは「その言いようは事実なのだな」と一人納得して破顔した。


 この人が言っている事は、一応、事実だ。「左遷された原因」がこれなのだが、内容は多分に脚色されているような気がする。

 王宮に勤めだして二年、直属の上官が、ラナリアムに惚れて結婚を申し込んだ。姉はその男が好きになれず断った。男は怒り、それを機に嫌がらせを受けるようになった。故意の接触や酷い時には襲われそうにもなった。見かねて事実を指摘したが、裏目に出て嫌がらせはひどくなった。「向こうから誘ってきた」だの、有る事無い事を吹聴するようになり、自分にも矛先が向いた。そんな折、仕事で故意に不正を働くよう命令された。わざと受け入れ、証拠つけて「密告」した。

 結果、担当者と、直属の上官であった男が罰せられた。事実はそんな所だ。

 姉を守る意思がなかったわけではないが、そこまで美しい物語ではない。


「いや、すまんな。私はこれでも、貴公に感謝している。ラナは優秀な秘書官だ。ずいぶんと、助けられている」

 そうなのか。というか、秘書官? いつの間に。

「二年前から、王陛下直属の秘書官を勤めさせていただいています」

 ラナリアムが補うように話した。便りで知らせたはずだけど、と付け足す。そう言えば、そうだっただろうか。覚えていない。

「今日この場は、ささやかだが礼の代わりだ。事情はラナから聞いているが、貴公の口から今一度、聞かせてもらえるか」

 過去の件は本当に勘弁してほしいが、いきなり王様と話せるのなら良かったというべきか。ホルムヘッドは要点を絞り、経緯を説明した。特にフィルナーナは間違いなく「風の民」であり、祝福の力を見ても王族である公算が非常に高い、という事は強調しておいた。

「話はわかった。急ぎなのも、な。だが、正攻法で進めると時間がかかりすぎる。方法は考えるが、しばらくは待機せよ。

 それと、非公式とは言え他国の姫君を下町の宿に留めおく事は出来ない。

 明日にでも貴公の家に移ってもらえ。宿泊についての要請は、私の名を出して構わん」

 カフェルは、後半はラナリアムに向けて話していた。これは、あれか。気を遣われているのか。深読みかもしれないが、この件を手柄という事にして、親との間を取り持ってやろうとか。もしくはラナリアムが何か手を回したとか。正直ありがた迷惑だと思ったが、口に出せるわけもなく、ホルムヘッドは了承の意味を込めて頭を下げるしかなかった。


    *


(で、これは、どういう状況なんだ?)

 心の中で頭を抱えていた。場所は、実家の一室。

 隣にはフィルナーナが座っている。机を挟んだ向かいには、国王カフェルが、その隣には、ラナリアムがいる。

 繰り返すが、場所は実家の一室だ。応接間。それは、どうでも良いが。

 今、何故こうなっているかを、改めて思い起こした。


 昨晩、王と話した後、実家に戻った。両親・兄弟に、姉に助けられつつ説明し、そのまま実家に泊まった。翌日、目が覚めるともう真昼を過ぎていた。家族は皆、とっくに出仕していた。仲間を迎えに行ったら出掛けていたので、一人で遅い昼食を食べた。戻ってきた皆に経過を説明。実家まで連れていき、致仕ちししてきた家族と顔合わせ、一緒に夕食をいただいた。

 大変気疲れして、まだ早いけどもう寝ようかと思っていたら、来客があった。

 誰かと思ったら、国王陛下本人だった。

 お忍びで、護衛をたった一人連れただけで。大国レナリアの国王としては、控えめに言ってもブッ飛んでいる。

 親兄弟は大混乱に陥ったが、ラナリアムがあっという間に会談の場所を用意した。国王の来訪を知ってはいなかったが、察してはいたようだ。我が姉ながら優秀だ。一声掛けてくれない辺り、意地が悪いというか「いたずら好き」というべきか。

 他の仲間三人は護衛と共に外で待機している。

 ホルムヘッドとラナリアムは、会談に同席するよう命じられた。

 事情や経緯を改めて説明し追えて今に至る。都合四回目だったので、流石に淀みなく説明できたと、自らを褒めてみた。現実逃避なのは理解している。


「盟約の証が、この首飾りだと聞いております」

 フィルナーナが首飾りを外し、目の前に差し出した。宝石の周りに翼を模した装飾がついている。

 カフェルは手に取ると、ラナリアムに指示し、燭台にかざした。灯りを受けた宝石は光を通し、卓上に紋様を浮かび上がらせた。

「本物だな。この紋様は、昔のレナリアの、王印のようなものだ」

 王は盟約があった事と、彼女が王族である事を認めた。しかし、目は笑っていなかった。

「貴国の状況や要請は、概ね把握した。しかしながら、盟約があるからと言って即座に兵が出せるわけではない事は、ご理解いただけると思う」

 言い分はもっともだ。約定は少なくとも五百年は昔のもので、当時と今では国体も変わっている。今現在、国交がない。援軍を派遣する事によって得られる明確な利益がないと、軍を編成する事すら難しい。

「援軍を送ったとして、貴国はいかなる対価を払うことが出来ますか?」

 フィルナーナは、敵軍を撃退した後には正式に国交を結び、貿易、人的交流、独自技術や知識の開示と言った事が出来ると訴えた。ただ、その内容がレナリアにとって旨味が少ない事は、自身が理解しているのだろう。説明する口調は弱々しいものだった。


 ホルムヘッドは一応、レナリア王国の王宮に仕えている。個人的には面倒事は少ない方が良いし、どちらかと言うと「事なかれ主義」だ。

 けれども。半月ほどの付き合いだが、心情として姫に味方したい。風の民に興味がある、という下心がないわけではないが、それはそれだ。

「敵陣営に関する推測を、私から説明させてもらっても宜しいでしょうか?」

 フィルナーナの援護をする事に決めた。最悪、心象が悪くなっても、元々失うものは殆どない。翼の姫は少しだけ此方の様子を伺うと、お願いしますと頷いた。

 カフェルを見て、話してよいかと無言で確認する。彼はどこか楽しそうに頷き返してきた。……何故この人は、自分が話す事が嬉しそうなのだろうか。

「フレイア王国と国交を持つことは、国防上、有益であると考えます。理由を説明します」

 まず、レナリアの現在の状況を確認した。周辺国とは良好な関係を保っており、そこに驚異はない。海を挟んだ国とは中立といった所か。南西一帯は山岳地帯で、ここは特にどこの国のものというわけではない。山岳地帯の向こう側が南大陸なのだが、実は山中にフレイア王国があり、フレイアからさらに南に嵐の民の国がある、という事になる。

「さまざまな状況から、南のガスティール王国が今回の争いに噛んでいるいと判断いたします。彼らは狡猾です。自ら動くと目立つので、属国を使い、周辺の小国や小部族を吸収していく。情報や流通を抑え、敵対する相手を孤立させ、弱った所で一気に叩くといったやり方です」

 ちょっと盛ったが、この程度は許されるだろう。

「我々は、南大陸の情勢に疎い。気づいた時には手遅れ、という危険性があります。そうならない為に、南に対する『窓口』を設けるべきです」

 話している間、じっと見つめていた目が、笑った。

「意図する所はわかる。貴公は優しいな。フレイアを情報の『窓口』にする。それで、本当に良いのか?」

 ギクリとした。見抜かれている。フィルナーナの手前言葉を濁したが、それでは通じないと言われたのだ。

「……訂正いたします。『防波堤』となってもらうべきです」

 レナリアがいくら南方の情勢に疎いと言っても、全く何も知らないはずがない。間諜を送り込むぐらいはしているだろうし、必然、ガスティールの動向を掴んでいるはずだ。

 だが、かの国が驚異だとしても、南は海を挟んでいるし、南西部は広大な山岳地帯で、大軍が動けるような場所ではない。レナリアはガスティールが直接的な驚異になるのは、まだ先の事だと考えていただろう。

 ここに「風の民」や「嵐の民」の存在が加わると事情が変わってくる。もし、全てがガスティールの支配下に置かれたとしたら。

 徒歩で走破する事が難しい山岳地帯でも、翼の民にとっては石畳の上を歩く事に等しい。

 それを防ぐためには、先んじて「抑える」事が重要になってくる。半分は既にガスティールに抑えられているのだとしたら、選択の余地はない。

「貴公の意見に同意しよう」

 カフェルは満足そうに頷いた。

「殿下には酷かもしれんが、言わんとしていることは理解していただけると思う。

 フレイアに援軍を送る。風の民を支援し、敵軍を撃退する。いずれは嵐の民を殲滅し、貴国には南の驚異に対する橋頭堡となっていただく、というのが大局的な方針だろう。

 これは形の上ではどうあれ、実質的には我が国の属国になるという事を意味する」

 そういう事だ。フレイアは、既に独立独歩を保つことは、出来ない。

 カフェルの言葉に、フィルナーナは少しだけ間を空けて「はい」と応えた。

 小さく「すまん」と謝った。ただ、これだけでは終わらないはずだ。

「事が成るまでの間に、貴国が裏切らないという保証はない。我が国の諸侯を納得させる為には、王族の人質を取る、または我が国の有力者と親類になってもらう、そういった手続きが必要になる。例えば殿下は、受け入れることが出来ますか」

 やはり、そういう話になるか。レナリアは、彼女に人質か、政略結婚の道具になれと要求している。政治的な事を考えるとごく当たり前の流れだ。

 翼の姫は、しばらく考え込んだ後、口を開いた。

「受入れます。ですが、お願いがございます。私の一時帰国をお許しください。

 派兵をお約束いただけるのであれば、明日にでも発ちたいと思います」

 レナリアとしては、このまま国に留めて置きたいだろうが、それでは問題が発生する。いきなり軍隊が押し寄せて「味方をするから我々の属国になれ、姫は人質として預かった」では話が通らない。

 となれば、軍と共に行動してもらうのが、妥当な線だろう。そう指摘された。

「その方が理に叶っているのは理解しております。しかし、我が国は既に危機的状況にあります。一刻も早く帰国し、援軍が来る事を知らせれば士気も上がりましょう。より長く、持ち堪えることが出来るはずです」

「なるほど、殿下の意見はもっともだな。だが、状況は予断を許さない。最悪の場合、貴国はもう滅びているかもしれない。

 今すぐ帰る、というのは命を危険に晒す事になろうが、我が軍と行動を共にすれば、万一の場合でも生きて帰る事はできるだろう。王家の血筋を残すことができる。

 そうなれば、何世代後になるかはわからないが、国を再興する事が出来るかもしれん。

 先に帰るという事は、この可能性を消すという事。理解の上で、行かれますか」

 はい、と即答。

「王家の血筋や、国を再興するだけでは意味がありません。

 今、生きている、戦っている民を助けずして、王族である事に意味があるのでしょうか?」

 これが決め手になった。カフェルは、可能な限り早い出兵を約束した。

 フィルナーナは必要な情報を提供してもらった後、帰国する事が許され、同時にホルムヘッドは「お目付け役」になる事を命じられた。

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