5:学院

 朝方の街に響く足音が二つ。一つは一定のリズムで刻まれる全くズレのない几帳面な足音。対してもう一つは、重々しく引き摺られるような気怠げな足音。


 朝方、といっても日が上ってから既に数時間。タオ自身、アバカスの住居に迎えになど行きたくなく、場所を知りたくもなかったので前日に集合場所を決めていたのだが、そこにアバカスが姿を見せたのは大分街の活気が増した時分。


 朝の鍛錬とお祈りを済ませ、食事を手早く済ませて準備したにも関わらず、二時間近く待たされたタオにアバカスが告げたのは『朝ってだけで時間決めてなかったろ』の一言。


 そう言われてしまうとタオとしても強くは言えず、加えて、遅くやって来た癖に不機嫌を背負い歩くアバカスの原因も分かるため文句も言いづらかった。


 無言で歩き続けるアバカスがどこに向かっているのか、いい加減痺れを切らしたタオが聞けば、「それより先に言うことねえのか?」と返ってくる。


「昨日得た前金が必要もねえ出費で早速減った俺の悲しみが分かるか? たかが数時間の遅れがなんだ。騎士の給料を時間で換算したところで昨日の飯代の方が高えんだよ。いいか、今日こそ嬢ちゃんがおごれ。二回分だ。賭けに勝った分と昨日俺がおごった分で二回。じゃなけりゃ地の果てまで追って取り立ててやる!」

「分かった分ぁかった! もうそれでいいから! だからいい加減行き先を教えろ! ただでさえもう時間を無駄にしているのに! 昨日貴様がさっさと帰ってしまった所為だ!」


 事件が起きたのがもう五日前で既に時間の無駄もクソもないとアバカスは皮肉を言いながら肩をすくめる。


「今は『学院』に向かってる。殺されたドランク=アグナスは聖歌隊の所属だったんだろ? 一番『何か』がありそうなのがそこだ」


 学院。国立の教育機関であり、研究機関。その本部。騎士団や聖歌隊に所属する騎士や魔法使いの育成機関でもある。


 直接勧誘でもされない限り、騎士や国家魔法使いは必ず学院を卒業している。


 騎士団が専用の本部を持つのとは違い、聖歌隊は魔法職の寄せ集めで研究者としての側面が強いこともあり、学院に本部を持っている。


 故に学院へ向かうというアバカスの隣へとタオは少し歩く速度を上げて並んだ。


「それはいいが、なぜ最初に学院なんだ? 現場やドランクの家は後回しか? 遺体の確認もせずに……」

「事件からもう五日だぞ? 魔女以外に『誰か』が関わっているならだ。自宅やら現場見たところで事件に関わりありそうな証拠が残されてるか怪しいもんだぜ」

「現場も自宅も騎士が一応押さえているが」


 だからなんだとアバカスは鼻で笑う。


「可能性が今一番高いのは内分犯だぞ? 魔女をどう使ったのか知らねえがな。魔女に会えるような奴は限られてやがる。それこそ魔女に会えるような奴なら」


 騎士団や聖歌隊に顔が効いてもおかしくはない。現場を確保したところで、それを守っているつもりが消しているかもしれない。


「貴様は騎士団まで疑っているの⁉︎」

「素直だねぇ嬢ちゃんは。俺に頼むってのはそういうことだろ。だからこそ、『上』も動かなかった訳だ」


 普段帝国を守る為に動いている者たちの中に、味方を魔女に殺させた者がいる可能性。しかもそれが誰か分からない。普段話してる相手が実は殺人事件に関わっている可能性さえある。それは騎士団も例外ではない。


「誰が関わってるにせよ、学院には多くの聖歌隊の魔法使いが常駐してやがるし、共同研究者もいるだろう。誰がどんな思惑でドランク=アグナスを殺したのかは分からねえが、取り敢えず怪しいのはドランク=アグナスに近しい奴だ」

「共同研究者が怪しいと?」

「それを確かめに行くんだよ。違うなら違うで選択肢が減るだけだ。ドランク=アグナスは一人暮らしか?」


 頷くタオを横目に、なら余計に自宅は後回しでいいやとアバカスは自己完結する。殺人。それには被害者以外に一人以上の者が必要だ。だから人のことは人に聞く。


「そもそも聖歌隊なら魔法研究の過程で魔女に会えることもあるだろうし、そういう意味では内部と言っても王族や役人、騎士以外で聖歌隊が一等疑わしくはある。マタドールを使った理由は分からねえがな」

「他にも魔女はいるからか」


 ペプチカ帝国の保持する魔女は全部で六体。これは他国と比べても多い。魔女自身にも得意分野の違いがありはするが、多くの魔法職の者達からみれば、そんなものは微々たる差だ。


 なによりも。


「学院にも一人魔女がいんだろ。ただ魔女に人を殺させるのが目的だとしたなら、そいつを使った方が早えはずだ。聖歌隊にいる奴が犯人ならな。疑いを逸らす為に使わなかったのかもしれねえが」

「学院に魔女ッ⁉︎ 初耳だぞ⁉︎」

「魔女は知識や情報に固執すると昨日言っただろうが」


 図書室などの情報の集まる場を好む魔女が、研究機関である学院にいない方がむしろおかしい。白い目を向けてくるアバカスに対抗するようにタオは噛み付く。


「で、でも私が学院に居た時にそんな話は」

「今知れてよかったな」

「そんな適当なッ」

「ただの学生に一々『ここに魔女がいます』なんて誰が教える? 騎士になった役得だとでも思え。まあそれを触れ回るようならどうなるかは推して知るべしだろうがな」


 役得どころか爆弾を渡されたに近い。魔女が帝国に守られ重宝されているとして、その全てが帝国の膝下である宮殿に住んでいる訳でもない。


 結果的に言えば国内、もっと言えばより近く首都にでも居てくれさえすればいい。それさえ可能なら、束縛し魔女が快適さを求めて外に出る事がないように、魔女側の要求をある程度国が聞くのは当然の話。


 ただ、それを大衆にわざわざ教えるはずもない。魔女側も自らが魔女とバレては不都合もあると理解しているからこそ、情報の統制はされている。


「まあ学院の魔女は魔女の中でも変わり種だ。だからということもあるんだろうが」

「……変わり種?」

「社交的なんだよ魔女にしちゃあ。そう見えるように振る舞いやがる。だから帝国内にいる魔女の中で一番気味悪い」


 人と多く関われば面倒事も増える。魔女であるなら尚更に。だから多くの魔女はマタドールのように図書室などに引き篭もり滅多に外に出ることもないのだが、学院の魔女は違う。


 学生に聖歌隊、不特定多数の人間が日々出入りする学院を根城にしながら、かつて学院に通っていたタオが知らないだけの秘匿性を可能にしている。


 それがどれだけ異常な事かアバカスはよく知っていた。


 そんな話を二人がしていれば、開けた景色の先に玉葱タマネギ型の屋根を持つ巨大な建造物が姿を現す。


 聖歌隊の本部にして学生達の学び舎。


 煉瓦レンガの敷かれた大通りから、鉄格子の門をへだてて古めかしい石畳へと姿を変えている道に二人は足を落とす。


「学院への立入許可は出てんだよな? 警備の騎士に不法侵入で止められでもされたら笑えるが」

「出てはいるはずだ。確認して来るから少し待て」


 正面玄関に入ってすぐの受付へと歩いて行くタオの背をアバカスは見送って、アバカスは玄関口を出入りする人々を漠然と眺める。


 多くの人間に加えて、幾らか混じっているエルフやドワーフ。異種族の多くは他国からの留学生だ。帝国内にある多くの施設の中でも、学院が異種族との交流場としての側面も持っているだけに、予想できるドランク=アグナスの交流範囲も狭くはない。


 それを思えばこそ、事件の全貌の把握のしづらさにアバカスは内心で舌を打つ。


「そもそもどう分かったんだかな……」


 独り言を口ずさみながら、アバカスは目の前をぎる純白のガウンをまとった聖歌隊の魔法使いを目で追う。


 ドランク=アグナスは内側から破裂したように死んでいたという話であるが、それをどう『殺人』だと断定したのか。


 魔女が「殺した」とは口にしたが、聞かれでもしなければ魔女から自発的にそれを話す事はないだろうとアバカスは考える。


 それを探る為、アバカスはタオを二時間待たせて四日前に発行された殺人事件の記事の載った新聞を探してみれば、見つけた新聞には既に『殺害された』とアバカスがタオから聞いていた通りの記述があった。


 騎士団が死亡者をドランク=アグナスだと断定している間に出された新聞に既に。


 である以上、誰かが新聞社に情報を先渡ししているのは明らかであり、その通りアグナスが新聞を書いた記者に尋ねたところ、事前に『ドランク=アグナスが殺される』といった旨の手紙が届いていたという話。


 つまり、ドランク=アグナスの死は周知しなければならない情報であるという事に他ならない。


 問題は、それが誰にという事だ。


(ドランクの『死』の情報しか新聞にないあたり、それさえ分かってりゃ魔女がからんでると分かるメッセージか? それを伏せる意味が分からねえが)


 不審な点が多過ぎて、整合性のとれている部分を探す方が難しい。それを嫌う魔女がからんでいるからこそ余計に。


 動機や方法が分からないのに、魔女が殺しを認めている矛盾。


 小難しく眉尻をアバカスが歪めていると、ようやく立入の確認を終えたタオが戻って来た。人影を一つともなって。


「捜査するのに問題はないそうだ。ただ、立入が制限されている場所もあるそうでな、勝手にあちこちと歩き回られるのも困るらしい。そこで、多くの研究室で研究の手伝いをしている私の学生時代の友人が案内をしてくれる」


 どことなく顔のゆるんでいるタオの隣に立つ中性的な人物が一人。


 腰にまで伸びている銀色の髪を首の後ろで一纏ひとまとめに縛っており、凹凸の薄い見た目のおかげで、少年と言われれば少年に見え、少女と言われれば少女に見える。褐色の肌の上に純白のガウンをまとう姿は聖歌隊の者達と同じ。


 エルフのように尖った耳を動かし、蒼玉サファイアのような瞳をまたたかせる、そんなタオの友人と見つめ合い、アバカスの目が死んだ。


「なんだその顔は?」

「いや、そりゃそいつ」

「初めまして! 僕はニコラシカ、よろしくねアバカス君!」


 ずいっと顔を覗き込むように顔を寄せて強引に握手してくるニコラシカにアバカスは口端を引きらせる。天真爛漫てんしんらんまんを絵に描いたようなニコラシカの笑顔にこそ、アバカスは顔を歪めた。


 ギチギチと握手された手がきしむ。


「なんだ? ニコがどうかしたか?」

「……眼鏡掛けてて頭良さそうだなってな、初めましてね……」

「頭の良さに眼鏡は関係ないだろうが。なにを言ってるんだ貴様は?」


 呆れながら身をひるがえし学院の中へと歩いて行くタオとニコラシカの背中を見つめながら、アバカスは雑に頭を掻く。


 無知は罪という言葉があるが、知らなければ幸せなままでいられることもある。そんな呟きを飲み込んで、アバカスは二人の背を追った。


 


 


 

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