最高のリアリティ

三条ツバメ

最高のリアリティ

 作家ってのはいい商売だ。


 もっとも、俺は小説投稿サイトに登録したばかりの、アマチュアですらないようなただの書き手だが。


 とはいえ、そんな俺でも作家であることの恩恵はきちんと得られる。

 この国では内心の自由ってものが保証されている。つまり、頭の中でなら、なにをやろうが自由ってわけだ。


 ここまでは誰もが持ってる権利だが、作家にはさらなる特典が与えられている。そう、頭の中で考えたことを外に出してもいいのだ。小説という形でもって。


 頭の中でなんでも出来るのと同様に、作家は小説の中でなんでも出来る。現実の世界を描いてもいいし、まったく別の世界を作り上げてもいい。大昔に行くことも、遥か未来へ行くことも出来る。世界一の美女と恋に落ちることだって出来るし、ヒーローになって巨大な陰謀に立ち向かってもいい。


 なんでも出来る。

 そう、人を殺すことも。


 ベテランのミステリー作家は三桁の人間を殺してるし、ファンタジーの書き手なら魔法で何十、何百という人間をドカン! だ。SF作家に至っては人類を滅亡させる方法を考えるのを競い合っているようにすら見える。


 そもそも出来やしないのだが、それでも彼らのやっていることは現実では到底許されない行いには違いない。にもかかわらず、彼ら作家の作る小説は人々に歓迎される。


 よくよく考えてみれば他人の妄想に夢中になり、あまつさえ金まで払うというのは奇妙な気もするが、今の俺にはどうでもいいことだ。


 俺にとって重要なのは、小説の中ではなにをやっても許されるという点だけだ。小説には自由があるのだ。現実の世界にはない自由が。


 というわけで、俺は会社の上司を殺した。もちろん小説の中でだが。


 俺の書いた小説の中で、あいつは密室殺人の被害者となり、鍵のかかった部屋の中で、血の海に横たわることとなった。


 一応作中では名前を変えたわけだが、俺の頭の中で展開される物語では、あのクソ女本人がメッタ刺しにされた。


 気分はまあまあよかった。期待していたほどよくはないが、まあよかった。


 いままでも頭の中では何度となく殺してやっていたが、いざそれを文章にして書き起こすとこれまでとは違った視点で見られるようで、殺す高揚感が薄れるかわりに、殺したという手応えが強くなった。


 まあ細かいことはともかく、俺は小説を書いたことに割と満足していた。

 会社で受けたセミナーで、悩みがあるのなら書き出してみるといいと言われたのをきっかけに悩み――というかその解決策を書き出してみたわけだが、たしかにこのやり方は効くらしい。あの手の講師もバカにしたものじゃないな。


 改めてノートパソコンの画面を眺める。


 そこには俺が綴った殺人の記録が表示されている。三日前に書き上げた、五千文字もない短い小説だ。そして、これが存在していることを知っているのは、世界中で俺ひとり。俺が頭の中でなにを考えているのかを知っているのが俺ひとりなのと同様に、この小説のことを知っているのは、俺だけだった。


 そのことについて、俺はこの三日、ぼんやりとではあるが、悩んでいた。なんとなく、それは正しくないような気がしていた。


 別に同情して欲しかったわけじゃない。というか、あの女の悪口なら職場のみんなが言っているし、本人のいない場所では何度も話題に上っていた。ともかく、俺はこの小説を他人に読ませたくなったのだ。


 サイトに投稿するのは拍子抜けするくらい簡単だった。小説を公の場に出すのがこんなに簡単でいいのかと少し戸惑ったくらいだ。だが、俺の書いた小説はちゃんとサイトのトップページに表示された。ほんの数分で消えてしまったが、今までに味わったことのない、不思議な気分を俺は味わった。俺は、頭の中身を、外に出したのだ。


 投稿してすぐに、PVが0から6に増えた。トップページから人が来たのだろう。通知欄に「感想が書かれました!」というメッセージが表示されたのは、投稿から三十分ほど経ったときだった。


 俺はなにも考えずにメッセージをクリックした。期待も不安もなく、ただ反射的に手を動かしていた。


 これでは密室殺人とは言えない。


 割と丁寧な表現で言葉を選んで書かれていたが、その感想は要するにそういう内容だった。

 真っ当な指摘だった。ただ単にあの女を殺してやるだけでは面白くなかったし、それでは小説にならない気がしたから、俺はミステリーにすればいいと思って密室で殺した上で刑事が謎を解き、犯人である被害者の隣人を捕まえるという筋書きにした。


 とはいうものの、密室殺人のトリックは昔見たうろ覚えのサスペンスドラマのものに適当に手を加えただけで、ちゃんと成り立っているかどうかなんて考えもしなかった。俺にとってはあの女を殺せればそれでよかったのだ。が、他人に読ませるとなるとそれではだめらしい。


 俺は椅子から立ち上がり、冷蔵庫のところまで行って、ビールの缶を取ってきた。ふたを開けて、一口飲む。


 感想の指摘は正しい。俺の小説は、話として成り立っていない。つまり、俺はあの女をきちんと殺せていないのだ。


 頭は既に動き出していた。投稿した小説をもう一度最初から読み直す。矛盾はすぐに見つかった。では、これをどう直すか。ありがたいことに投稿サイトでは投稿した後も小説を自由に修正出来る。


 ひとまず部屋の鍵に関する設定を追加してみた。そして、再びあの女をメッタ刺しにして殺す。書き直した小説を公開した。

 また感想がついた。今度はさっきとは別の人物からだった。


 前よりはよくなったが、まだミステリーとして成り立っていない。追加された鍵の設定にはリアリティーがない。


 こちらも丁寧な文章だったが、要するにダメだということだ。

 俺はビールをもう一口飲んだ。ブラウザを立ち上げて鍵についてネットで調べてみた。感想の指摘通り、俺のやり方には明らかに無理あるようだった。俺はまた、あの女を殺し損なった。


 またビールを飲んだ。その間も俺の頭は回転し続けた。どうすれば、どうすればあの女をきちんと殺してやれる?


 知恵を絞り、キーボードを叩き、俺はまた小説を修正した。

 そうして何度も何度も、俺はあの女を殺した。


 幸い連休だったので時間はあった。書いて、指摘されて、読み直して、また書く。これを繰り返す内に、俺の小説のリアリティは増していった。


 感想をくれる読者は十人ほどにまで増えていた。一人が納得してくれたとしても別の一人が穴を指摘する。そんなこともあった。

 その都度俺は知恵を絞り、頭の中であの女を殺し直した。

 そして――


 いい。これはすごい。完璧。よくやった。


 そんな感想が画面に並んでいる。俺の小説は、彼らの誰もが認める、最高のリアリティを獲得していた。俺にも実感があった。これは完璧に筋の通った話だ。現実に起こったとしても、何ら不思議はない。それくらいのリアリティを備えた小説なのだ。


 俺は満ち足りた気分でノートパソコンを閉じた。机の周りにはコンビニ弁当の容器にビールの空き缶、小説を直すときに使ったメモ用紙やらが散らばっている。ひどい有様だ。つい苦笑してしまった。片付けないといけないが、それは後回しでいいだろう。


 俺は完璧に筋の通った物語を作り上げた。そして、その過程で他にもたくさんの物語を作った。


 俺の書いた小説はミステリーだ。だから最後は犯人が捕まって終わる。


 これだと刑事は犯人を捕まえることが出来ない。

 リアリティはあるけどミステリーになってない。


 そんな感想を書かれたのは、最後に載せた小説の二つ前の小説の時だった。

 犯人が捕まらないミステリー。そんなものは駄作。出来の悪い小説。頭の中の物語としては失敗作だ。だが、頭の外の物語としてはどうだろうか。


 ……頭の中には最高の自由があるが、頭の外だって必ずしも不自由とは限らない。


 あの小説を書くために、俺は色々なことを考えた。どこでなにを買えばいいのかも、なにをどうやればいいのかも、いまはもう、ちゃんと俺の頭の中に入っている。


 それなら、後は簡単だ。

 さて、行くとしようか。


 俺は外の世界へと飛び出していった。

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