ArsMagia―イコノクラスム―
上代
εικονομαχία
巨大な半球形の天井に床も壁面モザイク画によって装飾されたビザンツ様式の聖堂内で破砕音が響く。
時は西暦744年 東ローマ帝国。偶像破壊の時代。皇帝コンスタンティノス5世の命を実行する者達によって聖像が引きずり降ろされていく。
「徹底的にやれ、モザイクのカケラも残すな」
茶系の髪と目の3~40代程の男がそう指示すると壁は剥がし落とされ、抽象的で平坦な特徴を持つモザイク画はただの石くれと化して散り積もる。
「おい邪魔するな!!」
そんな最中、聖堂の入り口
「どうした?」と聖像破壊を指示していた男が声の主へと足を向けると薄茶色の髪の少女の動きを取り押さえていた男が答えた。
「エクセキアス行政官。実はこのガキが仕事の邪魔を…」
「何が仕事だ! 壊すのをやめろっ!! 横暴だ!!」
叫びながら暴れて男から離れようとする少女にエクセキアス行政官と呼ばれた男は腰を落として少女に話しかける。
「お嬢さん。これは偶像崇拝といって、
すると彼女は灰色の瞳で行政官を睨みつけ言った。
「何が必要なことだっ! その聖書の何処に聖像を破壊しろと書いてあった! 何処に反対する者の腕や目を奪えと書いてあった! 本音は偶像崇拝禁止を理由に教会の領地を没収したいだけだろ!!」
見た目よりも口達者な少女に面を食らうもエクセキアス行政官は言葉を返す。
「厳しく罰していることは認めましょう。ですがそれは信仰を正しく導くために必要なことなのです。断じて私欲や怨嗟といった感情を元に始めたことではありません」
「そう……でも、アナタはその信仰そのものを奪ってる……ねぇ、文字が読めない奴がどうやって聖書を学んでいると思う?」
少女が少し落ち着くと拘束が緩み男の腕を払いながら問いかけてきた。
しかし、質問の意図を読み切れずに一拍の間が生まれると彼女 本人が答えを返してきた。
「芸術さ」
そして、シンプルな答えに続けて言った。
「大聖グレゴリウス1世は聖像は文字を知らぬ人びとの書物であるとおっしゃっていた。これは大衆から聖書を取り上げる行為だ。それを横暴で無いとするならなんだと言うのだ?」
誰しも…一度は疑問に思ったことがあるだろう。
『なぜ、禁止されているにも関わらず聖像が作られて来たのか?』と…。
それは言語の異なる民俗に布教するには視覚化された情報を用いることが効果的だったからである。
付け加えて、西ローマ帝国滅亡後、他民族に囲まれ孤立したローマ・カトリック教会が自衛のために信徒を増やす必要性を求められ偶像崇拝を黙認していたことも関係していた。
「それでも偶像崇拝は禁止されていることです」
「
しかし、西よりもイスラム圏に近く、その影響を受けていた東ローマでは偶像崇拝に寛容な者と狭量な人達が入り交じった社会を形成し、こうして反目し合うことは珍しいことでは無かった。
「耳を貸してはいけませんよ。エクセキアス行政官!!」
両者の意見がぶつかる中、突如、第三者の声が介入した。
「属州長官⁉」
自分よりも上の立場の人間が後方に兵、数名を連れて聖堂内に足を踏み入れ近づいてくるとエクセキアスは驚いた。
「偶然、見かけて気になって見に来たが、やはり貴様か。捕まえろ!!」
属州長官が指示すると兵は少女を取り押さえようと動きソレに合わせて彼女も首から下げていた一枚のメダルに手を掛ける。
すると眩い光が上がり、彼女の周囲に居た者たちは視界を奪われ、逃げる足音を耳にする。
「追えっ!!」
視野に白い残像を残しながらも属州長官は兵にそう命じる。
「なんなのですか……一体…」
戸惑いながらもエクセキアスは属州長官へと質問をした。
「エクセキアス行政官。アレが何を言ったかは知りませんが全て聞き流しなさい
アレは信徒を名乗りながら異端の思想の持ち主たち…」
〝芸術〟を〝魔術〟として転用する者たち…
「魔術師です」
※
―――当時、偶像破壊が行われた理由は今でも解っていない。
一説には肥大化した教会の勢力を削ぐため。
一説には皇帝が敬虔な信徒であったため。
一説には画一化した思想で国内を安定化させるため。
また、俗説では………。
〈芸術の魔術転用を阻止するため、それが偶像破壊の目的…いや理由の一つと考えるのが妥当か〉
一連の騒ぎを終えて暗がりの道を歩きながらエクセキアス行政官は思索に
〈自らの欲のために偶像を求める異端者……やはり、これからも厳しく取り締まらなければいけないな〉
「ッ??!」
自分の正当性を確信しする最中、突然、後頭部から強い衝撃と痛みが走り、エクセキアスは受け身も取れずに地面に叩きつけれると視界の端が白けて行き気を失った。
※
「お目覚めかいエクセキアス行政官」
意識を取り戻すと左腕の無い男が声をかけてきた。
「?……誰だ…?」
手足の一つずつを椅子に縛られた状態でエクセキアスは質問をすると隻腕の男の目が血走った。
「誰だと⁉ ふざけるなよぉお!! このクソ野郎がっっ!!」
怒声を上げ、男は感情のまま行政官を何度も殴りつけると肩で息をしながら呼吸を整える。
「まあ、貴様にとっては領地と私財を没収した司祭などいくらでもいるから覚えていないのも無理もないか」
そう言って相手が一時的に落ち着きを見せるとエクセキアスは彼を
「いったい、なんのつもりです。いきなり暴力に訴えかけるなど…このようなこと、
「うるせぇ!敬虔な信者ぶってるんじゃねぇ!!」
行政官が少しでも口を開くと男は怒鳴りつけ、逆に自分から語りかける時はゆっくりと喋った。
「俺には判るぜ…お前たちは聖書を盾に領地を奪い私腹を肥やす亡者だ…居やしない神を使って寄進を集めてた俺には判る…」
ソコから隻腕の男はブツブツと恨みつらみを口にしていく。
「クソ…なんで俺ばっかこんな目にあわなきゃいけねぇんだ…お前らとなんも変わらねぇことやってるのに…クソ皇帝に取り入れられなかったからか?ふざんけんなよ…理不尽過ぎんだろ…誰だって器用に生きられるワケじゃないのによ…もっと平等であるべきだろ……なあ、お前もそう思うだろ?」
「つまり…アナタは何を求めているんです?」
同意を求められる質問に困惑すると男は部屋に立てかけてあった斧を握って叫んだ。
「こういう事さ!!!」
瞬間。ひじ掛けに縛り付けられた右腕に斧が振り下ろされ、その時、肉を裂かれて感じるものが痛みではなく焼けるような感覚であることを初めてエクセキアスは知った。
「あ″あ″あぁぁぁあっ!!!!!」
苦しみから声を上げると切り落としきれなかった腕から斧が離れ血をまき散らし再び振り下ろされる。
切り口にキレイに当たらず何度も何度も肉を裂く。悲鳴を上げ、ようやく腕が彼から離れると男は笑った。
「ハハハハハッ!!ほぉらコレで同じだぁ!!」
満足そうにする男にエクセキアスは「なぜこのような事を…」と聞くと男は不機嫌そうに答えた。
「あ? 罪を犯したら腕を切り落とす。テメェらがいつもしてることだろうがよ」
この時代…東ローマでは罰則として目をくり抜いたり腕を切り落とすといった方法で刑を執行するのは当たり前で『死刑よりずっと良心的だ』と当時の人は信じていた。
しかし…しかし、コレが本当に良心的だろうか…?!
苦しみながら今まで当たり前であったことに疑問を抱き自分のしてきたことに途端に罪悪感が生まれる。
「そんな私はただ…信仰を…間違いを正したかっただけだったのに…」
血だまりに一滴一滴、涙が落ちる。
「誰もそんなこと頼んじゃいない。お前はただ正義を振りかざして自分だけ気持ちよくなっていただけなのさ」
自らの内の感情を突きつけられエクセキアスは、ふいに聖堂で言葉を交わした少女の言葉が蘇った。
『何が必要なことだっ! その聖書の何処に聖像を破壊しろと書いてあった! 何処に反対する者の腕や目を奪えと書いてあった! 本音は偶像崇拝禁止を理由に教会の領地を没収したいだけだろ!!』
「ああ…そうか、
正義であれば何をしても良いわけではない。ソレに気づくと同時に突如ドアが開かれた。
「動くな!! 貴様を拉致監禁の容疑で逮捕する!!」
衛兵たちが暗い夜を照らしながらエクセキアス行政官を救助にやってきたのである。
「おい!腕を切られているぞ⁉」
兵士たちが急いで止血を始めると彼は次第に意識が遠くなって
※
「目を覚ましたぞ!」
大量出血で気を失ったエクセキアスが目を覚ますと周囲の者達は奇跡だと歓喜した。
「止血は終わりました。酷い目にあわれましたね」
病院のベットで横になる彼に声を掛けた兵士にエクセキアスは質問する。
「私を捕らえていた彼は?」
「安心してください。もう、牢の中です。」
「そうですか。お願いがあります。どうか彼を厳罰に処さないで下さい」
衛兵はエクセキアスの思わぬ申し出に呆然とするが彼は気にとどめずに話を続ける。
「私は偶像崇拝者を罰するのでなく
「行政官…」
なんとも、お人好しな発言である。
これで一件落着だと……そう、誰もが思った時である。
突然。切り落とされたエクセキアスの腕に激痛が走り呻き声を上げた。
「ど、どうなされました⁉」
その時、止血用に巻かれた包帯が蠢き傷口から銀色の腕が生えてきた。
誰しもが声を失い。行政官を気味の悪い目で見つめて言った。
「気持ち悪ぃ…」
※
――数日後。
「君。ダマスコのヨアンネスを知っているかね?」
執務室で属州長官が位の高そうな一人の兵士に話しかけた。
「いえ、どのような方で」
聞きなれぬ名の人物について兵士は聞いた。
「偶像破壊に反対し前皇帝レオン3世の策謀によって腕を切り落とされた男だ。面白いことに、この男は
そこまで聞いて兵士は思ったことをそのまま口にした。
「少し似ていますね…この前、助け出されたエクセキアス行政官と」
「ああ、まあ彼のは人間の腕では無かったがね」
問題はこの後である。属州長官はなぜ急にこの話をしだしたのか? その真意を兵士は聞く。
「エクセキアス行政官はあの一件以来、偶像破壊運動に疑問を持ち始めた
聖ヨハネスも奇跡を受け発言力を増した…」
「それは…あまり宜しくはありませんね」
偶像崇拝を理由に教会の領地没収を行う立場からすれば邪魔者でしかない。
もしも、不満と反対意見を持つ者が結束すれば争いの火種となるかもしれない。今のうちにどうにかしたい。それが属州長官の考えであった。
「一つ…面白い噂話があります」
相談を持ち掛けられた兵士は一計を案じた。
※
「私が…悪魔崇拝者………冗談はよして下さい。何を根拠に」
エクセキアスは執務室に呼び出されるやいなや属州長官から悪魔崇拝者呼ばわりされショックを受ける。
「だが、そう噂する者たちが居ることは確かだ。実際、その腕についてどう説明するのだね」
自らの意志で動く銀の腕を指差されエクセキアスは生身の左手で銀の右腕を掴み弁明を始める。
「…ヨブ記はご存知ですよね?」
「もちろんだヨブが悪魔に多くを奪われ苦しめられようとも信仰を捨てなかった話だ」
「最後には神は失ったもの以上のものを彼に返した…この腕も同じではないでしょうか?」
属州長官が軽く内容に触れるとエクセキアスはソレに最後の結末について補足するが神妙な面持ちは変わることはなく今度は別の質問をしてきた。
「………ところで君はなぜアレほどまで偶像崇拝に厳しかったのかね?」
「正しきことと信じたからです」
「今は考えが違うと聞いたがね」
「ええ、大義の下でなら何をして良いわけではありません」
問答を繰り返す。
すると、次の瞬間。予想もしていない一言が飛んできた。
「思うに…君は偶像を崇拝したくてたまらなかったんじゃないかね?」
「……は?」
エクセキアスは呆然とした。
「考えたんだ。君の本心について…君は偶像崇拝できる者たちが羨ましかった。だから誰よりも厳しく偶像崇拝を否定した」
そこから勝手な推察が属州長官の口から次から次へと流れ始めた。
「自らを厳しく律する辛い日々の中、突然、残酷な仕打ちに会い、そこで悪魔の囁きを耳にした君は邪悪な者と契約を交わし一命を取り止め腕を取り戻すと自らに嘘をつくことをやめてしまった。そうだろ?」
「ふっ…! ふざけないでくださいっ!!!なんですかソレは⁉…そんな…」
何もかも滅茶苦茶な話から我に返り叫ぶと長官は言った。
「では、偶像破壊は間違いだという発言を撤回し、その腕を自ら切り落とせ」
「な…⁉」
「できるだろ。違うと言うのなら」
ここまで来れば誰にだって解かる。偶像崇拝を容認しようする彼に難癖をつけて行政官の地位から引きずり降ろそうとしていることが。
「自分でできないなら、コチラが変わりにやっても良いのだが」
今まで執務室で何も言わずに立っていた兵士がそう声をかけると、腕を切り落とされたあの日の熱が頭の中で蘇り恐怖が生まれる。
「来るなぁあああああああ!!」
足を踏み出そうとした兵士に向かって声を上げエクセキアスは逃げ出した。
※
逃走から幾分かの時間が経つとエクセキアス元行政官街の噂が市民の間に広がっていった。
「聞いたか行政官が悪魔崇拝者だって」
「嘘だろ…あんなに信心深い方が」
「でも逃げだしたって」
その会話を薄茶色の髪の少女は遠くから聞いていた。
※
これは罰なのだろうか?
それとも自分にとっての
どちらでもいい…もう嫌だ…辛い…
「居たぞ!!」
兵士の声を耳にしすると彼は再び疲れ切った足を動かすが足取りは鈍く最後には
もう、お終いだ…そう諦めた時。目の前に
あの時、少女が持っていたメダルが光を放ち目の前が真っ白になるとエクセキアスは、いつの間にか手を引かれながら、その場から立ち去っていった。
※
「なぜ助けた…?」
街から離れた場所で視界が戻るとエクセキアスは薄茶色の髪の少女に問いかけた。
「隣人を助けるのは当たり前だろ」
彼女は、さもあらんと答える。しかし…
「助かったからどうだと言うんです…どうせ意味なんてない…生きていたって…何も…」
絶望から虚無的な声が響く。
「もう…死にたい……」
彼は積み重ねてきたものを失い、苦しみから死を願い始めていた。
「それは…ダメだよ…」
「なぜ…? 生きていても辛いのに…周囲から悪魔崇拝者と思われてまで、なんで生きなくちゃいけない?」
気づけば涙声になって喋っている事に気づいたが、今はそんなことはどうでもよく、ただ言葉を吐き出した。
「私たちは、神から幸福をいただいたのだから不幸もいただこうではないか。…とでも言いうつもりですか? 残念だがコレはヨブ記ではない!! コレは私が成してきた独善への罰に違いない! …もう終わらせたい。私には耐えられない…」
「なら…なぜ逃げていた?」
「それは……」
解らない…自分でも言葉が出なかった。
そんな何も言えない彼に少女は言った。
「私にはアナタを救うことは叶わない。アナタの苦しみは聖書から来るものであるから…」
それが答えなのかと再び絶望しかけた時。
「ならば救いもまた聖書の中にあるのでしょう」
少女から言葉が送られた。
『私は今日、天と地を呼んで貴方がたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福と呪いをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすれば貴方と貴方の子孫は生きながらえることができるであろう【申命記30章19節】』
それは生きろと言う意味だった。
「私は…生きるべきだと思いますか?」
問いかけに彼女は頷いた。
「悪魔崇拝者と罵られても?」
同じく頷いた。
「アナタはどうしたいの?」
今度は少女の問いかけに彼が答える。
「生きたいです…」
涙で崩れた声と顔で彼は前を見つめだす。
そして……。
彼は命を選び歩き出した―――。
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