短編置き場
出水貞光
昧爽に消える
私が新社会人になって一年が立とうとしていた頃のある朝、一通の手紙が来た。上京してからもう何年会っていない兄からの手紙であった。
通信技術が確立されたこんなご時世にわざわざ手紙を出してくるなんてどうしたんだろうと思ったが、よく面白そうなことをしでかす人間だったと覚えていたのでとくに不思議には思わなかった。
兄は変わった人であった。年齢こそ私とは少しばかり離れているがそれでもまだ若く、私が高校生ぐらいの時は会うたびに何か面白いことをして私をよく楽しませてくれたものだ。今回も似たようなものだろう、もしくは何か趣味で習字でも習ったのでそれを自慢したいのだろう、そう思って封を切った。だがしかしそれは私の想像とはほど遠く、便箋から溢れ出る感情が私の脳内を襲った。
「お元気でやってますか?私は今、これからを生きるあなたにどうしても話しておかなければいけないと思いこの筆をとっています。この強情で傲慢な私の話しをどうか聞いて欲しい。」
私はこの一文で風雲急を告げる事態だと悟った。全てを読む前に手紙を置いて兄の電話に連絡したが反応はなく、すぐに私は自分の会社へ連絡し今週のあらゆるスケジュールを断りその足で故郷への新幹線に飛び乗った。
車内で少し落ち着いた頃、私はもう一度手紙を開いた。続きはこう綴られていた。
・・あなたがよく知っている通り、私は馬鹿な人です。両親にも迷惑をかけていたことは自分でもよく知っています。職も長く続かず、転々としたその日を過ごし、ありがたいことになんとか今日まで生きてこられました。せっかくなのでここに自分の事を記したいと思います。
私は生きている間はなにかこの世に残さなければいけないと心のどこかでそう思っていました。あなたに昔披露したものはその断片です。あの時少しでも楽しんでもらえたならば、それ以上なにも望まなければよかったのでしょう。
ですが違った、私は自分が望む自分になることを心のどこかで捨てきれなかったのです。無論、こんなことを思うのはもうやめなければいけない自分もすこしばかり居ました。
しかし職につき、角も立てず辟易した毎日を過ごしている自分に嫌気がさし、転々としました。逃げ続けた先に待っているのが何かなんて知りもせず、ただ時間を消費しました。
日々の中でそんな自分を優しく寄り添ってくれた女も何人かいました、理想を思想するのはやめてこのまま対になってもいいと思った事もあります。ですが人生のわずかな時間を他人の私に注いでくれた者達を私はことごとく裏切ったのです、なにか言い合いになれば耳に聞こえのいい常套句を吐き逃れましたが、結局のところ最終的には私が皆を逃げ場所としか見てないことに気づき私の元を去っていきました。
私は怠惰でなんの努力もしなかった。心のなかでいつも理想だけを呟き、自分はいつでもその気になりさえすればできるなんて思いながら時間と金を消費し続けました。
しかしやっと気づけたのです、自分自身が無能故にこんな姿になっていることに、その瞬間今までのことがとても恥ずかしくなりました。周りの目がどうではなくこんな人間がいることに自分自身がとても嫌悪したのです。
今生に未練と後悔はたくさんあれど、もうこの肉体と脳に未練はございません。最後にあなたにこんなことを伝えるのは少し卑怯かもしれませんね、謝ります。
あと一つお願いがあるのですがこの手紙を読んだら燃やして捨ててください、内容ははあなたの心の奥深くにしまっておいてください。
故郷への新幹線を降りた私の足取りは重かった、この手紙を読んで今回の顛末が容易に想像できた。そのあとすぐに父から電話があった、涙まじりの声がしていた。「きっとまた長い旅にも出たのでしょう」と、そう伝えた。
あれから私は齢を重ね、夫にも子にも恵まれ、いまではこうして孫も家に遊びにきてくれる。劇的な生活をしているわけでは無いが、側から見れば十分幸せな家庭を築けたと思う。
今の私をあの人が見たらどう思うだろう、そんなことを考えても仕方のないことだ。
趣味も何もない私はある日の明け方、あの手紙の返事を書くことに決めた。あの人が旅立った時間もこんな朝と夜が曖昧とした景色だったらしい。
「あの日夢を追わず、成すこともせず、敗れ散っていった怠惰なあなたへ・・・」
書き終えた手紙は、机の奥深くにそっとしまった。
短編置き場 出水貞光 @izumisadamitsu
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