第2話クソ青春の輝き
ボクたちは夜の診察室にいる。五十嵐内科病院。この辺のお年寄りのかかりつけ医。部屋の隅に古いタイプの身長測定器と体重計がある。奥の窓側の壁には透明プラスチック製の棚があり、薬瓶やチューブのついた医療器具が見える。
机には白衣姿の五十嵐が着き、加藤、橘そしてボクが勝手気ままに周囲を囲んでいる。
「おまえらに新型コロナウィルス肺炎のワクチン打ってやるよ」
五十嵐はそう言った。
「俺たちの優先順位まだだぞ」
「知ってる」
橘に五十嵐が答えた。
「中田恵が死んだってよ、しかもコロナで」
五十嵐が言った。
中田恵は高校生時代のクラスメイトだ。みんなのアイドル。
ボクは息を呑んだ。あの中田恵が死んだ。
実感は湧かない。ただ制服のブレザーを着た高校生の中田恵がボクの頭に浮かんだ。
五十嵐は説明してくれた。中田恵の訃報を聞いて、頭の中にまずボクらの顔が浮かんだそうだ。それでワクチンを……というワケだ。
加藤が短くため息をついた。
「たまらんな」と橘。
橘は高二のとき、中田恵に告白してフラれた経験を持つ。
橘がしみじみとしゃべり出す。
「覚えてるか? 文化祭の打ち合わせするためにみんなで五十嵐んちに集まったべさ」
「あ、出前で風雷軒の味噌ラーメン食ったときだ」とボク。
「あのとき、加藤が少年の解剖DVD入手したから、みんなで見ようって興奮しててさ」
橘が今さらながら加藤の悪事をバラした。橘は腰掛けていた簡易ベッドに横たわり、腕を後ろ手に組んで頭を乗せる。
「一番、キャーキャー盛り上がってたの中田恵だったよな」と加藤。
「『ファイトクラブ』が高二のときか……中田恵、デヴィッド・フィンチャーにハマってたはず」
五十嵐はどこともなく遠くを見つめて言った。
「……結局そのDVDの中身、鹿児島県に伝わる闘牛イベントの実況映像だったという」そう言ながら橘が鼻で笑った。
みんなが黙る。遠くから貨物列車の走る音が聞こえてきた。
「クソ青春の輝き」
加藤がボソリと言った。
「中田恵はどこの病院で?」
「札幌」
加藤の問いに五十嵐が答える。
「以前、腎臓移植手術受けてて免疫抑制剤飲んでたらしい」
五十嵐は落ち着いて言った。よくあることだ、という感じだった。五十嵐の白衣が光っている。
診察室に先ほどの中年女性のナースが入って来た。
「先にボクたちがワクチン打っちゃって、いいの?」とボク。
「優先順位無視だべさ、ズルくね?」
橘は横になっていた簡易ベッドから起き上がり、言った。
「気にするな」
五十嵐が短く言う。
「どうやってゴマかす?」と加藤。
ボクを含め加藤も橘も完全にその気になってしまった。ワクチンを打つ気満々だ。ナースが勝手にボクたちの体温を測り始めた。
「余計な心配はするな……新型コロナウィルスのワクチン接種した病院は厚生労働省に詳細を報告しなきゃならんのだが……廃棄数の数字をちょっと水増しすればいい」
ボクたちはすぐに納得出来なかった。
「運搬や保管のミスで使えなくなったワクチンが実際は10回分なのに30回分と多めに報告する予定なワケ。たとえばの話な。つまり書類上は廃棄分なのに実際は無傷なワクチンがあって、それを横流ししてるというのが今の状況」
五十嵐が説明を重ねる。
「それで浮いたワクチンをキミらに打つ……大丈夫だよ、厚生労働省の役人はわざわざこんな田舎街に、報告書の虚偽について調査なんか来ないよ」
理路整然と五十嵐が言った。なるほど。
ナースは順番にボクたちの血圧を測っている。
展開が早い。ボクたちは新型コロナウィルスのワクチンを接種することになった。
「じゃあ、隣の処置室へ」
ぞろぞろとみんなでナースのあとに続いた。
卑怯とか言うな。それでは、ズルしてひと足先に新型コロナウィルス肺炎のワクチンを打たせていただきます。
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