虚ろなるレガリア Corpse Reviver 2/13



 第一幕 コープス・リバイバー



          1


『――わおーん! おはようございます、伊呂波いろはわおんです』

『今日も見に来てくれてありがとう。相変わらずいいお天気が続いてますね。ただいまの我が家の気温は、なんと三十三度! いやー、道理で暑いと思ったよ。皆さんも熱中症なんかには、十分に気をつけてくださいね』

『……ってか、ここまで暑いと、歌ったり踊ったりってのはさすがに無理っぽいので、本日は、  インドアでお料理を、はい、和食というやつを作ったりしてみたいと思います』

『こう見えてですね、わおん、実は料理がわりと得意だったりするんですよ。いやいやホント。嘘じゃないって! というわけでですね、さっそく、肉じゃが、行ってみたいと思います!』


          †


 その店は、江戸川の東岸にある廃ビル群の隙間にひっそりと建っていた。

 得体の知れない輸入雑貨を扱う、見るからに怪しげな商店だ。

 店の奥には小柄な老人が座っていた。派手な柄のシャツを着たメキシコ人。短くなった葉巻シガーをくゆらせながら、色褪せた日本のマンガ雑誌をめくっている。

「戻ったぜ、エド」

 勝手に店に入ってきたヤヒロは、店主が陣取るカウンターに、運んできた荷物を投げ出した。ヤヒロの身長ほどもある細長い白木の桐箱だ。

「おまえさん一人か、ヤヒロ。依頼人が連れてきた護衛の連中はどうしたね?」

 店主のエド――エドゥアルド・ヴァレンズエラは、マンガ雑誌を広げたまま、ヤヒロの顔を面倒くさそうに一瞥する。

「護衛? 見張りの間違いだろ」

 ヤヒロは無愛想に答えると、ポケットから銀色の金属片を取り出した。ステンレス製の認識票ドッグタグ。ヤヒロを監視するためについてきた、傭兵の首から剥ぎ取ってきたものだ。

「ふむ、死んだか」

 エドはなんの感情もこもらない口調で言った。

 危険地帯である二十三区に踏みこんだ人間が、命を落とすのは珍しいことではない。それが余所者の傭兵であれば尚更だ。むしろ二十三区に何年間も出入りして、未だに生き延びているヤヒロのほうが異常ともいえる。

「魍獣に襲われた。黒くてでかい犬みたいなやつだ。場所は千住の警察署付近」

「なるほどの」

 ヤヒロの説明を丁寧に書き留めて、エドはそのメモを壁の地図に貼り付けた。

 信頼のおける魍獣の情報は高値で取引されるし、なによりもそれを知っているかどうかで、生還率が大きく変わる。傭兵たちの死の顛末よりも、二十三区に出現する魍獣の情報のほうが、エドにとっては貴重なのだ。

「それで、目当ての品はどうなった?」

「こいつだろ。博物館みたいなわかりやすい場所にはなかったから、見つけるのに苦労した」

 ヤヒロが運んできた荷物を指さした。

 エドが無造作に桐箱を開ける。中には一振りの日本刀が、刀袋に入った姿で収められていた。

 刀袋の中から出てきたのは、打刀拵えの日本刀。博物館級の恐ろしく古い代物だ。

「国宝〝九曜真鋼〟か……ふむ、どうやら、本物らしいの」

 桐箱の底に記された添え書きを一瞥して、エドが満足そうに頬を緩める。毛筆で書かれたその筆跡は、ヤヒロには謎の記号としか思えない。

「そんな文字がよく読めるな。日本人の俺でも、なにが書いてあるのかさっぱりなんだが」

「当然よ。でなけりゃ、美術商など務まらん」

「美術商か」

 エドの自慢げな発言を聞いて、ヤヒロは思わず失笑する。

 無人の廃墟と化した東京から、価値のある美術品を運び出し、それを海外の好事家に売りつける。それがエドの生業だった。とても美術商などと呼べる高尚な仕事ではない。せいぜい廃品回収、あるいは火事場泥棒というのが正解だ。

「不満か?」

「いや。金さえ払ってくれるなら文句はない」

 ヤヒロは自嘲するように笑って首を振った。エドに依頼されて二十三区に入り、実際に美術品を回収してくるのがヤヒロの仕事だ。つまりは火事場泥棒の下請けである。

 自国の美術品を海外に売り払うことに罪悪感はなかった。滅びた国に財宝だけ残っていても滑稽なだけだ。

「報酬か。払うともさ。もちろんな」

 エドが引き出しから取り出した札束を、無造作にヤヒロの前に放った。輪ゴムで束ねられた、薄汚れた米ドル紙幣。少ない枚数ではないが、期待したほどの金額でもない。一万ドルにも満たないことは、数えるまでもなくひと目でわかる。

「五万の仕事じゃなかったのか?」

「仲介手数料というやつよ」

 不満そうに問い詰めるヤヒロに、エドは悪びれることもなく言ってのけた。

「依頼人との交渉。美術品の鑑定。なにをするにも金はかかる。情報だってただじゃない」

「だからって、そっちの取り分のほうが多いのはどういうことだよ。あんたは快適な店の中で、くだらないマンガを読んでただけだろうが」

「くだらないといわれるのは心外だの。日本のマンガ雑誌というやつは、出すとこに出せば、けっこうな高値で売れるのよ。ほれ、貴重な『ソロモンズ・ロア』連載前の読み切り版だ」

「そういう話をしてんじゃねえよ。だいたい、そのマンガ雑誌だって、俺が二十三区に入って命がけで拾ってきたやつだろうが」

 ヤヒロが苛立ったように声を低くした。

 エドは殊更にゆっくりと葉巻の煙を吐き出し、ニヤリと笑う。

「文句があるなら、次からはよその業者みせの依頼を受けることだ。日本人のおまえを雇ってくれる物好きが、儂以外にいれば、の話だがね」

 ヤヒロの手の中で音がした。ステンレス製のドッグタグが、ヤヒロの握力に耐えかねて、へし折れた音だ。ねじ曲がったドッグタグを、ヤヒロはカウンターに叩きつける。

 エドは、おお恐い、と言わんばかりに大げさに肩をすくめてみせた。

「金が要るなら、黒社会ヘイシャーホェイの仕事を引き受けたらどうかね? チバの麻薬組織カルテルが、腕の立つ用心棒を探してる。おまえさんの実力ならいい金になるぞ」

「人を殺す仕事を受ける気はねえよ。あんたがターゲットなら考えてみてもいいけどな」

 ヤヒロが不機嫌な声で言い放つ。エドはやれやれと嘆息し、

「日本人は恩義ってものを知らんの」

「散々ぼったくりやがって恩義もクソもあるか」

 ヤヒロは乱暴に言い放ち、カウンターに置かれたドル札の束をつかみ取った。それらを剥き出しのまま、レッグバッグの中に放りこむ。

「……関東圏の民間軍事会社がこぞって戦力を集めとる。麻薬組織カルテルの連中がピリピリしておるのもそのせいだ。どうやら近々、二十三区ででかい動きがあるらしい」

 黙って店を出ようとしたヤヒロの背中に、エドが唐突に呼びかけた。

 ヤヒロが足を止めて振り返る。

「でかい動き?」

「具体的な内容はわからん。情報料としてその金を置いてくなら、調べてやらんでもないが」

「誰が置いてくか。そんなもの俺には関係ない話だろ」

「だといいがの。噂では、どうも二十三区に出入りする回収屋の情報を嗅ぎ回ってる連中がおるらしい。せいぜいおまえさんも気をつけることだな」

 エドは無関心な口調で言うと、再びマンガ雑誌をめくり始める。

 民間軍事会社が回収屋について調べている――エドの言葉は、ヤヒロに対する警告だった。たしかに気になる情報だ。

 とはいえ、そのことでエドに感謝する気にはなれなかった。妙にヤヒロへの報酬額が少ないと思ったら、情報への見返りを事前にきっちり差っ引いていたらしい。日本人のヤヒロとまともに取引する気があるだけ、まだマシなほうだと言えなくもないけれど――

 くたばれ、じじい、と心の中で吐き捨てて、ヤヒロは店を後にする。

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