第9話 死の森

 葵は道も方角も分からないまま、暗い森の奥へ奥へと入って行った。死の森はその名の通り、昼間であるにもかかわらず不気味に薄暗く、普通の森にある生命感がまったくなかった。

 まさに死の森だった。

「こっちだ」

 後ろでまた声がする。

 追っ手も、葵を追って死の森に入ってきているのが、その音や気配で分かった。葵は、死の森の奥へ奥へと走った。

 ――走って走って、葵はふいに立ち止まった。何か異様な感覚が、葵を包み込む。何かがおかしい。

「・・・」

 死の森は異常に静かだった。鳥や虫の鳴き声はおろか、木々のざわめきすらがない。

「・・・」

 いつの間にか、追っ手の声や気配も消えている。葵は当たりを見回した。

「・・・」

 耳を澄ますが、やはり、追っ手の声はしない。それが逆に不気味だった。

 気付けば、葵は自分の立ち位置を見失っていた。方角も分からず、今自分が世界のどこにいるのかが、まったく分からなくなっていた。

「魔女ってどんな人なんだろう」

 その時、葵はふと思った。とても恐ろしい顔が頭をよぎる。幼い葵には想像するだけで、それは例えようもないほど恐ろしかった。

「うわあああ」

 その時、後ろの森の中で何か叫ぶ声がした。葵が驚いて振り返る。

「・・・」

 多分、追っ手の声だろう。追っ手が何かに襲われたのだろうか。しかし、その叫び声は、死の森の不気味な静寂の中にすぐに飲み込まれ、消えてしまった。

「・・・」

 不気味な静寂が再び辺りを覆う。葵は言いようの無い恐怖を感じた。体の芯から震える恐怖だった。

 しかし、進むしかない。葵は意を決して再び歩き出した。葵は方角も自分の立ち位置も分からないまま、森の奥へ奥へと再び入って行った。

 やはり、追っ手の気配は感じなかった。声もまったく聞こえない。聞こえるのは自分自身の荒い息遣いだけ。しかし、歩き進むにしたがって、追われることとはまったく違う、言いようの無い不気味な不安と恐怖を葵は感じるようになった。それは、森の奥に入れば入るほど、深くなっていった。

「・・・」

 何かが違う。ここは、やはり何かおかしい。葵は、本能的な部分でそれを感じた。しかし、戻ることはできない。葵は心の底から恐怖に包み込まれながらも、歩き続けるしかなかった。

 葵は歩いた。薄暗い森の中を、歩いて歩いて、でも、不思議と自分が進んでいる感覚がなかった。同じところをただぐるぐると回っているだけのような気がした。

 そして、いつの頃からか、誰かが葵たちを見ているような気がしていた。それはどこまでもどこまでも執拗についてくる。そして、どこまでも深く葵を見つめていた。しかし、人も生き物の気配も全くしない。

「あっ」

 その時だった。目の前の木々の間の闇の奥から複数の巨大な獣の目がギロリと葵を見つめていた。闇の中で巨大なその丸い目だけが光っている。

「・・・」

 葵は恐怖で、もう動くことさえできなかった。でも、アイコだけは、アイコだけは何としても守らなければならないと、その本能的な部分だけは働いた。葵は恐怖に震える体でアイコをきつく抱きしめた。その巨大な目は、瞳孔を縦長に細め更に葵に焦点を絞り、照準を合わせた。

『もうダメだ。私たちはこの獣たちに食べられるんだ』

 葵はそう思って、固く目をつぶりアイコをきつく抱きしめた。

「神様・・」

 葵は祈ることしかできなかった。

 その時だった。

「わああ~ん」

 今まで、あの凄まじい戦闘の時ですら静かだったアイコが、突然猛烈な勢いで泣きだした。その強烈な鳴き声は、静かな森を切り裂くように響き渡った。すると、それと同時に、獣たちの目は、突然動揺し始めた。そして、一つまた一つと、逃げるようにすーっと森の闇の中に消えて行ってしまった。

「・・・」

 葵はそれを確認して、ほっと胸をなでおろした。その時だった。

「おいっ」 

 突然、葵の真上の木の上の方から声が響いた。葵は、息が止まるかと思う程驚いて、飛び上がった。葵は声のした木の上の方を素早く見上げた。

「あっ」

 すると、そこには一人の真っ赤に燃えるようなオレンジ色の髪の毛を大きな二つの三つ編みにした少女が、人懐っこい笑顔を浮かべ木の枝に座って葵を見下ろしていた。

 葵は新たな恐怖に震えた。

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