第56話 白雪姫は頑張った
「………………………」
「………………………」
後日、由紀那からとある連絡を貰った晴人は彼女の自宅へとお邪魔していた。現在晴人は由紀那の部屋におり、テーブルを挟んだ対面に彼女が床にちょこんと座っている。
休日だからか現在は見慣れたポニーテール姿ではなく、綺麗な濡れ羽色の長髪を流している。だが残念ながらその表情は両手で隠されていて見ることが出来ない。
本来であればこの週末も副店長として働いているのだが、本日は第三日曜日なのでデ・ネーヴェは休業日。晴人の自宅から自転車でここまで小一時間は掛かってしまったが、なんとか無事到着した。勿論他所様の家に上がらせて貰うので途中で購入してきた手土産(今日はシュークリームとどら焼き)は忘れずに、だ。
以前自宅にお邪魔したことがあるとはいえ、今回が二回目の訪問である。正直緊張しなかったと言えば嘘になるが、休日に由紀那に会えるのはとても嬉しかった。なんとか勇気を出して玄関のインターホンを押すと、出迎えてくれたのは由紀那の母親である奈津美だった。
軽い挨拶を交わしながら生暖かい笑みで『ささ、入って入ってー』と二階に促されて今に至る。因みに由紀那の父親は趣味の釣りに出掛けたらしいので不在らしい。
(とは言っても、さっきから黙りこくったままなんだよなぁ……)
さて、由紀那がこのようになっている原因の予想はつく。というか、十中八九つい先日のクラスの廊下に立っていた生徒へ向けての言葉の所為だろう。
彼女が堂々と言葉を言い放った直後に唖然とした表情を浮かべていた生徒たちだったが、たまたまそこへ見回りにやってきていた先生に「何してんだ、ほら通行の妨げになるから解散解散ー!」と注意されると蜘蛛の子を散らすように去っていった。
結局めぼしい反応は出来ずに晴人らもその場を離れることになってしまったのでその後の由紀那の様子が心配だったのだが、どうやら案の定落ち込んでいるようだ。
肩をしゅんとさせていることからあの時受けたダメージが伺えるだろう。
(放課後話せればと思ったけどいつの間にか帰ってたし、電話やメールしてもすぐ返事がなくて心配してたら『今日のこと、日曜日にお話しましょう? お願い』ってだけ文章送ってくるし……)
人見知りな分繊細な彼女のことだ、きっとクラスで言い放ったあの言葉を冷静に振り返ってみたら羞恥心が芽生えてしまったのだろう。彼女なりに勇気を出した結果なのだからそう落ち込まなくても良いと思うのだが、当の本人からしてみれば一大事。
人生が終わったレベルではないにしろ、テストで全問正解だったはずなのに名前を書き忘れた所為で0点だった位の絶望感を味わっているに違いない。
ともあれ、晴人がこの部屋に来て最初の挨拶を交わしてからもう既に二十分程は経過している。由紀那から話してくれるのを待っていたが、この無言の空気を耐えるのは今の晴人にとって正直我慢の限界である。
何故なら。
(今更ながら、ここ由紀那の部屋なんだよな……)
何せ今まで女っ気のなかった晴人が初めて入った女の子の部屋だ。こう言ってはなんだが、由紀那の落ち着く良い匂いがする。
広さ的におよそ畳六畳分の広さで、敷かれている水色のカーペット以外は内装はすっきりとした白色で統一している。置いている家具も必要最低限の物だけのようで、シングルベッドにローテーブル、クローゼット、テレビといったシンプルな物。加えてベッドの枕元には以前晴人がプレゼントしたロップイヤーラビットのぬいぐるみたちが顔を覗かせている。あれから可愛らしい動物が三匹ほど増えているということは、きっと気に入ってくれているのだろう。
浮き立ちそうな気持ちを必死に押さえつけながら呼吸を整えた晴人は口を開いた。
「で、だ。そろそろ話してくれないか、由紀那」
「……私ね、あれからしばらくは嬉しかったの」
手で表情を隠したまま由紀那はぽつりぽつりと話し始める。
「今までたくさんの生徒から注目され続けても、緊張しちゃって……人見知りだからどうすればいいのかわからなくて、苦手意識があって」
「あぁ」
「あのとき、久々に廊下にたくさんの人がいて、びっくりしたの。加えてはるくんもいるから、余計に」
「……ごめんな?」
「ううん、別にはるくんを責めてるわけじゃないの」
あのときの自分の存在が由紀那に負担になっていたかと思い晴人は謝ったのだが、ふるふると首を横に振ってそのように否定した彼女の様子は弱々しい。由紀那はそのまま言葉を続ける。
「むしろ頼もしかったわ。はるくんが私を見てくれていると思ったら、不思議と頑張ろう、一歩を踏み出そうって思えた」
「由紀那……」
「———でも、問題はその後よ」
「由紀那?」
「どうして……」
やや声のトーンが低くなった由紀那に対し、思わず訝しげな視線を向ける晴人。なんだか空気がひんやりとして来たのは気の所為だろうか。きっとエアコンの冷房が効き過ぎているからだろうと一人納得していたのだが……。
「どうして私、あんな言葉を恥ずかしげもなく言い放ってしまったのかしら……!!」
「あー……」
由紀那の後悔するように絞り出す弱々しい声音。首筋や耳まで真っ赤にしている辺り、相当羞恥を抱いていることがわかる。
何も彼女があのようなユーモア(?)のある言葉を使ったのは初めてではない。以前の勉強会の際に渡と夏菜の二人に挨拶するときにも用いてたし、最近では長ったらしい題名の指南書でコミュ力向上の方法を模索していた。
彼女なりに努力していたし、それは認める。ただ、一昨日由紀那が生徒に言い放ったアレはひとつだけ欠点がある。
「……まぁ、気心の知れた相手なら兎も角、大勢の生徒がいる前で言い放つにはちょっとばかし難易度が高いわな」
「パパとママに話したらパパは頑張ったなって言ってくれたけど、ママには爆笑されたわ」
「鬼かあの人!?」
どうやら『やりやがった!!マジなの由紀那!?やりやがったッ!!』と言いながら大爆笑をぶちかましたらしい。奈津美らしいと言えばらしいのだが、人の心はないのだろうか。もう少し手心というか、どんな形であったとしても自分の娘が頑張ったのだからパパさん同様褒めてあげれば良いのに、と思わず渋い表情を浮かべてしまう晴人。
由紀那はワントーン下がった声のまま言葉を続ける。
「実際、あの言葉を言った直後のみんなの私を見る目が違ったわ。いつもは冷たくて一歩引いた空気を感じてたのに、今回は道の角を曲がったら急に道端で喋る珍獣を目撃してしまったみたいな感じよ」
「確かに廊下にいた奴らも急に由紀那があの挨拶をしたから呆けてたな」
「やっぱりそう……」
詳しく聞けば由紀那は初めこそ何も感じておらず、寧ろ達成感まであったようなのだが、周囲の反応に違和感を覚えたようだ。やはり由紀那はそれがきっかけで羞恥心を覚えたのだろう。
「———高校生活終わったわ」
「いやいや、流石にそれは言い過ぎだろ」
「いいえ、決して誇張などではないわ。今までは遠巻きにヒソヒソと話をされる程度だったけれど、明日から学校に行けばきっとあからさまな嘲笑を向けられたりイジメを受けるに違いないわ……」
「そんなことないよ」
「そんなことあるもん。いくらはるくんでもそんなのわからないじゃない」
いじけたようにそう消極的に話す由紀那。ここまで弱気な様子も珍しい。いや、普段から凛とした佇まいである彼女がここまで心情を吐露してくれるのは晴人に甘えてくれているからなのだろう。
(もん、って子供かよ…………。いやまぁ可愛いけど)
困り果てた様子の由紀那にはとても悪いし失礼だが、正直嬉しい。既に晴人の中でとても大きな存在である彼女にこうして悩みを打ち明けられるのは満更ではなかった。由紀那から甘えられている、と思った途端、身体がぽかぽかと暖かくなってくる。心臓の鼓動が自分でわかるほど打ち響いていた。
(…………見られてなくて良かった)
幸いにも正面にいる由紀那は未だに自身の両手で顔を覆い隠している。思わず良かったと息をつく。最近一緒にいる機会の多い由紀那とこの部屋で、加えて自身の赤く染まった顔を彼女に見られてしまっていたら緊張や警戒といった余計なストレスを与えてしまう可能性があった。
と思いつつも晴人の顔からまだまだ朱は引きそうにないので、口元を窄めながらなんとか耐える。
とはいえ、ただでさえ現在は由紀那のメンタルがだだ下がりなのだ。少々勘違いしているとはいえ、マイナスなことを言ってこれ以上地球のマントル付近まで下降させる訳にはいかない。微力ながらもここは最善を尽くしてフォローさせてもらおうと晴人は再び口を開いた。
「一応言っとくけどさ、あのときのあいつらの由紀那への反応案外良かったぞ?」
「……嘘。はるくんが優しいのは知ってるけど、そんなの嘘に決まってるわ」
「本当だよ。ある意味、クールで真面目な由紀那があんな言葉を言う筈がないって固定概念のお陰なんだろうな。どうやら生徒らの耳には最後の部分がしっかりと『みなさん』に変換されて聴こえていたらしい。だから大丈夫だよ」
「………………え」
実際、各々教室に戻っていく途中の生徒が口々に「初めてレスポンスして貰った!」「うへへ、ごきげんよう皆さんかぁ……!」「最ッ高に輝いて見えた!!」と興奮したように笑みを浮かべながら口々にそう呟いていた。
まだまだ課題があるのは否めないが、由紀那による第一歩、つまりイメージ改革はある意味成功と言っても良いだろう。
だから今日、晴人はこの言葉を伝えたかった。
「———頑張ったな、由紀那」
「………っ」
「実際に行動するのは簡単なことじゃない。だから、本当に凄いよ」
「っ、〜〜〜〜〜〜っっ!!」
身体を伸ばしてテーブル越しの由紀那の頭を撫でる。さらさらとした髪の質感が直に晴人の掌に伝わるが、艶やかな見た目の通りしっかりと手入れしているのだろう。まるで絹のような手触りで非常に心地よい。
晴人は口角を緩めながら何度も由紀那の頭を撫でる。撫で始めた時から髪から覗く耳が真っ赤で身体を微動だにしていないのだが、そんなところも可愛らしいと優しげな瞳で彼女を見つめる。
「なぁ、由紀那。そろそろ顔見せてくれないか?」
「……ど、どうして?」
心なしか由紀那の声が上擦っているように聞こえたが、晴人は構わず言葉を続ける。
「恥ずかしいのは分かるけど、ずっとこのままって訳にはいかないだろ?」
「で、でも……」
「それにさ、折角会いに来たのに由紀那の顔が見れないっていうのはその……うん、寂しいよ」
「へぇぁっ……!?」
晴人がそう心情を吐露した直後、由紀那はびくんっ、といきなり身体を振るわせたかと思ったら変な声を洩らした。今まで聞いたことがない可愛らしい声に目をぱちぱちとさせる晴人だったが、紛れもない本心である。
とはいえ、これはただの晴人の我儘なのでなんの強制力もないのだが。
撫で終えるタイミングを失ってしまったのでそのまま艶やかな手触りと堪能していた晴人だったが、しばらくして心の整理がついたのだろう。ほっそりとした指の隙間から両目を覗かせた由紀那は絞り出すようにぽつりと言葉を呟く。
「…………はるくんって、意外とドS子犬系男子よね」
「えぇ、なにその謎ジャンル。初めて言われたんだけど」
「初めて言ったもの。……ほんとうに、卑怯よ」
「ご、ごめん」
「ううん、別に責めてる訳じゃないわ」
ただ、と由紀那はそのまま言葉を続ける。
「視界が塞がれている状態でいきなり女子の頭を撫でるのはおすすめしないわね。心臓が飛び出そうになるくらいびっくりしちゃうから」
「そ、そんなにか?」
「えぇ。少なくとも私以外にはしない方がいいわね。うん、それが良いわ」
「そもそもそんな相手いないし、由紀那だからしたんだが……わかったよ」
「…………そう」
由紀那は瞳をきょとんとさせると、視線をテーブルへと下げる。両手で顔の下半分を覆い隠したままな上、晴人から見る角度的に彼女の双眸の奥に秘める感情の様子は残念ながら伺えない。
「ねぇはるくん」
「ん、どうした?」
晴人への呼び掛けと共にそっと顔から手を離してこちらを見つめる由紀那。
見慣れた端正な顔。普段であればクールさが際立つその顔色は耳と同様にほんのりと朱色に染まっており、緊張からかうっすらと潤んだ瞳はどこか煽情的だ。
表情こそ相変わらず変化は無いが、晴人はそんな彼女から目が離せなくなる。どくんどくんと激しく胸が高鳴っている事実を自覚しながら由紀那の言葉を待つ。
やがて彼女は綺麗な唇を開いた。
「…………励ましてくれてありがとう。嬉しいわ」
「そ、そりゃ良かった。どういたしまして」
「これからも頑張るから、側で見守っててね?」
そんな可愛らしい顔で魅力的なお願いをされてしまったら、晴人は頷くしかなかった。
お茶請けを持って部屋に突撃する前の奈津美:
「———ハッ、上質なラブコメの気配がするわ……!!」
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お久しぶりです!
久しぶりの更新ですがあまあま&文章量多めにした(なった)ので許してくだせぇ……!
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