第25話 白雪姫と春風の匂い



 翌日の月曜日。普段の登校時間よりも早く制服に身を包んだ晴人は、陽気ながらも若干の肌寒さを感じつつ高校へと足を運んでいた。


 いつもの通学路を歩きながら、ふと顔を上げて小さく息を吐く。

 晴れ渡る青空に白い息が浮かばない朝は既に慣れっこだったのだが、今日は何故だか少しだけ名残惜しく感じた。



「昨日は、楽しかったな」



 制服のポケットに手を突っ込んだ晴人は、目を細めながら口の中で優しく言葉を転がす。思い返すのは白雪姫と一緒にお出掛けした出来事だ。


 まさか彼女の方から贈り物を渡されるというサプライズがあったのは予想外だったが、結果的に冬木さんへの贈り物を無事に完遂した晴人。

 その後、空腹感を覚えた晴人はちょうどお昼時の時間という事もあり少し休憩しようと提案。駅から少し離れたカフェで二人で談笑しつつ食事をして程なく解散したのだった。



「……俺、なんかやらかしてないよな?」



 昨日は極力彼女をエスコートすることを心掛けたが、今思い返すとおそらくまだまだ至らない点が多々あっただろう。


 終始冬木さんは嬉しそうにしていたし、度々それを言葉にしていたのできっと楽しんでくれたと思うのだが、それはあくまで晴人を気遣った彼女の優しさなのかも知れないのだ。

 

 ああすれば、こうすればと今更考えても手遅れで、改めて不安に襲われる晴人だったが、初めて母親以外の異性と一緒にお出掛けしたにしては及第点だろうと卑屈になりかけた心をなんとか持ち直した。


 よし、と気持ちを切り替えた晴人は、元のしっかりとした足取りへと戻しながら空を仰ぐ。



「桜、しっかり咲いてると良いけど」



 晴人が思い描くのは、高校に立ち並ぶ春の風物詩である桜。先週の金曜日には全体的に蕾が桃色に色付いていたので、今日こそ満開に咲き誇る桜をこの目に収める事が出来るだろうと予想している。


 ようやく待ち望んだ桜の開花。ぽかぽかとした暖かな気温の休日を挟んだので、満開に咲いている可能性は高い筈だ。


 晴人は思わず口角を上げながら表情を綻ばせる。

 満開に咲く綺麗な桜を見られることへの期待は勿論あったが、正直自分でも高揚感を抱きながらここまで楽しみにしているとは思っていなかったからだ。


 これまで様々な物を被写体にしてきたが、こんなにも心が躍るのは初めてである。何故だろう、と少しのあいだ首を傾げるが、案外その答えはすぐに出せた。



(あぁ、そっか。俺は確かに写真を撮るのは好きだが、今まで被写体自体への興味が薄かったんだな)



 決して被写体への関心が無い訳ではない。そもそも惹かれる部分が無ければ写真を撮影しようという思いは抱かないのだから。


 これまではどこか、被写体をスマホの画面越しから俯瞰的に見ようとしていた気がする。どうすれば上手く撮れるのかという技術や機能ばかりに目を向けてしまって、主役である被写体―――その特徴や魅力の探究が二の次になっていたのだ。


 どうやら、晴人は今まで上手に撮らなければという先入観に囚われていたらしい。心の中で反省しながらほんの僅かだけ羞恥が芽生えるも、これから桜を撮影する前に気が付く事が出来て本当に良かった、と小さく息を吐いた。

 

 となれば、どうして今回に限って心が浮き立つような高揚感を抱いたのか、という疑問が残る。



「心待ちにしていた満開の桜がようやく見られるから……? それとも天気が良いからか……?」



 晴人は高校へと足を運びながら思考するが、その理由に辿りつけないでいた。確かに先程呟いた言葉は事実に違いないのだが、どうもしっくりとこない。


 暫く空中へ視線を彷徨わせながら思案するも、結局それらしい理由は思い浮かばなかった。


 はぁ、と晴人はもやもやした気持ちを吐き出すかのように小さく溜息をつく。



「……まぁ、いいか」



 魚の小骨が喉に刺さったかような漠然としない感覚だったが、きっと高校に着いて桜の写真を撮っていれば何かわかるだろう。そう思い、一先ず頭の片隅へと追いやることにした。


 桜が満開に咲いていることを願いつつ、期待を胸に高校へと歩を進めたのだった。







 そのまま歩くこと十数分。もう数十メートル先で校門が見えてくるだろうという位置で、見覚えのある少女が立っていた。


 鞄を両手で持って空をぼんやりと眺めていた彼女だったが、ふとこちらの姿を捉えるといつもと変わらない様子でこちらを振り向く。


 ―――ある一点を除いて・・・・・・・・



「おはよう、風宮くん。今日は春の匂いがする良い朝ね」

「冬木、さん……?」



 そこには、綺麗な濡れ羽色の長髪をポニーテールに結った冬木さんが居た。

 いつもと違う髪型に整えた彼女を見た晴人は、内心呆気にとられながらも思わず目を見張る。



「どうしてここに……。あと、その髪型……」

「昨日食事した際に、今日は満開の桜が見れるだろうから朝早く登校して桜の写真を撮るんだ、って嬉しそうに話してたじゃない。折角なら私も見てみたいと思って、ここで風宮くんを待ってたのよ」

「お、おう」

「それに……、その、似合ってる、かしら?」



 やや不安げな視線で晴人を見つめる冬木さんだが、若干緊張しているのかその声はこわごわとしている。


 改めて彼女の姿を眺め見る。

 普段のストレートヘア姿も大人びた印象で綺麗だったが、こちらのポニーテール姿は結び目の位置を低くしている為か大人びた印象は勿論、落ち着いた雰囲気がグッと増していた。

 

 更に言えば、艶やかな長髪を結ぶ髪留めには、昨日のお出掛けで晴人が彼女に似合うだろうと選んだ紺色のリボンヘアゴムが使われている。


 ネイビー色の強いリボンは晴人の予想通り見事彼女の黒髪を引き立て、リボンが艶と厚みのある質感のおかげか、落ち着いた雰囲気の中に上品さと華やかさが織り交ぜられた仕上がりとなっていた。


 簡潔に表現するのであれば、とても魅力的である。


 しかし残念ながら、そんな彼女の問い掛けに対する称賛の言葉が咄嗟に思いつかない。上手く言語化出来ない自分に晴人はもどかしさを覚えつつも、ようやく口に出せたのはありきたりな言葉だった。



「その、とてもよく似合ってて……綺麗、だよ」

「―――そ、う。風宮くんに一番最初に見て欲しかったから、嬉しいわ」



 俯きながら淡く頬を染めた冬木さんだったが、そんな彼女の恥ずかしげな様子を見た晴人も思わず羞恥を覚える。

 

 こうして見ると、冬木さんの為に自分が一生懸命選んだ物を彼女が身に着けているというのはとても嬉しいが、改めて考えるとこれは中々に気恥ずかしい。


 加えて、先程の冬木さんの言葉。頬以外に今まで髪で微かに隠れていた両耳や真っ白なうなじまでもほんのりと赤くなっているのが分かるとなれば、本心であることは明確。もはや疑いようのない事実なのだろう。


 そんな朝から羞恥に震える彼女の様子を視界に、そして耳朶に入れてしまった晴人。すぐさましゃがんで悶えたくなる衝動に駆られるが、なんとかグッと持ち堪えた。


 甘酸っぱさの中に潜む、形容し難くもじれったい空気感。

 暫く無言でちらちらと互いを見つめる晴人たちだったが、不思議と嫌な気分ではなかった。



「…………じゃあ、行くか」

「…………えぇ、そうね」



 気恥ずかしさを振り払うようにして、晴人たちは高校へ向けて歩き出す。といっても距離的には残り数十メートル程度だったので、高校へ到着するのに然程時間は掛からなかった。


 ―――校門を通ると、二人の視界には息を呑んでしまう程に鮮やかな桃色の光景が真っ先に飛び込んだ。



「すごい、な……」

「えぇ、すごいわね……」



 もはや言葉などいらなかったのだが、気が付いたら自然に言葉が零れていた。


 どれだけ立派な語彙力があろうとも、並び立てた美辞麗句などあっという間に吹き飛んでしまう程の美しさ。その晴れ晴れしい様子に圧倒されてしまいそうになるが、二人の視線は敷地内に連なる、見事としか言いようがない桜の木に釘付けだった。


 念願の、晴人が心待ちにしていた満開に咲き誇る綺麗な桜並木。思わず目を奪われてしまうようなその素晴らしい魅力に、写真を撮る為に必要なスマホを取り出す事すら一瞬忘れる。



(あ、柔らかくて懐かしい、甘い匂いがする)



 そんな晴人の意識を引き戻したのは、溢れんばかりの桜の匂いだった。その後、どうしても無性にこの桜たちの色んな表情が見たいという気持ちが湧き起こったのは、きっと自覚したから・・・・・・だろうか。


 逸る気持ちを抑えつつ、晴人は周囲を見渡しながら桜の木を歩いて吟味する。よくよく見れば正確には三分咲きと五分咲きの中間辺りだったのだが、状態が蕾のものが見当たらないので満開と表現しても良いだろう。


 やがてこれが良いな、という可愛らしいピンクの花を多く咲かせたしなやかな枝の形をした桜を見つけると、ようやくスマホを取り出した。


 慣れた仕草でカメラを起動させるも、心なしか指が少しだけ震えているような気がした。若干の肌寒さの所為か高揚感の所為か分からないが、そんな感覚がどこか心地良い。


 晴人は穏やかな風に揺れる、細くも弾力性のあるその枝に焦点を当てる。画角を定め、絞りを調節、そして指で画面を押してシャッターを切った。



「……うん。良いかも」

「綺麗ね。遠目から見ると鮮やかな桃色なのに、近くで見ると一つ一つの花は意外に淡い色合いをしているのね。それ程繊細な色という事かしら?」

「あぁ、そうだな。それに"桜は儚いからこそ美しい"って言葉の通り、咲いて散るまでの間が短いだろ? こっちなんて寒いから特にそうだし、雨や強風に煽られた日なんてあっという間に散ってしまうから、今日みたいな綺麗に花開いている日は貴重なんだ。つまり花見や写真を撮るには絶好の機会って訳だ」



 冬木さんと会話しつつも、写真を撮る手は休めない。


 全体的の構図決めやピントによるぼかし、レンズの上に指をかざして光の調節など、技術的な面を意識しつつも、まずは桜の魅力をどうにかして引き出せないかと心がけた。


 因みにだいぶ時間に余裕を持って登校したので、恐らく他の生徒と遭遇する心配はない筈である。普段ならば生徒に出会っても気にしないのだが、今日は目立つのが苦手な白雪姫がいる。晴人の個人的な趣味に付き合わせるのも悪いので、なるべくなら手っ取り早く済ませたい。



(お、これ良い感じ)



 そうして写真を撮り始めてから十数分後。晴人は今撮ったばかりの写真をまじまじと眺める。


 桜の表情を理解する為に様々な角度から暫く撮り続けていると、どうやら次第に感覚を掴めてきたようだ。枝のラインや桜の花だけに焦点を当てるのも良いが、こういった逆光や青空といった背景を利用するのも面白い。


 満足とは言えないが、自分なりに試行錯誤して僅かでも桜の魅力が込められた写真を撮れた事に晴人は内心安堵しつつ、小さく息を吐く。


 すると近くから声が掛けられた。その方向へ振り向くと、綺麗な桜に囲まれているおかげか雰囲気が柔らかい冬木さんがこちらをじっと見つめている。



「良い写真、撮れた?」

「ん、あぁ……多分、上手く撮れたと思う」

「そう。良かったわね」

「……見て、みるか?」

「…………。いいえ、大丈夫よ。私はもう、十分に楽しませて貰ったから」



 晴人の提案に冬木さんはゆっくりと頭を振る。

 自分の撮った写真を他の人に見せるなんてこれまで経験が無いので正直恥ずかしい。晴人にとっては途方もない勇気が必要だったのだが、どうやらそんな考えは見事彼女に見透かされたようだった。


 楽しませて貰った、とはきっとこの満開の桜を見れたことへの満足感なのだろう。表情に変化は窺えなかったが、喜んでもらえたようでなによりである。


 そっか、と静かに返事を返して再びスマホを構えるも、彼女は一拍の空白を開けるとそのまま言葉を続けた。



「ねぇ、風宮くん」

「んー、なんだ?」

「―――あのとき、貴方に出逢えて本当に良かったわ」

「――――――」



 思わずビクリと身体を震わすも、それは一瞬。スマホを構えたまま冬木さんの方へ見遣ると、彼女もまた晴人の方を見つめていた。


 二人の視線が、想いが交わる。



(……あぁ、そっか)



 高校へ向かっている最中に抱いた、心が浮き立つような高揚感。どうしてそんな感覚を覚えたのか不思議だったのだが、ようやくその理由が分かった気がした。


 今思えば鈍感だという他ない。

 まったく、自分自身の鈍さ加減が恨めしい。


 晴人はすっきりと穏やかな気分のまま、改めて意識を白雪姫へと向ける。そうして次に紡いだ言葉は、自分でも理解出来るほどに慈しみが込められていた。



「―――俺もだよ」



 そう言って、晴人は笑い掛けたのだった。


 


 














ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

如何でしたでしょうか(/・ω・)/

これにて第一章、二人の歩み寄りの物語は以上となります!

次回からは第二章が始まる予定ですので、是非更新までお待ちくださいませ~っ!


宜しければフォローと☆評価、コメントやレビューなどお待ちしております!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る