第14話 白雪姫の弱音




「………………」

「………………」

「………………」



 何故ここに、と素早く考えを巡らすも、よくよく考えてみれば昨日晴人を看病してくれた彼女が次の日様子を伺いに訪問するのは何も不自然ではない。


 むしろ冬木さんはすこぶる調子の悪い晴人の姿を間近で見ていたのだ。初めて会話してから短い間柄ではあるが、放っておけないと晴人を介抱した彼女の、他人を思い遣る心と責任感が強いことは身をもって知っている。


 きっと心配してくれていたのだろう。


 だからこそ、こうして自宅を訪問して晴人の様子を確認しに来てくれたようだ。―――ただ神様の悪戯なのか、訪れた時間とタイミングが悪かった。



「な、なんで『白雪姫』がここにいるんだ……!?」

「…………………………」



 驚愕と動揺が入り混じった表情を顔に貼り付けながら、この場にいる二人を交互に見遣る渡。一方の冬木さんはというと、その場から一歩も動かないまま渡の方向へと視線を向けて固まっていた。


 恐らくだが、人見知りである彼女は晴人以外の人物が居るこの状況に対応しきれないのだろう。表情は何も変化は無いのだが、その切れ長の瞳が次第に細くなっていく。心なしか彼女の雰囲気も冷たく感じるのも気のせいか。



「な、なぁ晴人っ!? 『白雪姫』がなんかこっちずっと見てくるんだけど!? 冷たい視線というかだんだん睨め付けられてるんですけど!?」

「何も存じ上げません」

「それ知ってる言い方ァ!」



 テーブルに上半身を乗り上げた渡は慌てた様子で晴人に小声で耳打ちする。


 何も事情を知らない渡にとっては、冬木さんが面識のない晴人の自宅を訪ねる事自体あり得ない、と思っているのだろう。つまり寝耳に水だ。


 そもそも自分でも傘を渡した一件が無かったら冬木さんとは一生話す機会は無かったと思っているので、その驚愕や戸惑いといった反応も十分に理解出来た。


 とはいえ、まさか渡がいるときに冬木さんがやってくるとは予想外である。このまま気まずい空気にしているわけにはいかないので、頭を抱えていた晴人は今もなお渡を注視している冬木さんに声を掛けようとする。

 ……が、彼女の方が一歩早かった。



「―――こんばんは。風宮くんのお友達かしら?」

「は、はいっ! 晴人くんが風邪引いたって聞いたので、そのお見舞いに来ました! はい!」

「そう」

「はい……」



 そうして再び訪れる気まずい雰囲気。どうやら比較的誰とでも親しげに会話を続けることの出来る渡でも、無表情で話し方にも抑揚がない白雪姫とのコミュニケーションは難しかったようだ。


 何とも居たたまれない空気感だが、冬木さんを見るといつも以上に目元が強張っている。一方渡は終始冬木さんの冷たい視線を浴び続けたからだろうか、隣で様子を伺っていた晴人に「どうにかしてくれ」と涙目で助けを訴えかけていたので、冬木さんとの会話を引き継ぐことにする。



「あー、冬木さん。もしかして様子を見に来てくれたのか?」

「えぇ」

「わざわざすまん。でももう大丈夫、冬木さんのおかげですっかり良くなったよ」

「そう」

「……ほら、突っ立ってないでここ座れよ。今ケーキ出すから」

「えぇ。でも……」



 ちらり、と晴人から視線を外して渡の方へと見遣る。


 学校のマドンナである白雪姫から冷たい視線で睨め付けられたのが若干のトラウマになったのか、渡はびくりと一瞬だけ肩を震わすと何故か急いで立ち上がった。

 渡の視線の先には冬木さんがいる。彼女を見る渡の口元には笑みが浮かんでいるのだが、どう見ても引き攣っていた。



「えーっと、じゃあ俺彼女との用事思い出したんで帰ります! それじゃあ!!」

「うっわ逃げた」



 うるせぇ、と器用に目線だけでそう訴えた渡はそそくさとリビングの扉を開けて出て行ってしまった。がちゃんと玄関の扉が閉まる音も聞こえたので本当に帰ったのだろう。


 リビングには晴人と冬木さんの二人だけが残される。



「風宮くん」

「なんだ?」

「―――やはり、私は嫌われているのね」

「……冬木さん、ちょっとそこに座っててくれ」



 ちょっとだけ落ち込んだ様子を見せる、眉尻が僅かに下がった冬木さん。まずは話を聞こうと内心小さな溜息を洩らしながら、晴人は母が購入してきたケーキを準備するべくソファから立ち上がったのだった。





 しばらくして正座する冬木さんの目の前にチーズケーキと紅茶を用意した晴人。ふとスマホの画面を覗き込んでみると、渡から"明日詳しく教えろ"とだけメッセージアプリの文章が届いていたので既読だけしてそのまま放置することにした。


 今はまず、彼女の方を優先するべきだと思ったから。


 母親の分を除いてもまだケーキ三個は冷蔵庫に残っていたようだ。果物入りロールケーキ、抹茶ショート、チーズケーキのうちどれが良いのかを聞いたところ「……チーズケーキが良いわ」とのご要望があったので、白い化粧箱からそれを取り出してフォークの乗っている皿に移した。


 紅茶は棚にあったティーバッグを使って淹れた。母が休日によく紅茶を入れるので容器や茶葉自体はあるのだが、残念ながら晴人には温度やらジャンピングなどの淹れる為に必要最低限な知識はあれど、肝心な技術はさっぱりわからない。


 きっと素人が手を出して下手に淹れるよりも、市民の味方ティーバッグを使用する方が美味しく淹れられるだろう。

 茶葉から淹れるのとティーバッグでは風味やら味やらの違いはあるだろうが、どうか許して欲しい。



「美味しそうね」

「チーズケーキ、好きなのか?」

「別に大の好物、という訳ではないけれど……気分よ」

「ふーん。確かに、そういう時もあるよな。どうぞ」



 いただきます、と言うと冬木さんは一口大にフォークで切り分けたチーズケーキを口の中に含む。小さくもぐもぐと咀嚼すると無事にお口に合ったのか、先程よりも目元の険しさが和らいだように見えた。


 良く母が行く菓子店で販売するこのチーズケーキは、しっとりしたサブレ生地を土台に微かなレモンの風味があるのが特徴的である。


 甘すぎず、優しいともとれる程よい甘さ。晴人自身もそんなに食べる機会が多いというわけではないが、口の中で解けるようなチーズの濃厚さ、けれどもくどくない上品な甘さがとても美味だったことは覚えている。



「とっても美味しいわ」

「そっか、それは良かった」



 白雪姫様に称賛のお言葉を頂いたので、まずは一安心である。紅茶の入ったティーカップを静かに口へ傾ける冬木さんの姿を眺めつつ、晴人は言葉を続けた。



「少しは落ち着いたか?」

「えぇ。おかげさまで、ね」

「……それで、どうして嫌われているんだと思うんだ?」



 ぴん、と背筋を伸ばしながら正座する冬木さんは、晴人がそう切り出しても目を伏せながら言い辛そうに口ごもる。どうやらこのまま晴人へ素直に答えても良いのかと逡巡しているようだ。


 何故彼女が返事を躊躇うのかはわからない。だが晴人には大体の見当はついていた。


 やがて冬木さんは、意を決したようにこちらを見つめながら綺麗な唇を開いた。



「―――風宮くん」

「うん」

「私って、無表情で感情が滅多に出ないじゃない?」



 やはりそれか、と思いつつも、彼女の紡ぐ言葉に耳を傾ける。



「昔から表情筋を動かすのが苦手なの。これまで様々な努力はしてきたつもりだけど、一向に改善する気配すら無かったわ」

「………………」

「そのせいでこれまでお友達なんて一人も出来なかった。それでも諦めたくなくて、感情を意識してなるべく笑顔で話し掛けることを心掛けていたのだけれど……それも逆効果だった。相手からは愛想笑いで受け流されて、不気味に思われるか怖がられて、それでお終い」

「冬木さん…………」

「私は、私が嫌い。感情を表に出せない私が嫌い」



 その吐き出したような言葉が、いやに耳に残った。


 きっと、冬木さんは小さい頃から自身の劣等感に悩み続けていたのだろう。普通の人間ではまず悩む必要性が無い苦悩を、ずっと一人で。


 その孤独さと苦悩を想像すると、晴人は気付かぬうちに奥歯を噛みしめていた。彼女の感情の読み取れない表情や声の抑揚の無さは彼女の特別な個性だと思っていたからである。



(……結局、俺も周りと変わらねぇってことか)



 いつの間にか彼女に対して身勝手なレッテルを張り付けていた自分を殴り付けてやりたい衝動に駆られる。彼女の"無表情"と"声の抑揚が無い"という特徴。晴人から見えて、彼女にとって当然だと思っていたそれは、結局は偏見的な思い込みに過ぎなかったのだ。


 そう、いくつもの努力を経ても改善の余地が無かった彼女にとっては"そうせざるを得なかった"のだろう。


 正直、今まで晴人が冬木さんの表面的な特徴に捉われていた事実は否めない。しかしたった今、彼女の抱える苦しみを知った。

 白雪姫ではなく、"冬木由紀那"という一人の少女の抱える苦悩を。


 きっと自分の弱さを曝け出すのは怖かったろう。勇気が必要だったろう。それでもなお、初めて会話して日が浅い晴人に話してくれたのは、ちょっとは心を開いてくれたという事だろうか。


 悪い気はしない、というよりかはなんだか嬉しい気持ちが強く込み上げる。


 ともかく、これまでのことを反省しつつも、今後は表面的な特徴だけでなく冬木さんの内面に意識を向けようと心に留めた。


 改めて目の前の冬木さんに視線を向ける。彼女は無表情のまま横へ視線を逸らし続けており、どこかこちらへ視線を向けることに対して、若干の恐怖を抱いているように見えた。どうやら晴人に否定されることを恐れているようだ。


 晴人は、そんな冬木さんを安心させてあげたかった。


 だから、



「………………」

「いきなりなにしゅるの」

「いや、なんだか急に触りたくなって。おぉ、すべすべでもちもち」

「わた、これ真剣ひんけんに……」



 テーブル越しに身を乗り出した晴人は、冬木さんの頬を両手で持ち上げるようにして触れる。勿論、優しく丁寧にだ。


 一方の彼女は茶化されたと思ったのか、頬を薄赤く染めながら非難げな視線を晴人に向けるも特に抵抗する様子はない。ちょっぴり罪悪感はあるが、このまま心地良さに浸らせて貰おうと両手を動かす。


 初めて女子の頬を触ったが、血色の良い瑞瑞しい肌はすべすべもちもちとした張りのある弾力だ。きっと日頃の手入れを怠っていないのだろう。思わずハムスターを想起してしまい、可愛いと思ったのは内緒だ。


 しばらく触り心地を堪能すると、ようやく頬から両手を離す。そうして晴人は彼女に視線を合わせた。



「まず一つ、冬木さんは学校中から嫌われている訳じゃない。ただ、どう接すれば良いか分かんないだけだと思う」

「そう、なの……?」

「多分もう既に冷たそう、無感情っていう固定概念が固まってるからな。こればっかりは一朝一夕でどうにもならないから、冬木さんがしているっていう努力を地道に続けて成果を出すしかないと思う」



 それを聞いた冬木さんはまだ不安そうである。それに構わずに晴人はそのまま言葉を続ける。



「そして二つ目、冬木さんは感情を表に出せないって言うが、俺はそうは思わないよ」

「え……?」

「だって、目を見れば分かるだろう?」



 晴人の言い放った言葉に、冬木さんは今度こそ切れ長な瞳をきょとんとさせた。


 これまでもそう、晴人を見る冬木さんの瞳には様々な感情が見え隠れしていた。謝罪をする際には誠意を込めた真摯的な目を、食事を美味しいと口にした際には嬉し気な柔和な目を、風邪を引いた際には心配を宿した目を晴人へ向けていたのだ。


 彼女は、冬木さんは完全に感情を表に出せないわけではない。ただ少し、ほんの少しだけ、感情を出すのが苦手なだけ。



「……そう言ってくれるのは、風宮くんだけよ」

「そうかもな。だが事実だからなぁ」

「………。ありがとう、励ましてくれたのよね」

「まぁ、な。俺で良ければいつでも話を聞くよ。……少しは元気出たか?」



 若干の気恥ずかしさを覚えながら訊ねる。柔らかい雰囲気を纏わせた彼女がふと口元を緩ませると、一拍の間の後、次のように呟いた。



「―――えぇ、とっても」



 顔は笑っていない筈なのに、そのときの冬木さんの表情は不思議と満面の笑みに見えた。



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