第11話 白雪姫による看病




 しばらくして目を覚ます。重たい瞼を開けると、自室の真っ白な天井が広がっていた。



「そうか……。俺、寝てたのか……」

「ん…………」



 ゆっくりと身体を起こすと、ベッドのすぐ近くから可愛らしい声が聞こえる。引き寄せられるようにそちらへ視線を向けると、冬木由紀那がぼうっとした様子で静かに晴人の顔を見上げていた。


 どうやら彼女は晴人の寝ているベッドの端に寄り掛かりながら寝ていたようで、晴人の起きたタイミングで彼女も同じく目覚めたようだ。


 普段の無表情とは少し違う、あどけなさの残る表情は新鮮で思わず見入ってしまった。


 彼女はベッドの淵に置いていた手を離して目元を擦ると、そのまま口を開く。



「ごめんなさい、起こしてしまったかしら?」

「いや、大丈夫だ」

「具合はどうかしら。少しは良くなった?」



 いつもの表情と抑揚のない淡々とした声で晴人にそう問い掛ける冬木由紀那。


 確かに、寝る前と比べるとだいぶ体調は良くなっているようだった。熱やだるさ、喉の痛みはあるものの、これでもかと全身に不調を訴えかけていた気持ち悪さはほとんど無くなっている。


 自然と安堵の息が洩れた。



「ああ、だいぶ楽になったよ。ありがとな」

「そう、それは良かったわ」



 そこで、晴人は自身の額に何かひんやりとした物が貼ってあることにふと気付く。



「冷却シートよ。実は風宮くんが寝た後、近くのスーパーで必要な物を買って来たの」

「……えっ」



 その言葉を聞いた晴人は、一拍置いてから慌てて勉強机に置いてある時計を見遣る。その針が差している時間は、見間違いでなければちょうど午後八時を示していた。

 寝ている間に彼女が広げたであろうカーテンで見えないが、きっと窓の外の景色は真っ暗なのだろう。


 帰宅したのは夕方の五時辺り。だとすると晴人は約三時間ほどぐっすりと睡眠をとっていたという事になる。その間彼女は何をしていたのかというと、その答えはすぐに辿り着くことが出来た。



「……わざわざ買って来てまで、今までずっと看病してくれたのか?」

「えぇ。……結局のところ、お世話するつもりが私も寝てしまったけれど」



 心残りなのだろうか、彼女は少しだけ残念そうに視線を静かに逸らす。しかし晴人が言いたいのはそう言うことではない。



「もう夜の八時だぞ。家に帰らなくていいのか。親が心配するだろ」

「そうね。ママに遅れるって連絡したし、流石に十時を過ぎたら置き手紙を残して帰ろうと考えていたけれど……でも」

「……なんだよ」

「心配、してくれるのね」



 無表情ながらも不意に柔らかい眼差しを向けられたせいか、思わず口を噤んでしまう。彼女のその視線はどこかくすぐったくなるのだ。


 それに心配するのは当然だろう。八時となればとっくに外は真っ暗だし、歩いて帰宅するには様々な危険が潜む時間帯だ。


 しかも冬木由紀那の容姿は無表情と云えど美少女にカテゴライズされる。歩くだけでも学校中の生徒の視線を釘付けにさせる程の魅力があるのに、もしそれで変質者などに襲われでもしたら大変だし悔やんでも悔やみきれない。



(だって……いやそもそも、危機管理能力が低いんじゃないか?)



 いくら具合の悪い相手を看病する為とはいえ、男がいる部屋に長時間滞在、その上近くでうたた寝してしまうなど少々無防備に過ぎる。最近会話するようになったとしても晴人は年頃の男子高校生なのだ。


 辛そうにしている人や困っている人を放っておけないのは尊重すべき人徳だが、相手が異性の場合、もう少し警戒心を持って欲しい。



「別に、これくらい当然だろ。白雪姫様」

「……ねぇ風宮くん、前々から思っていたのだけれど」

「ん?」

「どうして、名前で呼んでくれないのかしら」



 気恥ずかしさからで若干ぶっきらぼうな言葉になってしまった晴人だが、その返事に彼女は悲しげに少しだけ目を細める。


 確かに、今までこの少女に対して名前を口に出した場面は一度も無い。会話する度にずっと「お前」や「アンタ」と呼んでいた。


 決して悪意があってのことではない。日常で女子と関わる機会も無くほとんど話す機会のない晴人は、最近話すようになった冬木由紀那に対してどう呼んで接すれば良いのか分からなかったのだ。


 それがいつの間にか彼女を傷付けていたらしい。人と関わることを極力避けてきた晴人にとって、彼女のその問い掛けは胸に刺さる言葉だった。


 そんな晴人の愕然とした表情を見てそっと視線を外した彼女は、普段と違いどこか慌てたように言い繕う。



「いきなりごめんなさい。風宮くんが大変な時に訊くべき言葉では無かったわ。忘れて頂戴。……そうだ、汗をたくさん掻いていたみたいだったから、水分と一緒に塩分や糖類を同時に摂取出来るスポーツドリンクを買って来ていたの。待ってて、今コップに注いで―――」

「いや、そのままでいいよ。……冬木さん・・・・



 彼女は近くに置いていたビニール袋の中からペットボトルのスポーツ飲料を取り出すも、キッチンから持ってきたコップに注ぐ前にその動きをぴたりと静止させた。


 恐らく名前を呼ばれた事に驚いたのだろう。


 その一瞬の隙をついて彼女の手からペットボトルを奪い取ると、蓋を開けて一気に喉に流し込んだ。買って来てから冷蔵庫に入れることも出来ただろうが、常温なのは彼女なりの配慮だろう。もしくは、人見知りで他人の家の冷蔵庫を断りも無く勝手に使えなかっただけか。


 いずれにせよすぐ飲めるのはありがたい。熱に浮かされていた身体が水分を求めていたのか、ごくごくと中身を全部飲み干す。そして一息つくと、こちらをきょとんとしながら凝視している彼女へと向き合った。



「その……すまん。今度から気を付ける」

「………………えぇ」

「なんだよ」

「なんでもないわ」



 冬木由紀那改め、冬木さんはコップを持ってきたお盆で何故か口元を隠すと、淀みない動作で急に立ち上がる。いきなりの行動に目をぱちくりとさせてしまう晴人だったが、彼女はいつの間にテーブルに置いてあった体温計を手に取ると、そのままずいっと押し付けるように渡してきた。



「風宮くん、これでお熱測ってて頂戴」

「あ、あぁ」

「お腹、すいてる?」

「少しだけ……」

「なら、急いでお粥を準備してくるわね」



 少しだけ待ってて、と淡々と告げると冬木さんは、ビニール袋を持ち上げて足早に部屋を出て行ってしまった。


 やや呆気にとられながらもその様子を見送るも、夢でなければ彼女はお粥を準備すると言っていた。どれほど調理時間が掛かるかは分からないが、出来上がり次第こちらに持ってくるという解釈で良いのだろう。



「……熱、測るか」



 晴人は再びベッドへ身体を倒す。ワイシャツの一番上のボタンを外そうとするも、いつも間にか幾つか外れていることに気付いた。


 記憶が曖昧だが、きっと寝ている際にでも暑くて無意識に外してしまったのだろう。


 そう納得しながら先程彼女から押し付けられた体温計をそのまま身体の左脇に差し込むと、静かに目を閉じたのだった。


 不思議と、晴人の気分は和らいでいた。











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