第10話 白雪姫と帰宅、そして部屋へ行こう。




 幸いと言って良いのか、帰宅途中他の生徒に出くわす事は無かった。


 白雪姫に支えられてなんとか自宅玄関の扉の前に到着した晴人は、制服のポケットから家の鍵を取り出す。鍵穴に鍵を差し込むのに手が震えてしまい幾許か手間取ってしまったが、隣にいる冬木由紀那の手助けもありようやく開錠することが出来た。


 扉を開けると、薄暗くも見慣れた光景が広がる。



「ただいま……」

「おかえりなさい」

「なんでアンタが言うんだよ……」



 晴人は靴を脱ぎながら思わず呆れた表情を浮かべる。


 誰もいないので返事が返ってくることはないと知りつつ小さく挨拶をしたのだが、まさか隣の彼女から淡々とした声音だったが返事が返ってくるとは思わなかった。


 ちらりと顔を覗き込むも、やはり彼女の表情に変化はない。しかし何故か鼻をひくつかせる仕草をしていた。



「良い匂いね」

「……あぁ、炭の芳香剤だよ。俺が好きだから置いてる」

「そう。……私も、好きよ」

「そっ、か……?」



 不意に言葉が途切れた彼女に対し首を傾げるも、晴人は正直立っているだけでも精一杯な状態だった。


 今更だが晴人は一般的な男子高校生であり、強いて言えば陰キャである。普通ならば故意ではないとはいえ初めて自宅に連れてきた異性が学校のマドンナ的存在である白雪姫であることに対し胸の高鳴りや緊張などを覚えるのだろうが、生憎今の晴人はふらふらで頭が回らない。


 帰宅して気が抜けたということもあるのだろうが、どっと押し寄せる疲労感や身体中を侵食する倦怠感の所為でそんなことを考えている余裕など無かった。


 とにかくこのままでは彼女も困るだろうと、なんとか行き先を伝える。



「俺の部屋、二階だから……適当にくつろいでくれ」

「初めて入った人様のお家でくつろげるほど私は図太くないわ」



 それもそうか、と晴人は人見知りである彼女の至極真っ当な返事に心の中だけで頷きながら二階へ繋がる階段の近くにある壁の照明スイッチの電源を入れた。すぐさま温白色の光が辺りを照らす。


 晴人は家の中が薄暗くても当然平気だし場所も分かるので然程明かりが無くても問題ないのだが、視界が不自由な状態で高校のマドンナこと冬木由紀那が万が一転倒して怪我などしてしまったら申し訳が無い。


 体調が悪いと云えど、家に招いた以上は最低限の配慮くらいはしたかった。



「さて、この階段を昇ると風宮くんのお部屋があるのね。大丈夫? しっかり上がれる?」

「あぁ、大丈夫だ……」

「気を付けて。もう少しで部屋に着くからそれまでの辛抱よ。頑張って、風宮くん」



 白雪姫に腕と背中を支えられながら一歩一歩階段を進んでいく。


 体力的にきつさを感じていた晴人だったが、隣にいる彼女に励まされながら階段を昇るのは少々くすぐったかった。呼び掛ける声に感情や抑揚は無いのだが、きっと晴人がそう感じたのはここ最近彼女と関わる機会が多かったからなのだろう。


 やがて二階へと到着する。部屋まであともう少し。


 気力を振り絞り、そうしてなんとか自室の前に立つ。扉の取手に手を掛けると思ったよりも力が入らない。きっと今の自分の握力ならば冬木由紀那にも負けてしまうだろうと思うと、なんだか少しだけ男として情けない気持ちになった。


 現に、晴人の緩慢な動作を見兼ねた彼女ががちゃりと扉を開けるのをサポートしてくれたではないか。



「はぁ……かっこわる」

「格好悪い……どういうこと?」

「あぁいや、ずっと迷惑掛けて申し訳ないなって」

「そんなこと。……別に気にしてないわ。というか風邪を引いたのならしょうがないでしょうに」



 足を挫かないように下を見て慎重にベッドのある場所へ進んでいたので定かではないが、のっぺりとした声に若干呆れが伺えたのは気のせいだろうか。


 ともかく部屋に入ったのならばこちらのものである。晴人はよろよろと奥のベッドの方へ移動すると、ありがとう、と一言伝えて冬木由紀那の両腕をやんわりとほどく。


 そしてベッドへ力無く身を投げた。ぼふり、と柔らかい枕の弾力と布団のひんやりとした質感が火照った晴人の頬と身体に伝わりとても気持ち良い。



「あー、横になるとだいぶ落ち着く……」

「待って風宮くん。動くのが難しいなら仕方がないけれど、そのまま寝ちゃうと制服が皺になっちゃうわ」

「脱ぐの面倒」

「はぁ、まったく……」



 彼女は静かに溜息をつくと、部屋をぐるりと見回した。


 晴人の部屋は大体六畳間ほどの広さだ。床はさらさらとした質感のフローリングであり、勉強机、ベッド、テレビ、小さな本棚、こじんまりとした小さなテーブルといった家具が揃えられている。

 四月とはいえまだ寒いので、小さな暖房器具はまだ出しっぱなしの状態だ。


 部屋のレイアウトが白色なのに加えて、必要最低限の物しか置かない主義なので若干殺風景に見えるだろうが、晴人はこれを気に入っている。


 冬木由紀那を部屋に招き入れるという想定外のハプニングが現在進行形で発生中だが、内心晴人は安堵していた。普通の男子高校生の部屋の基準からして見れば、この部屋はきっと整理整頓されている方だし、小綺麗な方である。


 彼女がよっぽどの綺麗好きでない限り、汚いという印象を与えることはないだろう。



「お部屋、綺麗にしているのね」

「まぁな。っていうか特にこれといって置く物が無いだけ」

「写真撮影が趣味なら、一枚くらいお部屋に飾ってあってもおかしくないと思ったけれど」

「スマホで見れるから良いんだよ」

「そう。……もったいない」



 だらんと仰向けの状態のまま、右腕で両目を隠しながら冬木由紀那と気だるげに会話する。


 もったいない、というのは恐らく撮影した写真をコピー機や最寄りのカメラ店やらでプリントアウトしない事に対してだろう。

 確かに晴人の部屋には飾っている写真が一枚も無い。晴人が小さい頃の写真や小・中学校の行事で撮影された写真などは部屋にある本棚のアルバムに大切に保存されているが、ただそれだけだ。


 今の時代、誰でもスマホで手軽に高画質の写真を撮れるし、それをすぐ見返して当時を振り返り楽しむことも可能である。

 勿論、晴人自身も撮った写真をプリントアウトしてコルクボードに張ったり写真立てに入れて飾るなどの方法も嫌いではなかったが、インテリアとして目に触れてしまうとどうしても「こんな綺麗な写真を俺が撮れたんだぞ」という自己主張が見え隠れしてしまうような気がした。


 それだとなんだか恥ずかしい。だからこそ晴人は写真をスマホのフォルダ内に入れてたまに眺めたり、過去SNSに画像をアップしたりするだけで完結していた。



(……あ、ダメだ。このまま寝そう)



 具合が悪いと中々寝付く事が出来ないのだが、帰宅して自室にいるという安心感がゆっくりと全身に染み渡っていく。近くに白雪姫がいる状況だが、体力が疲弊している事もあり本格的に気を緩めてしまった。


 ごろんと彼女に背を向ける体勢になり、両膝を曲げる。そうして楽な体勢になった晴人は目を閉じて―――、



「ダメよ、寝るなら制服の上着脱いでからにしなさい」

「えぇ……」



 冬木由紀那に肩を押されながら、抵抗虚しくも再び仰向けの体勢に戻される。


 落ちかけた意識を引き戻されて億劫そうに薄目のまま顔を歪めた晴人をよそに、そのまま彼女は上から顔を覗き込んできた。相変わらずの無表情だが、端正な顔。艶やかな濡れ羽色の長髪が重力に従い、さらさらとカーテンのように枝垂れる。


 心なしか、ふわりと石鹸のような良い匂いが鼻孔を擽る。これはきっと彼女の綺麗な髪から漂うシャンプーやリンスの匂いだろう。

 

 そこで晴人は改めて異性が自身の部屋にいるのだと実感すると同時に、気分が和らぐ落ち着く匂いに表情を綻ばせた。


 そんな白雪姫様はさらに追撃を掛ける。



「もう、仕方ないわね。脱ぐの手伝ってあげるわ」

「は?」

「ほら、上体を軽く浮かして。ばんざーい」

「え、ちょ……」



 戸惑いながらも言われるまま両腕を上げると、彼女はするすると晴人の制服を脱がしていく。汗を掻いていたので若干抵抗したのだが、ここまで冬木由紀那に支えて貰って帰宅した以上そんな心配は今更だろう。


 彼女は脱がした制服を軽く畳み、ベッドの近くの方へ置くと再び視線をそっと晴人に向けた。



「本当は汗を掻いているからワイシャツも着替えさせたいところなのだけれど、あまり風宮くんに無理をさせるわけにはいかないわ。制服の上着を脱いでくれただけでも良しとしましょう」

「これ以上は勘弁してくれ……」

「……?」



 力無くそう言葉を零す晴人に対し、冬木由紀那は軽く首を傾げる。


 彼女は美少女で、しかも白雪姫なんて大層な呼ばれ方をしている学校のマドンナ的存在だ。そんな相手が自分の部屋にいるというのもあり得ない状況なのに、これ以上もし強引に脱がされて上半身裸まで見られたら羞恥心で死ぬ自信がある。


 勿論、彼女が善意で「着替えさせたい」と言ってくれるのは分かっていた。汗で体温を奪われる体温低下のリスクも考えてくれたのだろうが、こうして身体の負担を最小限にしてくれたのはとてもありがたい。


 と考えていたが、どうやらもう限界だったみたいだ。


 

「あり、がとう……」

「―――。おやすみなさい、風宮くん」



 意識が無くなる前に聞こえた冬木由紀那の声は、どこかホッと落ち着くような響きだった。









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申し訳ありません。ストックが切れてしまいました......。

執筆して次話が完成次第、更新させて頂きますので何卒それまでお待ちくださいませ〜!(汗

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