第7話 白雪姫と料理を楽しもう
厨房の近くにある入り口を通って冬木由紀那に案内された先は、畳の敷いてある六畳間の居間のような部屋だった。中心にはちゃぶ台があり周囲を見回すと必要最低限の家具のみが置かれている。どうやら整理整頓が不要なほどすっきりとした内装のようだ。
店内はオシャレでレトロ風な内装に対しこちらは雰囲気ががらりと変わる和テイストなので、そのギャップに晴人は思わずそわそわしてしまう。
「風宮くん。ここに座って」
「お、おう……」
「……? 遠慮しないで。いつもは従業員が休憩する部屋だけど、今の時間は多分誰も使わないわ」
座布団をぽんぽんと片手で叩きながら『どうぞ』と無表情で訴えかける冬木由紀那。こてん、と首を傾げながらしゃがんでこちらを見上げる彼女のことを可愛らしいと思ったのは秘密だ。
晴人は大人しく座布団に座る。それを見届けた冬木由紀那はすくっと立ち上がると再び口を開いた。
「少しだけ待ってて頂戴。さっきの料理、すっかり冷めたでしょうから今新しいのを用意してくるわ」
「え、あ、いや大丈夫だ。それをそのまま持ってきて貰えると助かる」
「ドリアのチーズ、きっと伸びないと思うけれど」
「それでもだよ。……猫舌なんだ」
間違ったことは言っていない。食卓で熱々のスープや鍋料理などを口にするときでさえ何度もふぅふぅと冷ます工程が必要なのだ。だとしたら何故そんな熱々料理の重鎮ともいわんばかりのチーズドリアを注文したのかと
猫舌だからといって熱い料理を食べたくないという訳ではないのだ。
「……そう、なら食べても火傷しない程度に少しは温めさせてくれないかしら。こちらに来たお客様に冷めた料理を食べさせるわけにはいかないし、何よりチーズは伸びた方が美味しいわ」
「あぁ、それで頼む」
なんだか晴人側と彼女側の主張の中間をとった妥協案のような形となってしまったが、これ以上手間という名の迷惑を掛けてはいけないだろう。
冬木由紀那がこの部屋を出ていく様子を見つめながら、晴人は早く食べて帰ろうとぼんやりと考えたのだった。
昼食後、一息つく為ウーロン茶を飲んでいた晴人には気になることがあった。それはちゃぶ台の上で両腕で頬杖をつきながらこちらを見つめてくる『白雪姫』の視線。
「…………………」
「……あの、なんでさっきからずっと見てくるんだ?」
いい加減、気まずさに耐えられなくなった晴人はそれまで必死に飲み込んでいた疑問を投げかける。
それもその筈、彼女がこの休憩所に先程の食事を運んできたと思ったらちゃぶ台の向こう側、つまり晴人の正面にしれっと座ったのだ。
最初は客である自分に対して彼女なりに気を遣っているのだろうか、と気にしないように努めながら「いただきます」と言い、温かいチーズドリアや新鮮なアンチョビサラダに舌鼓を打っていた。……のだが、終始無言で見つめてくる彼女の存在はどうしても目立つ。
おかげで帰るタイミングを失ってしまった。
「ごめんなさい。迷惑だったかしら?」
「いや、別にそういうわけじゃ無いが、そうジッと見られると正直気まずいというか」
「それもそうね。なら単刀直入に言うわ」
「ん、なんだ?」
冬木由紀那のまっすぐな瞳に思わず気を引き締める。背筋を伸ばした彼女に倣い、いつの間にか自然と晴人の背も上へ引っ張られていた。
自らの意思力の弱さに若干の不安を覚える晴人だったが、これも彼女特有の雰囲気の所為だろう。
そして彼女はようやく口を開く。
「……風宮くん、さっきは大丈夫だった?」
「へ?」
「その、本来なら一番最初の会話で尋ねるべき内容なのは当然知ってるわ。でもまず先に二人で落ち着いて話せる場所へ移動しようと考えている内に言うタイミングを逃してしまったのよ。ほら、私って人見知りだから」
「お、おう……?」
「今度こそ言おうと思ってこうして食事中の風宮くんの前に座ったのは良かったのだけれど、美味しそうに料理を食べている風宮くんを眺めていたらまたもタイミングを逃して今に至るわ」
矢継ぎ早に言い放つ冬木由紀那の言葉にやや圧倒されながらも、その意味を噛みしめる。
彼女の言う『大丈夫だった?』という問いかけは十中八九先程の親子連れに絡まれた件だろう。表情や声に変化が見当たらないので分かりづらいが、どうやら一応心配をしてくれていたらしい。
その判別材料が彼女の真摯的な瞳だけなのは正直困るところだが。
「改めて謝罪します。折角風宮くんがこの店に来てくれたのに、気分を悪くさせてしまってごめんなさい」
「いや、それはアンタの所為じゃないだろ。ただ少し俺の運が悪かっただけだ」
これは晴人の紛れも無い本音だ。別にこの店の誰が悪いという訳ではなく、今回の出来事は偶然に偶然が重なってしまったことから発生してしまったアクシデント。
逆に店側に写真を撮る了承を得たとして、撮影する客自体を鬱陶しく思う人間が中にはいるということを想定出来なかったこちら側にこそ非があると反省するべきだろう。
(……まぁ、あの咀嚼音と食器の音が不快で迷惑だったのは周知の事実だが)
あの親子連れに言いたいことが無い訳ではなかったが、心の中でそっと思うくらいは許して欲しい。
「むしろあの対応、かっこ良かったよ。助けてくれてありがとな」
「………………いえ。どう、いたしまして」
心からの感謝を告げると、真正面にいる彼女はうっすらと頬を染めて視線を逸らした。
高校では一切の感情を見せることのない白雪姫が、こうして何かしらの反応を示すのは新鮮だ。美少女として他の生徒から好意的な視線で遠巻きに見つめられることは多いが、感謝など言われ慣れていないのだろうか。
「そういえばデザートも注文していたわね。すぐ持ってくるから待ってて」
「あ、あぁ……」
彼女は素早く立ち上がると入り口の先へと消える。そしてしばらく経たない内にフードトレイを両手に持ちながら戻って来た。
頬に差していた赤みは既に無いので、どうやらこの少しの間で平静を取り戻したようだ。
「お待たせしたわね」
「へぇ、これが」
「ええ。『デ・ネーヴェ』の看板商品でもある自家製スイーツ、イタリアンプリンよ」
晴人へ差し出された皿の上には、長方形に切られたプリンが鎮座していた。
普段見かけ慣れているプリンといえばよく丸いカップに入ったものが主流だ。当然美味しく、その食感はなめらかでとろとろしている。
それに比べてこのイタリアンプリンは断層がはっきりと艶やくほどに固めに作られていることが分かり、カラメルの赤褐色とプリンの白色の色合いがとても美しい。きっとパウンドケーキの型で作られており、卵をたっぷり使用しているからこそ切り分ける際にナイフを入れても形が崩れないのだろう。
甘いもの好きな晴人としてはとろとろしたものと固めのもの、両者ともに食べたことはあるが、どちらも甲乙つけがたい魅力的な美味しさだ。
写真を撮るのを忘れてさっそくスプーンを手に取る。いただきます、と言ってそっとスプーンで一口大に掬い、期待を込めて口へ運んだ。
次の瞬間、口全体に美味しさが広がった。
「うま……!」
「それは良かったわ。卵、生クリームをふんだんに使っている他にマスカルポーネも入れてるの。隠し味に黒糖を入れているのがミソね」
このイタリアンプリンには生クリームやマスカルポーネチーズの濃厚なコクが秘められつつも、卵本来の味がしっかりと残されている。甘さに関しては一切のくどさは感じず、上に掛かっているほろ苦いカラメルのおかげですっきりとした後味に仕立てられていた。
舌が敏感ではないせいか残念ながら黒糖の風味や特有の味は感じられなかったが、この落ち着いた甘さを引き出しているのが黒糖のおかげなのだとすると彼女の説明にも納得がいく。
気が付けば、晴人は手を休めること無く『デ・ネーヴェ』自家製のイタリアンプリンを夢中になって食べ進めていた。写真を撮らなければという思考が過ぎるも、そのときには盛られた皿からイタリアンプリンの姿は消えていた。
「ふぅ、おいしかった……。ご馳走様でした」
「お粗末様です」
魅力的な美味しさの余韻を残しつつも、晴人は両手を合わせる。食べ始めに写真を撮れなかったのは残念だったが、そのことを差し引いてもこのイタリアンプリンを食べれた満足感の方が大きい。
もちろん半熟卵のチーズドリアとアンチョビサラダも格別に美味しかったのだが、甘いもの好きな晴人としてはこちらのイタリアンプリンが印象に残る。
程よい満腹感に笑みを浮かべつつ、晴人はお腹を
「最っ高にうまかったよ。たぶん今まで食べたプリンの中で一番うまい」
「ありがとう。パパに伝えたらきっと喜ぶわ」
顔こそ無表情だったがその眼差しは柔らかい。彼女の周りの雰囲気も心なしかぽかぽかと暖かくなったような気がする。
高校で普段見掛ける冬木由紀那は淡々とした口調と落ち着いた冷静沈着さを併せ持ち、その美貌から白雪姫と呼ばれる文武両道でクールな美少女。……なのだが、この目の前にいる彼女はそれと微妙に異なる。
まぁ、あくまで今の彼女の雰囲気も"気がする"だけなので、良く知りもしない冬木由紀那のことを会話し始めて日が浅い晴人が一概に判断する訳にはいかないのだが。
しかし彼女の様子におや、と感じたのも事実。その僅かなギャップに晴人が思わず瞬きをしていると、当の本人が口を開いた。
「そういえば、どうしてこの店に? 『デ・ネーヴェ』ってあまり知られていない場所にあるのだけれど」
「あぁ、それは―――」
晴人は無表情のまま少しだけ首を傾げた彼女に『デ・ネーヴェ』を見つけた経緯を打ちあける。
今思えばこの店を見つけることが出来たのは本当に偶然だったが、そもそも休日に出掛けようと思わなければこんな街から外れた郊外に出ることは無かったし、この場所を見つけて美味しい食事に辿りつくことも無かった。
それに高校で有名な白雪姫がこの店で働いていることも知らないままだっただろう。
ハプニングなどが起きたものの、とても有意義な一日だったと晴人は振り返りながら改めてそう思う。
「と、そんなわけでこの店を見つけたんだ」
「そうだったの」
冬木由紀那は納得した様子で相槌を打つも、ふと思い出したように瞳をぱちくりと瞬かせた。
「そういえばなのだけれど、昨日は無事にお家に帰れたのかしら? あの酷い雨のなか、折り畳み傘で帰っても無事で済むとは思えないのだけれど」
「あー、帰ってからすぐにシャワーを浴びたから大丈夫だ」
「折り畳み傘は?」
「ノーコメントで」
昨日の放課後、雨が強風に煽られたおかげで全身びしょ濡れで自宅に帰ってきたわけなのだが、当然折り畳み傘もただでは済まなかった。
軽量型ではあるのだが傘骨の本数が少ないので耐久性が弱いのだ。その所為で何度も傘が反対方向にひっくり返ったり傘骨のほとんどが折れてしまったので、次回からはしっかりと丈夫なモノを購入しようと心に決めていた。
目の前に座る彼女の瞳がどこかじとっとした呆れたものに変化したのは、きっと明確な言葉を濁したからなのだろう。なんだか居たたまれなくなった晴人はそっと視線を外す。
「はぁ……」
「そ、それを言うならアンタはどうだったんだよ。ちゃんと帰れたのか?」
「えぇ、風宮くんが渡してくれた傘のおかげよ。あのときはすぐ行ってしまって言えなかったけど、ありがとう」
「お、おう」
言葉には抑揚が無く、表情には感情が込められていない筈なのだが、彼女のその真っ直ぐな視線に思わずこそばゆくなる。
これも白雪姫の魅力なのだろうか。再度不思議な感覚に捉われつつも、気恥ずかしくなった晴人は癖っ毛のある髪をがしがしと掻くことになった。
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