第323話 ギウ……

 百合さんは軽く頭を振るい、黒髪を風に流しながら、こちらへ銀の瞳を向ける。


「ケント、こいつを受け取れ」


 そう言って、彼女は長筒のような水晶を私へ放り投げた。


「これは?」

「そいつは……みんなを救うための数式が封じられた記録媒体だ」

「え?」

「それを遺跡の中央制御室で使えば、魔族になっちまった仲間たちを救える。スカルペルそのものを救える」


「これで? では、あなたは完成させたのですねっ。バルドゥルの呪いのようなナノマシンから皆を救うすべを!?」

「そいつは、ちょいと違うな」

「違う?」


 

  百合さんはそっと自分の胸に手を当てる。

「ま、本来なら俺がやるべきだろうが、ギウこの子は俺の心の中に眠る遺跡への忌避感を受け継いで近づけないし、俺は俺で、この子の肉体に意識が宿る時間が短く不安定だからそれは行えない。だから、てめぇに任せるしかねぇ」

「私に?」


「そうだ、てめぇだ、ケント……バルドゥルが遺跡をいじったおかげで忌避感を薄められたあの時、俺がやっても良かったけどよ。だけど、いまさら亡霊の出る幕でもねぇ。ここまで至ったのはてめぇらだ。それに……」


 百合さんは突然言葉を止めて眉を折る。

 だけど、すぐにそれを消して軽く微笑み、言葉を続けた。


「ふふ、だからここは、スカルペルと地球の間に位置するてめぇに決めてもらう方がいいだろうな」

「私が? 決める? 何を?」



 私は水晶を両手で抱え、百合さんへ顔を向ける。

 彼女は麦藁帽子の縁を掴み、それを脱ぎ捨て言葉をぜた。



「未来さ!」



 槍を大きく振るい、柄頭を地面に叩きつける。

 すると、魔力とは違う力が地面を駆け抜け、フィナの転送を妨害していた空間の力が吹き飛んだ!


 百合さんはぞくりとする甘美な震えと畏れを纏う強大な力を溢れさせ、陛下と閣下。そしてシエラたちを牽制しながら、私に言葉を渡す。



「ここは俺が引き受ける! てめぇらは研究施設、トーワの遺跡に戻り、そいつを使えっ。そうすれば、全ての問題はゼロになる!」

「ですがっ!」

「グダグダの問答いらねぇんだよ! ケント、返事をしろ!」

「グッ! わかりました。それでも一つ、質問があります!!」

「なんだよっ?」

「ギウは、ギウは、ギウはどうなったのでしょうか?」



 この言葉に、彼女は小さく言葉を返した。


「……すまねぇ」

「そんな……なぜ……?」

「てめぇらを助けるためさ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。でもよ、あと一度だけなら会えるかもな」

「え?」

「ほら、行け!」


 彼女は荒々しい光の宿る銀の瞳をこちらへ飛ばす。

 私は同じく銀の瞳でその光を受け取り、フィナに声を飛ばす。


「フィナ、転送を!」

「いいの? ギウが……」

「さぁ、わからない。だが、ギウは命を賭して百合さんに託し、私たちを守ってくれた。受け取った水晶にはそれだけの想いが詰まっているのだろう。だからっ!」

「……わかった、行くね。だけど、オバディア全体に結界が張られているから、王都のどこかにしか転送できないよ」

「それで構わない。行こう!」



 私は一度、百合さんに視線を振ってから、フィナのそばに寄った。

 仲間たちが一か所に集まったところで、フィナは転送を発動。この場より消えた。




――秘密研究所前


 百合はケントたちが去るとすぐに、炎燕エンエンに話しかけた。



「すまねぇな、炎燕エンエン。てめぇ相手だと今の俺じゃどうしようもねぇんだ。だから不意打ちになっちまった。ホントならよ、同じ宇宙の貴重な生き残り同士、仲良くやりてぇんだけどな」

 

 彼女の声に、片翼を失った炎燕エンエンは嘴から炎を漏らして返事をしたように見えた。

 百合は視線をネオヘ向ける。



「ネオ陛下ねぇ…………なんで地球人の血を引くてめぇがヴァンナスの王様なんかやってんだか」

「あらら、よくわかったね」

「てめぇの体からナノマシンの力を感じるからな。とても微弱だけどよ。それで、若さを保ってんだろうけど……一体どうやって王家に潜り込んだ?」


「まだ、地球人の末裔たちに大きな縛りがなかった頃、王族に近づき、立場を確保しようとした者たちがいる。その一派の一人さ」

「それで王族の懐深くに潜り込み、ここまでのし上がったわけだ。凄まじい運と気合だぜ……自滅ナノマシンから逃れられたのも」


「私もそう思う。スカルペル人と交わることで、血が薄くなり、強化と滅びのナノマシンの双方の力が弱まった。さらに運よく、当時のアーガメイトの一族になかなかの天才がいてね。一部だけど強化のナノマシンの効果を増すことができたんだ」


「それが不老ってわけか……どうして、同胞を犠牲にした?」

「同胞じゃないよ」

「なに?」

「私はスカルペル人だ。地球などどうでもいい。地球人など、スカルペルに災いをもたらす魔族にすぎない。だから、彼らの後始末を君らのご先祖に任せているだけさ」

「ふむ」



 百合は軽く鼻から息を吹く。

 その姿にネオは眉を顰めて問いかける。



「怒ったのかい?」

「いんや、全然。元は俺たちのせいだからな。怒る資格もねぇよ。ただ、地球人ってやつはどこの世界に行っても、どんな状態になっても野心的だと思っただけだ」

「私自身はもはや地球人だと思っていないんだけどね」

「まぁ、てめぇがどう思おうといいが、あんたはどうなんだ、爺さん?」


 百合はトンッと肩に槍をおいて、首を軽く傾けながらジクマに質問を投げかける。

 ジクマはこう答える。



「統治者が有能な人材であれば何者でも構わん。加え、陛下に地球人の血が流れていようとその血は薄く、濃くあるのはヴァンナス王家マルレミの血だからな」

「なるほどね。全部受け入れているってわけだ。なかなかやるな、ヴァンナスって国は……しかしよ、なんでいきなり陛下さんは泣き始めたんだ?」


 百合の言葉通り、ネオは袖口を目に当てて、大仰に泣いている。

 そして、わざとらしく嗚咽を漏らしながら思いを口にする。


「いや、だってね。あんなに仏頂面の能面男が、私を有能って評価してくれたんだよ。も~、それが嬉しくて嬉しくて」

「シエラ」

「は~い」

「え、また、もごっごあおあおがおあ」



 三度目――シエラに口元を隠される。

 彼らのやり取りを見て、百合は愉快そうに笑う。


「あははは、いい国だな、ヴァンナスは」

「ふん、場というものを読まずにご自分であり続けられるのは大変迷惑の話ではあるが……人としての進化の到達点にあるあなたの評価、ありがたく受け取っておこう」


「ああ、誉め言葉なんてものはタダだ。いくらでも受け取ってくれ。その代わり、返してもらうものがある」

「返してもらうもの、だと?」

「フッ、その回収はケントに任せたけどな」



 百合は空を見上げ、悔しさの混じる言葉を漏らす。


「ここまで千年という時があったのによ、俺にあったのは一年にも満たない時間だった。それじゃあ、バルドゥルのジジイに追いつけなかった。こんな結末をケントに押し付けちまうとはな」



 百合が表す雰囲気に言葉――ネオはそこから彼女の覚悟を見通す!

 彼はシエラを振りほどき、激しく言葉を飛ばした。


「まさか、先ほどの数式とやらは!? そうかゼロにするっ、あなたの頭脳を使えば、今すぐにでも! ジクマ! すぐにケントたちを追え!」

「すでに追手の通信は行っております」

「それだけじゃ足りない。残りのシエラたちを使い追わせろ! なんとしても彼らを捕まえ、水晶を取り上げろ! 生死は問わない!」

「か、畏まりました!」


 

 まず、見せることはないネオの激昂に、ジクマは慌てて魔力を振るい通信を行う。

 彼らの声を耳にした百合は静かに力を纏う。


 百合の身体の表面から気炎立ち昇り、陽炎かげろうに包まれ揺らぐ。

 揺らぐ影からは死の気配が伝わり、勇者の力を宿すシエラたちに恐怖を味わわせた。


「な、なんなの、こいつ。どうして、手が震えるの? 足が震えるの?」

「心が怯えてるからさ」

「怯えてる? 私たちが?」

「ああ、そうだ。ま、全盛期の2%程度の力しか出せねぇが、これでも弱った炎燕エンエンとてめぇらなら何とかなるだろ。それもまた短い時間だけどよ……その間にケントたちはうまく切り抜けて、スカルペルをあるべき姿に戻してくれる!」



 百合の声から伝わる、確かな信頼という力。

 これにネオは、問いという無駄を行う。



「あのケントが迷わずやれると思っているのかい? レイやアイリたちのことだってあるのに?」

「レイやアイリたちはすでに知っている。覚悟をしている。ケントだって迷わない」

「ケントには伝えてないのに? どうして?」

「伝えれば悩む時間ができちまう。行きつく答えはおんなじなのによ。だったら、悩む時間は短い方がいい。今のあいつなら、短くても行えるさ」


 百合の言葉に宿る心に、ネオは理解が及ばず苦しむ。

 ネオの知るケントはそこまで大きな覚悟を示せる青年ではない。

 だが、百合の心を覗いて、彼は知る。



「なるほど、この短期間で彼はそれほどまでに成長したというのか。ふふ、彼らを取り押さえるのは難しそうだ。ジクマ、遺跡の充填石を起動しろ!」

「それは!? 陛下!?」


「これは命令だ! 百合の託した水晶が起動してしまうとヴァンナスの命運は尽きる! それどころか、無傷の遺跡を手にしたケント、いや、ビュール大陸が私たちを飲み込むぞ! だから、大陸ごと遺跡を消せ!」

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