第136話 たすけて

 茂みが蠢き、彼女が戻ってきた。

 彼女は左手にナニカを掴み、引き摺っている。

 そして、そのナニカを私の足元に投げ捨てた。

 そのナニカとは……。



「この子は…………白い花をくれた、女の子……」


 街道で私に白い花をくれた女の子が無残にも引き裂かれ、血に染まっていた。

 光をなくした瞳が私を見ている。

 その瞳から目を逸らす。

 逸らした先にあったのは、茂みの奥に横たわる女性の姿。

 女の子の母親が、枯れ木のような姿となり、物言わぬ存在となっていた。

 

 それは、この魔族が体内に宿るレスターを吸血して喰ったからであろう。

 魔族は女の子の遺体を持ち上げ、私の口元へ持ってくる。

 魔族から立ち上る、むせ返る血の匂い。


 これは、私に花をくれた女の子の血の香り。

 とても可愛らしく、これから多くを経験し、素晴らしい明日を望んでいたはずの女の子っ。

 そんな女の子を、私に食せという!?


 今、感情に任せ、魔族に刺激を与えるのは馬鹿げたことだ。

 そう、馬鹿げたことっ――馬鹿げたことだとしても心は止まらない!!



「やめろ!!」

 無造作に女の子を掴んでいた魔族の手を振り払い、私は女の子を強く抱きしめる。

「この、化け物め! なんてことをっ!」

「がぁっ!!」



 魔族は激しく牙を剥き出す……少しでも、こいつを理解できるのでは? と思った私が愚かだった。

 少女から未来を奪い、それを食事として出すような奴を理解しようなんて!


 私は感情を爆発させて魔族を罵倒する。


「お前の目的なんだ!? 何がしたいっ!? 私を喰らうというならば喰らうがいい! こんな、こんな、こんなっ」


 私の両腕に納まる少女は首をだらりと真後ろに下げる。


「よ、よくも魔族めっ! どうした、私を食べないのかっ!? このっ、腐れ外道がっ!!」

「うが……うが……うがぁ~…………」


 魔族は一瞬、とても悲しそうな表情を見せた。黒い瞳を潤ませ、その瞳に私を映す。

 そして、数滴の涙を落としながら私に飛び掛かってきた。


「うがぁぁぁあぁぁぁぁ!」

「がはっ!」

 魔族に組み敷かれ、親指をにゅるりと右目に押し込まれそうになった。

 痛みが目の表面と奥に広がる。

 だがっ!?


(な、なんだ? これは?)

 魔族の親指から痛み以外の何かが伝わってくる。

 その何かが形作ろうとしたところで、彼女と彼の声が響き渡った。



「ケント!!」

「ギウギウ!!」



 フィナの鞭が魔族を吹き飛ばす。そして、ギウが銛を放った!

 私は思わず声を張り上げる。

「待て!」


 しかし、それは間に合わず、銛は魔族の胸を深々と突き刺し、彼女は砂に帰ってしまった。



「ケント、無事!?」

「ギウギウ!?」


 二人が駆け寄ってくる。

 よく見ると、後ろには親父やマフィンの姿もあった。

 フィナは女の子とその母親の遺体を目にして、怒りに体を震わせ、ギウは悲し気な雰囲気を纏う。


 私は彼らに礼を言い、肩を借りてこの場から離れる。

 去り際に、砂となってしまった魔族へちらりと視線を振った。



(彼女が右目を押さえた時、頭に流れ込んできた言葉。私の思い違いでなければ、あれは…………『たすけて』……)




――

 魔族に捕らわれた私だったが、皆のおかげで命を失うことなく無事だった。

 ギウとフィナのおかげで、半島から魔族の脅威はなくなった。

 しかし、行商人の夫婦の母方とその娘の命は守れなかった。

 生き残った父親は憔悴しながらも、仇を討ったフィナとギウに礼を述べて、それ以上の言葉はなく、妻と子を引き取り、アルリナへと去っていった。


 私たちもトーワへ戻る。

 そして、カインから治療を受けた。

 幸いのこと、わき腹の骨にひびもなく打ち身程度。

 カインの医者としての腕とエクアの治癒術のおかげで、数日程度の静養で済みそうだ。


 私はここ数日ベッドで横になり、あの時、頭に響いた声のことを考えていた。



――たすけて――


 

 あの声は本当に聞こえたのだろうか?

 それとも、痛みが生んだ幻聴だったのだろうか?

 時間が経てば経つほど、あの声はうつろい消えていく。


 だが、もし、あの声が本当に聞こえていたとしたら、なんだったのか?

 なぜ、私に聞こえた? 

 あれは銀の瞳を介して聞こえたように思える。

 この銀の瞳には私の知らぬ力が眠っているのか?

 

 魔族と意志を通わせる力があるのか?

 魔族と銀の瞳になんだかの結びつきが?


 それはあり得ない。この目は魔族なんかと関係ないはずっ!


 銀の瞳は少しだけ私を強くして、素早い動きが捉えられて、遠くが見れるだけのもの。

 いや、そう思いたいだけで、私には教えられていない秘密が?


 それになにより、あの魔族はなぜ、『たすけて』などという声が生んだのか?

 彼女は泣いていた。そして、助けを乞うていた。

 だけど、女の子を殺した。それを私に喰わせようとした。

 ぐるぐると回る、形のない謎。


 その謎を追おうとすると、わき腹に痛みが走った。

 意識が現実に戻り、いつかフィナが口にした言葉がよぎる。



『一つのことに頭を悩ませても、どうせ堂々巡りだしね。それなら他のことに意識を向けた方がお得だし』



「ふふ、今は彼女の言葉を借りておくか。わからぬことを悩んでも仕方がない。いつつ、わき腹は痛むが、歩くには支障なさそうだ。寝てばかりいても気が滅入る。少々、歩くか」

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