章間・2

第137話 ○○から来た老婆

――マッキンドーの森

 

 

 ケントは怪我負い、数日ぶりにベッドから起き上がり城内を見て回ろうとしていた頃、一人の老婆がトーワ城そばの森の前に立っていた。

 森はわずかに熱気を帯び始め、季節は夏の入り口へ差し掛かろうとしている。


 しかし、森の前に立つ老婆は暑さとは無縁の優し気な表情を見せて、トーワの城を見つめる。


 老婆の立ち姿からは優雅さが溢れており、その優雅さを強調するかのような、上品で多様なフリルをちりばめた薄い青色のドレスに身を包み、同じく薄い青色の日傘を手にしていた。


 日傘からはちらりと色素の薄い水色の髪が見え、そこには僅かばかりの薄紅色うすべにいろの髪と白髪が混ざっていた。

 彼女は深い皺が刻まれた瞼の奥に、淡い緑の瞳を宿す。

 その瞳にトーワを映し、こう呟いた。



「ウフフ、とても賑やか。懐かしい雰囲気。今は城の防壁を修復している最中なのね」



 老婆はゆっくりと足を運び、トーワの第一の防壁を通り抜け、第二、第三と歩いていく。

 その間、大工たちの威勢の良い声に微笑みを浮かべ、キサが商いを行う出店を見て、くすりと笑い、城の中庭を通り抜けようとする。

 そこで、ギウが老婆を見咎めた。


「ギウッ」

「ギウ……見回りをしてるのね。でも、許してもらえないかしら? いえ、見逃してもらえない? あなたなら、私のことがわかるでしょ?」


 そう、老婆が問うと、ギウは大きな目をさらに大きく開ける。そして、無言で道を譲った。

「ありがとう」

 老婆は軽く会釈をして、中庭を通り、石階段を使い海岸へ降りていく。


 

 海岸の砂浜にはエクアの姿があった。

 彼女はカンバスと海を交互に睨めっこしている。

 しかし、カンバスは真っ白。

 その様子から、絵を描くことに行き詰っているようだ。


 老婆はエクアに話しかける。

「悩んでいるの?」

「え?」

「ごめんなさい、驚かせちゃって」

「いえ、大丈夫です。あの、あなたは」

「……旅人よ」

「旅人?」


 と、老婆は答えるが、ドレス衣装の姿はとても旅の者とは思えない。

 本来ならば、不審が宿り、エクアに警戒が走るのだろうが、不思議と老婆に対してそのような警戒心は生まれなかった。



 老婆はカンバスをちらりと見て、こう尋ねる。


「構図に悩んでいるのね」

「え? はい。ずっと、海ばかり描いているんですけど、だんだん構図が同じようなものになってきまして」

「ふふ、そういう時はね、想像の目を広げるのよ」

「え?」


「あなたはもう、この海と砂浜のことをしっかり心に宿している。目を閉じても、はっきりと浮かべられるくらいにね。でしょ?」

「はい、それはもちろん」

「では、まず目を閉じて、今いる自分の砂浜を想像してみて」

「想像ですか? わかりました」



 エクアは素直に従い、海と砂浜の情景を浮かべる。

 老婆はゆっくりと語りかけてくる。


「あなたの正面には海が広がる。そこからゆっくりと視点を上にあげていく。できる?」

「はい、やってみます……」

「そこから鳥のように、空高くに舞い、海の深くへと飛んでいく。さぁ、想像して。今、あなたは翼を得て、海の真上を飛んでいる。見える?」

「はい、見えます……どこまでも海が広がっていて、とても綺麗です」


「そう、その調子。そこから水面まで下りて、次は魚の目を想像して。海の中には太陽の光が透き通り、多くの魚たちが踊っている」

「本当だ。お魚さんがいて、カニさんや貝に海藻が揺らめています」

「うふふ、そうでしょう。さぁ、一度目を開けて戻って来ましょうか」



 優しげな老婆の言葉に案内されて、エクアは海から砂浜へと戻ってきた。

 そして、大きく呼吸を行い、老婆へ顔を向ける。


「凄いです。目に映るだけの世界が全てじゃないんですね!」

「そうよ。人はせっかく想像という素晴らしい才能を秘めているんだから、使わないと損だもの」

「ありがとうございます。新しい視点を頂き、これから絵がもっと上手くなれそうです!」

「ふふふ、お役に立てたのなら幸いね。それじゃ」

「あ、あの、おばあさんは画家なんですか?」



 この問いに、老婆は日傘を持つ手にもう一つの手を重ね置いて、悲し気な声を生んだ。

「昔は絵を描いていた。でも、もうやめちゃったの」

「そうなんですか……」

「でも、あなたはきっと素晴らしい画家さんになると思うわ」

「そんな。あの、ありがとうございます」

「ふふ、頑張ってね、小さな絵描きさん」


 老婆は微笑み、砂浜から階段を昇り、城の中庭へと戻っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る