第121話 謎の女性

――三日後・トーワ



 薬の準備ができ、明後日にはキャビット族の住むマッキンドーの森に向かう手はずとなった。

 その合間に私は早朝の畑の前でキサから畑づくりの指導を受けている。


「領主のお兄さん、これだと元肥もとごえが全然足りないよ」

「そうか?」

「それに……」

 キサは耕していない土を少しほじって手に取り、こねるようにして土を観察している。


「……うん、やっぱりあまりいい土じゃない。畑づくりの前に土壌の改善が先かな~。もっと深く耕して土に空気を触れさせないと。あとは苦土石灰と肥料をたっぷり入れて……森から腐葉土を持ってくるのも悪くないかも」


「そんなに良くない土地なのか? 草は結構生えてるが」

「雑草とお野菜は別物だよ~。あとは水路も欲しいかも~」

「水路か……井戸の水で事足りるだろうか?」

「マッキンドーの森に川があるから、そこからじゃダメなの?」


「森のほとんどがキャビットの領地だからな。難しいが、今回の交渉でそこも含んでみるか。しかし、開拓となっても人手はなく、トーワは丘陵きゅうりょう。水を上にあげるとなると相当な工事が必要になる」


「色々大変そうだね~」

「ふむ、たしかに。いっそ、新たに井戸を作るか? いや、考えもなしに増やせば水不足を招きかねないな」


「井戸はどこまで掘れるの?」

「うん、それはどういう意味だ?」


「お城の後ろの方が崖で、洞窟があるんでしょ? 変な風に掘ったら洞窟と繋がっちゃうんじゃ?」

「たしかに。だが、崖は城の背後100mほど先。洞窟は城まで届いていないはず。実際、城そばには風呂用の井戸があるからな。城の前であれば洞窟の心配はない」


「そうなんだ。そういえば、洞窟の内部ってどうなってるの?」

「内部? 内部は以前、ギウが住んでいた場所。彼に尋ねてみないとわからないな」


 

 言われてみれば、洞窟内部を調べたことがない。

 ギウは洞窟内でどんな暮らしをしていたのだろうか?

 

 その彼にはいくつか不可解なところがある。


 なぜか、見返りもなく私を手助けしてくれた。今も私のそばで助けてくれている。

 他のギウが持っていない、不思議な銛の存在。剣も魔族も一瞬にしてちりに帰し、意思を持つかのように飛び回る銛。


 遺跡に対する異常なまでの恐怖。


 

 それになにより、なぜか私は、よく知らぬ彼のことを信頼している。

 この気持ちは一体……?


 これらを彼に問いたい思いはある。

 だが、自分のことを話そうとしない彼に、それを尋ねることができない。

 尋ねることが禁忌のような、心地良い関係を失ってしまうような思いがして……。


 私は軽く頭を横に振り、不可思議でありながらも大切な友人ギウのことから、地下水のことへ意識を移した。



「洞窟のことはともかく、畑のために無闇に地下水を汲み上げればいいという話ではないか。ま、今後の課題としておこう」

「うん、あんまりいろいろなことを同時にやろうとしても失敗するからね~」

「そうだな」

「しばらくは暇を見て、私や他のお店のみんなで畑の面倒を見ておくよ」

「いいのか?」

「うん、土いじり好きだし。おっき~くお野菜育てるねっ」

「ふふふ、ありがとう」



 私はキサのほっぺたについていた土を指先で拭う。

 キサはくすぐったそうな顔を見せている。

 朝の雰囲気に似つかわしい、ゆったりとした時間が流れる。

 そこに、その雰囲気をぶち壊す男の声が聞こえてきた。



「ねぇねぇ、そこの彼女、俺と遊んでいかない! ぐほっ!」

 グーフィスがアルリナから手伝いに来ている若い女性に話しかけて、返しに腹部を蹴られている。


「彼は、どうしてあんなことに?」

「フィナちゃんに特攻して壊れちゃったの」

「そうか……罪深い女だな、フィナは。ここ数日、彼はあんな感じなのか?」

「うん」

「キサ。ああいった男について行っちゃ駄目だからな」


「わかっているよ、領主のお兄さん」

「さて、私は城を一回りして、執務室に戻るとするよ」

「うん、私もお昼の仕込みがあるから」

「そうか、忙しいのにアドバイスを求めて済まなかったな」

「ううん、いつでも構わないよ。それじゃ~ね、領主のお兄さん」



 キサと別れ、城へ戻る。

 その城の玄関前で、私は振り返り、トーワを見渡した。

 なだらかな丘の上に立つ城からはトーワの姿をよく見渡せる。


 大勢の大工たちが壁を修復し、商売に花を咲かせる者もいる。

 荷物運びに走り回る者。

 彼らに食事を販売するために料理に精を出す男に女たち。


 初めて訪れた時と比べ、大きく変貌を遂げたトーワに、胸が熱くなる。

「信じられないほど変わっているな、このトーワは。惜しむらくは、今いる者たちのほとんどがアルリナからの客人ということだが……それでも、心地良い」


 人々が活力に満ち溢れ働く様を見ていると、世界に命を与えているような思いに浸れる。

 

「ふふ、私も気合を入れて働かなければな……」

「ねぇねぇ、そこのお姉さ~ん! ぐほっ!」

「……ゴリンに言って、あのバカを大工仕事に集中させないとっ」




――その夜


 グーフィスはゴリンにたっぷりしぼられて、しゅんとした表情で深夜のトーワを散歩していた。

「はぁ~あ、そこまで殴るこたぁないだろうに。頭の形が変わっちまうよ。それにトーワには若い女が少なすぎんだよ。まぁ、ほとんどが手伝い来ただけの女たちだから仕方ねぇけどさ。でもこれじゃ、フィナさんが求めた経験豊かな男に慣れねぇじゃねぇか。はぁ~、いてて、あたまいてぇ」



 彼はゴリンからグーで小突かれた頭を押さえる。

「ふぅ~、夜風が火照った頭に心地いいぜ。もうちょい、散歩したら寝るか、ん?」


 グーフィスは城へ向かう影を見た。

 影は後姿だったが、おそらく女性のようだ。



「だれだ? あんな女いたっけ?」

 彼は駆け足で女性を追いかけることにした。

 女性は足音もなく、城から中庭に向かい、崖の方へと向かっていく。

 彼は崖へ消えていく、女性に声を掛けようとして……息を止めた。

 


 月明かりが女性の後姿を映し出す。

 真っ白のワンピースに深々と被った麦藁の帽子。

 帽子から流れ落ちる黒く長い髪が、月の明かりをキラキラと反射させている。

 

 月光に包まれたその姿は朧で、鏡に映る花や水のようであった。

 美に魅了され、手を伸ばしても決して手に取ることのできない姿。

 

 白の服と黒の髪の色調しかないはずなのに、彼女からは春の優しく彩り豊かな風が伝わってくる。


 明月めいげつに混じりあう清らかな風は、グーフィスの足音と声を奪い、彼は時を忘れ、ただただ瞳に清艶せいえんを映し続けるだけであった……。

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