第105話 うらぶれる男

――港そば・ストマー食堂



 海を望める場所にその食堂はあった。

 心地良く耳をくすぐる潮騒を音楽として、海の幸を堪能できる食堂。

 しかし今は、喧騒が潮騒を塗りつぶす。

 喧騒の原因は、私たちだった。



 アルリナですっかり有名人になってしまった私たちの周りには人だかりができる。

「これは困ったな。予想以上に私たちの事は話題になっているみたいだ」

「私たちというよりもケント様が、だと思いますよ」

「そうかな? どちらにしろ、店で食事を取るのは難しいか。みんなには悪いが、出店で軽食を購入し、お昼はそれで済まそう」


 

 食堂で食事を取ることを諦めて踵を返そうとする。

 そこへ、聞き覚えのある老人の声が聞こえていた。


「これはこれは、ケント様。お久しぶりでございますね」

「この声……老翁か」


 振り返ると食堂の入り口に、釣りを指南して頂いた長い白髭を持つ老翁が立っていた。

「老翁、久しぶりですね」

「ええ。ケント様方は、食事を?」

「ああ、そう思ったのだが、この騒ぎでは……」

 

 周囲に視線を飛ばす。

 町の人々は私たちを囲むように集まり、食堂の窓からも顔を乗り出して視線をぶつけてくる。

 その様子を見た老翁は皆に声を飛ばした。



「これ、お前たち、ケント様が迷惑しておるじゃろう。ケント様、遠慮なさらず食堂へどうぞ」

「しかし」

「な~に、すぐにでも騒ぎは落ち着きますから。ほらほら、領主様の邪魔をしちゃいかんぞ。行った行った」


 老翁が左右に手を振る。すると、取り囲んでいた者たちはそれに素直に従い、皆は散り散りになっていった。

 民衆のこの態度……この老翁、町ではそれなりの顔なのだろうか?

 


 それはさておき、私は老翁に礼を述べる。

「ありがとうございます」

「いやいや、礼を言うのはわしらの方で。なにせ、あの悪ガキを追っ払ってくださったお方だ」

「クスッ、悪ガキですか」



 アルリナの町を支配していたムキを悪ガキ扱いとは、さてさてこの老翁、何者なのだろうか?

 私は微笑みを浮かべながらも、老翁を観察するように見る。

 だが……。


(ん、なぜ、私はこのような真似を?)


 不意に、老翁から興味が失せた。

 それは心からストンと何かが抜け落ちるような奇妙な感覚。

 そしてその感覚さえも、あっさり消え去ってしまった。



 私は余計な詮索などせず、素直に老翁の厚意に甘えて食堂へ向かう。

 食堂に入り、店主が奥座敷へ案内してくれようとしたが、それをフィナが嫌がり海が見える窓辺の席に座ることにした。


 大きめの四角テーブルの左右に二人ずつ向かい合うように座る。

 老翁は周りの者たちに騒ぎ立てるなと強めに戒めて、食堂から立ち去っていった。

 店内にいる客や従業員は老翁によく従い、騒ぎ立てるようなことはしない。

 チロチロとこちらを窺ったり、こそこそと話し声を立ててはいるが……。



 各自、好きな食べ物を頼み、昼食に舌鼓を打つ。

 早々と食事を終えた私は食後のお茶を堪能しつつ、海を望める窓枠に肘を当てて、景色をお茶請けとしていた。


「良い席だ」

「でしょっ。私に感謝しなさいよ」

「ふふ、そうだな。食事が終えたら、必要品を購入してトーワへ戻ろう」

「え~、遊んでいかないの~?」

「別に構わんぞ。フィナは遊んでいけばいい」

「つめた。あんたの血には氷が流れてんじゃないの?」

「常に血が沸騰している君よりかはマシだろう」

「なんですってぇ~っ」



 と、いつものやり取りを交えながら、食事が進む。

 ギウとエクアも食事を終えて、食後のデザートを堪能しているようだった。

 デザートはたくさんの果物に生クリームを併せたもの。

 それをフィナがつまみ食いしようとして、ギウから手を叩かれている。

 私は三人に微笑みを浮かべ、潮騒に体を預ける。

 ゆったりと流れる時間。

 賑やかであり穏やかな、とても心地良い時間。

 その時間に全てを預けようとしたところ、突然、男の泣き声が飛び込んできた。



「うわ~ん! もう、俺は駄目だ~! 死ぬ、死んでやるぅぅぅ!」

「なんだ?」


 

 泣き声に顔を向ける。

 店のカウンター席に座る男が真昼間から大量の酒を煽り、くだを巻いていた。

「なんでだよ~? どうしてだよ~? 一生懸命頑張って、この仕打ちかよ~。お~いおい」

 

 年は二十歳前後だろうか?

 大の男が、周囲の視線などお構いなく涙を流し続け、ひたすら酒を煽っている。

 そのような彼を知り合いと思われる男衆が囲み慰めていた。


 それを見たフィナが、思いっきりのしかめ面を見せる。



「なに、あいつ。うざっ」

「フィナ、事情もわからないのにそれはないだろう。若い男が昼間から酒を煽り泣いているのだ。何か、辛いことがあったではないか? 失礼、店員さん」

「は、はい、ケント様。何か私、粗相を?」


「いや、そうではないし、そう畏まらなくていい。ただ、あちらにいる男性が何故泣いているのかと思ってね」

「わかりましたっ。すぐに追い出します!」

 女性の店員さんは腕まくりをして、男のところへ向かおうとした。

 かなり勇ましい店員さんだ。



「ちょっと待ってくれ。そうではない。事情が知りたいだけだ」

「事情ですか? えっとですね。どうも、恋人を寝取られたそうですよ」

「そ、そうか。それは辛いな」

 と、私は同情を見せたが、フィナはその真逆の感情を声に乗せる。


「なにそれ? それで、お酒に逃げたの? なっさけないの」

「いえ、それがですね。ただ寝取られただけじゃないんですよ」

「へ~、そうなの~?」

「どういうことですか?」

「ギウッ?」


 フィナ・エクア・ギウは身体を前のめりにしてきて、店員さんの言葉へ耳を伸ばすように傾ける。

 私も人のことは言えないが、食い付きすぎだろう。

 店員さんはトレイで口元を隠すようにしてこそりと話を続ける。

 


「あの人、グーフィスと言って、航海士をしているんですけど、一年前にとある女性と結婚の約束をしたんですって。でも、今日航海から戻ってきたら、その女性に他の男が……」

「そ、それはお辛いですね」

「ギウギウ」


 エクアとギウは同情する声を上げた。

 しかし、フィナは違う。


「だから酒に逃げた? ばっかじゃないの。泣いてる暇があったら寝取った男の顔面が崩壊するくらいにボコって、女も二目と見られなくなるくらいに殴り飛ばしなさいよっ」

「お、お気持ちはわかりますが……ところがですね、この話にはもっとひどいことがあるんですよ」

「なになに?」

「なんと、その女性、妊娠しているそうで」

「うわ……」


 さすがのフィナも引いたらしい。

 私は酒を煽り続ける男を見つめながら言葉を落とす。



「一年前に結婚を約束して、航海から戻ってきてみれば恋人には男がいて、しかも妊娠までしていたのか……酒を煽りたくなる気持ちもわかるな」

 この声に、店員さん、エクア、ギウはコクコクと首を縦に振って賛同してきた。

 だが、フィナは……。


「だから何よ。妊婦はさすがに無理でも、男を一発ぶん殴るぐらいはしなさいよっ」

 引いたと思ったが、引いてなかったようだ……。

 フィナは怒気を交え席を立つ。


「フィナッ、何をするつもりだ?」

「私って、あ~ゆ~グズグズ言ってる奴、嫌いなのよね。ちょっと、気合入れてくる」

「フィナ、待て!」


 彼女は私の呼び止める声も聞かず、床をこれでもかと踏み鳴らしながらグーフィスという航海士の男のもとへ向かっていった。

 ギウとエクアが私に声を掛けてくる。


「ギウ?」

「どうします?」

「止めるのも面倒だし……そうだな、もしグーフィスとやらが死にかけるようであれば助けてやろう」

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