第83話 婚約者

 エクアから水を貰い、人心地がつく。

 そして、もう一度二人に謝った。



「余計な心配を掛けたな。本当にすまなかった」

「大丈夫ですか?」

「ああ、エクア。もう大丈夫だ」

「それなら良いのですが……突然、大きな声を出された時は驚きました」

「大きな声?」


 エクアに尋ねると、彼女の隣に座るフィナが大仰な様子で声を上げた。

「魔物もびっくりして気絶するくらいのデカい叫び声みたいな寝言だったよ。私もエクアもそれで起きちゃったんだから」


「そうだったのか。はぁ~」

「本当に大丈夫なの? なんか嫌な夢でも見た?」

「ああ、父を亡くした時のな。ここ最近は見ることはなかったのだが……」

「父ってことは、ドハ研究所の爆発事故の時の?」

「ああそうだ。あの時の爆発に父は巻き込まれて」



 巻き込まれて……は、不適当だろう。

 あの爆発は人為的なもの。引き起こしたのは父・アステ=ゼ=アーガメイト。

 私は父の名誉を守るために、それを隠匿した。

 だが、そのせいで調査らしい調査ができなくなってしまい、父の行った真相は闇に埋もれてしまった。



「ともかく、二人とも心配かけた。私は大丈夫だ」

「そうですか……」

「ならいいんだけど……ひとついい?」


「なんだ?」

「昔は自分のこと、『僕』って言ってたんだ?」

「なっ?」

「ちょ、ちょっとフィナさん。駄目ですよっ、そんなこと尋ねては!」


 と、良識を知るエクアが強く止めに入ってくれるが、良識を生ゴミの日と一緒にゴミに出してしまったフィナは止まる気なんてない様子。



「いや~、不謹慎だと思うけどさぁ、気になっちゃって。大声で『僕を一人にしないでっ!』なんて言うんだもの。なんかイメージと違うじゃん」

「もしかして、私が口にした寝言とやらはそれか?」

「うん、そう」


「はぁ、余計なことを聞かれてしまった……」

「その後もブツブツ寝言を言ってたけど、なんかガキっぽい感じだし」

「ガキと言うな。せめて、子どもっぽいと言え」

「どっちでもいいけどさ、アーガメイトが亡くなった時って、あんた、もう大人だったんじゃないの?」


「二十歳になる前だったな」

「滅茶苦茶幼い頃ならわかるけど、僅か二年で喋り方が変わってんじゃん。幼い感じから妙に大人びた感じに」

「君は図々しく人の過去を尋ねてくるな」


「気になるからね。それに尋ねるのはただでしょ。エクアも気になるんじゃない?」

「……そんなことはありません。人様の過去を根掘り葉掘り尋ねるのはよろしくないですよ」

「あれれ? 最初の小さな沈黙怪しいなぁ~」

「フィナさんは、もう~」



 エクアはプイっとそっぽを向く。

 それをニマニマ顔で眺めているフィナ。

 この子は良識や常識というものがとことん欠如しているらしい。

 袖にしてもいいのだが、しつこく聞かれるに決まっている。仕方なく、フィナがそれなりに納得する範囲で話してやることにした。

 


「そうだな、人に話しても別に恥ずかしい話でもないから構わんが」

「ほんと? やったね、エクア」

「良くありませんっ。申し訳ありません、ケント様」

「いや、別に構わないよ。私の寝言で君たちを起こしてしまった。その埋め合わせに寝物語を少々語ろう」


 私は懐からハンカチを取り出し、顔中の汗を拭って居住まいを正す。

 二人は私の態度に合わせるように、口をしっかり閉じて、私の前にちょこんと座った。



「私の性格が変わったのは政治家になったからだ。以上」

「え?」

「はっ!? なにそれ?」


「ふふ、これだけでは納得できないだろうな。多少付け足すなら、父がいた頃は、年甲斐もなく父に依存していた。私一人となってからは、しっかり己を己だけで支えていこうとして、意識を変えた。だから、こうなった。ま、無理に背伸びをした結果だろうな」

「そうなんですか、ケント様もご苦労されたんですね」


「いや、君の方こそ苦労しているだろう」


 エクアは海難事故で両親を亡くしている。

 幼い彼女の嘆きは私よりも深いだろう。

 だからこそ、私の心情に耳を傾けることができるのだろうが……問題は……。



「はぁ~、しょうもな~い。もっとないの~? なんか面白そうな話」

 フィナは両手両足を投げ出すように伸ばしている。


「君な、人の不幸話を面白そうなどと言うな」

「はいはい、ごめんなさい。ま、他人の不幸自慢を聞いても仕方がないっか」

「誰が不幸自慢だ。そんなことをした覚えはないが……君の方こそ、そういう自慢がありそうだが?」

「なんで?」


「旅の錬金術士だろ、フィナは? 旅先で色々あると思うんだが?」

「まぁ、あるけど、たいてい力でねじ伏せてきたし」

「そ、そうか……この流れ尋ねるのも失礼だが、ご両親は?」

「いるよ、元気いっぱいで」

「何か、苦労は?」

「苦労? 別に。私んち、お金持ちだし、ひもじい思いなんてしたことないし。学問で躓いたこともないし。ま、人生余裕街道」

 

 フィナは悪びれることもなく、にこりと笑い親指を立てて見せつけてくる。


「そうか……エクア、私は生まれて初めて、女性を本気でぶん殴ってやりたいと思っている。この初めて味わう如何いかんともしがたい感情に戸惑いを覚えているよ」

「お、お気持ちはわかりますが、抑えてください、ケント様」



 目の前の女は不幸の一欠けらも知らずに、他人の不幸話をネタとして楽しもうとしている。

 どうやったら、こんな人間が育つのだろうか?

 そのこんな人間は……。


「お気持ちがわかりますって、エクア~、ひど~い」

「ひどいのは君の方だ。少しは他者の気持ちに配慮する心を持て」

「持ってるよ。ケントだからこんな感じで接してるわけじゃん」

「それはどういう意味だ?」

「あんた、このくらいで本気で怒るタイプじゃないじゃん」


「そういう計算高いどころが腹立たしい。いつか君が挫折を味わうことを心から願っているよ」

「挫折か~。いいねぇ~。一度は味わってみたいのよね~」

「余裕そうだが、一度味わうとなかなか忘れられない味だぞ」

「なら、ますます味わいたい。それよりもさ、さっきの話だけど」


「さっきの? なんの話だ?」

「ほら、昔と比べて性格が変わったって話。実際のところ、政治家になっただけで変わるもんなの?」

「それは責任というものが生まれるからな。だが……」

「だが、なになに?」


「そうだな。私というものを形成するのに一番影響を与えたのは、婚約者フィアンセの存在だったかもしれない」


 そう返すと、エクアとフィナは沈黙を挟み、次に叫ぶような声を上げた。



「「フィ、フィアンセ!?」」



 二人は驚きの声を上げ言葉を閉じるとすっくと立ちあがり、フィナは無言で荷物からお菓子類を取り出し、エクアは黙々とお茶の準備を始めた。

 ――彼女たちは本気だ。


「二人とも……そんなに面白い話じゃないぞ」

「面白いか面白くないかは私たちが判断するから、話してっ」

「ケント様に不都合がなければ、詳しく知りたいですっ」


 ざっと布の敷物が敷かれ、お茶とお菓子が並ぶ。

 準備は万端。

 身の上話をお茶のお供にされることには色々と思うところがあるが、差し当って話しても問題のないもの。

 フィアンセだった相手のプライバシーを侵害しない程度に話をすることにした。



「それで、何が聞きたいんだ?」

「フィアンセが誕生した経緯が知りたいです」

「そうそう、まずそこから」

「わかった、話そう。まず、名は伏せさせていただく。相手側のプライバシーもあるからな」


 この言葉に二人はコクリと同意する。

 ここから私はゆるりと、かつて愛した女性の話を始めた。

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