第7話 生命

 ユリエはいつものように、フェドルの家の庭で儀式を始めた。


「はじまりの刻、知恵と生命、魂の息吹のありけるもの──」


 拙いヘブリュイ語で呪文を唱えながら、土と水を混ぜて、土人形を創る。


 特に水は重要だ。原初の生命は海の中で生まれた。そして人間の体の実に六十パーセントが水でできているという。生き物は、水なくして存在することは叶わない。このことから、万物の根源は水である、と説いた古代の人もいるほどだ。

 土もまた重要である。母なる大地。旧約聖書によれば、神は最初の人類を土で創ったという。また一説には、生命の根源たる成分は土の中にあったとか。土は、生命が生まれ、生命を育み、生命の還るところとなるものなのだ。


 一通り混ぜ終わってから、小さな紙切れを取り出す。そこにはヘブリュイ語で「真実」と書いてある。これがゴーレムの命の核となるものだ。

 これがある限りゴーレムは生きる。逆に、これが失われれば、ゴーレムは壊れる。

 術者がゴーレムを壊す時には、この紙の「真実」の文字から一文字を消す。魔術の遠隔操作で、泥に埋まった紙を破くのだ。後に残った文字列を読むと、「死」という意味の単語になる。


 因みに、チェスコ出身のジュード人作家カーフカは、こう述べている──「真実のない生というものはありえない。真実とは多分、生そのものであろう」。


 ユリエは泥の中に「真実」の紙を埋め込んだ。

 次いで、泥の形を整えながら、再び詠唱を始める。


「──我より出でし言の葉の真実となさん。母親の胎児に命を与うるが如くに、汝の誠の光を生み出さん。汝、ゴーレムたれ!」


 途端に、ユリエの手に、微弱な電撃のようなものが走った。初めての感覚にユリエは驚き、反射的に手を引っ込めた。

「あ……」

 また失敗したか、と思った。しかし、作り上げた泥人形はボコボコとひとりでに変形を始めた。

「……!」

 数秒後、そこには、小さなゴーレムが座っていた。

 手のひらに乗るほどの大きさ。岩のような体躯。白く光るあどけない瞳。

「で、ででで、できた!?」

 ユリエは叫んだ。

「あなた、ゴーレム?」

「ハイ」

「ふわぁ……!」

 ユリエは嬉しさのあまり舞い上がりそうになった。

「ちょ、ちょっと、立ち上がって歩いてみて?」

「ハイ」

 ゴーレムは生まれたての子鹿のように懸命に立ち上がろうとしたが、どうしても二本足で体を支えることはできなかった。

「スミマセン。御命令ヲ実行デキマセン」

「あ、いいのよ、別に……」

「デキマセン。ヨクアリマセン。デキマセン。デ、デ、デ……」

 ゴーレムは四つん這いになって、狂ったように暴れ出した。

「デキヌ、デキヌ、デキヌ、デキヌ……」

 もうもうと土埃が上がった。

「あわわ。ま、待ちなさい」

「アワワワワワワワワワワワ」

「……」

 致し方ない。少し早いが、創ったモノを責任を持って壊せるかどうかも、実験しなければならない。

「汝、土たれ」

 手をかざすと、またしても腕にビビッと電気のようなものが走った。

「ワワッ………………」

 ゴーレムは、崩れ、土くれに還った。

 ユリエはしばらく無言だったが、やがて「フフッ」と笑った。

(できた。未熟だけど……できたんだ)

 ひとしきり喜びを噛み締めてから、ユリエは立ち上がった。

 魔術を使う際のコツは掴めた。次はもっとうまくやれるだろう。


 ***


 ユリエは上機嫌で家の中に戻った。食卓ではフェドルが煙草を吹かしながら新聞を読んでいた。

 良い歳をして庭で泥遊びばかりするユリエのことをフェドルは怪訝に思っていたが、今日は珍しく明るい表情をしていたので、ひとまず安堵した。


 ユリエは台所に立って昼食の用意を始めた。

 ハルシキ(小麦とジャガイモでできたパスタ)を茹でて、羊乳のチーズと炒めたベーコンをかける。それから、作り置きのレンズ豆とソーセージのスープを温める。最後にちょっとしたご褒美として、自家製のワインを開けた。

 軽い足取りで配膳を行う。


「フェドル、ごはんができました」

「……うむ」


 食事中、二人は例の如く言葉少なであった。だが、気分が高揚しているおかげか、いつもより料理が美味しく感じられた。ハルシキの食感も丁度良いし、クセのあるチーズは濃厚で、ベーコンと非常に相性が良い。

 美味しいワインも飲んで、ユリエはすっかり満足した。

「ああ、美味しかった!」

 珍しくそんなことをユリエが言ったので、フェドルは驚いて、フォークを動かす手を止めた。


 ***


 ユリエはその日の夕暮れになっても、庭で何やらごそごそと土をいじっていた。これまでユリエの奇行を不思議がりながらも静観していたフェドルだが、さすがに不審に思って庭に出てみた。

 そして、信じ難いものを目にした。


 しゃがみ込んでいるユリエの足元を、見たことのない奇妙奇天烈な生き物が、ピョンピョコ跳ね回っていたのだ。


「ユリエ?」


 呼ぶとユリエはびくっと顔を上げた。


「あ……」

「それは何だ?」

「あの、その」

 慌てて立ち上がったユリエは、決まりが悪そうに言った。

「……ゴーレムです」

「ゴーレム」


 フェドルは自分を落ち着かせるように、ゆっくりと言った。


「実在したのか……」

「今日初めて創ったんです」

「……お前は幼い頃から、ゴーレムを創るだのと言って小難しい勉強ばかりしていたが……あれは本当だったのか」

「本当でした」

「最近はちっとも言わなくなったから、ただの夢物語だったのだと思っていた」

「夢だったんです。ゴーレムを創るのが」

 ユリエは恥ずかしそうに俯いた。

「母もゴーレム使いの魔術師でしたから」

「……何と……」

 久々にユリエの口から両親の話が出てきて、フェドルの胸が少し痛んだ。だがユリエはあまり気にしていない模様だった。


「来年から私も工場で働くから、丁度良かったです。ゴーレムには家の中の掃除なんかを手伝ってもらえる」

「そうか……」


 フェドルは困惑してゴーレムを眺めた。


「……ともかく、ずっと外にいては風邪を引く。家に戻りなさい」

「はい。……汝、土たれ」


 ぼろっ、と小型のゴーレムは崩れ去った。


「……壊れた……?」

「いくらでも作れますから」


 ユリエは土の山を丁寧にならした。


「手を洗ったら戻ります」

「……うむ」


 フェドルは頷いた。


 ***


 翌年、ユリエはフェドルの経営する縫製工場で働き始めた。


 ゴーレムは実に便利だった。小さな体で、掃除やら皿洗いやら草むしりやら、たくさんの家事をこなしてくれた。人目につかないようにと命じれば、ちゃんとその通りにした。家からは出ず、家に客人のあるときは物陰に隠れていた。

 ユリエは憂うことなく、仕事に没頭できた。


 仕事が休みで暇な時は、ユリエはゴーレムに色々と命じて遊んだり、静かに本を読んだり、ダヌベ川沿いを散歩したりして過ごしていた。


 自分の力でお金が手に入るようになったので、ユリエはこれまでより自由に本を手に入れることができた。


 といっても、正規の本屋では、検閲を通過したつまらない本しか売っていない。

 そこでユリエはいわゆる「闇」の本屋を探すことに勤しんだ。

 禁書とされている本や、地下出版で出ている雑誌などを、こっそり購入するのだ。

 特に古本屋を巡っていると、そういう店に当たる確率が高かった。そうやって見つけた違法な書物を、ユリエは色々と隠し持つようになった。


 もちろん、ユリエは現政権のことが大嫌いだ。


 両親の命を奪ったソヴェティアに服従して、厳しい独裁体制を築いている現政権のことを、深く深く恨んでいた。


 もう一度、「人間らしい社会主義」の時代が訪れて欲しい。あれは、両親が命懸けで実現しようとしたものだから。


 既にゴーレム製作という夢を叶えたユリエの興味は、緩やかに、政治の方へと移っていたのだ。

 ユリエは、暇さえあればゴーレムに家事を押し付けて、古本屋巡りをするのを、習慣とするようになった。

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