フリークス・ジャム
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フリークス・ジャム
「我々は長らく歴史とは無縁の関係であります。今この瞬間、今日という日がセイレキからして何年か、一切のズレなく答えられる人はいません。まぁ答えがありませんもの。当然といえば当然ですね」
僕は教授が半ば独り言のように語る言葉ひとつひとつをノートに書き留める。隣に座るサーティンくんは、授業が始まって五分で寝る体制に入った。それっきり動かないから、多分寝てる。
「そのクチの学会では、セイレキ二二〇〇年前後だろう、というのが現在の有力な説です。あくまで仮説ですし、私の友人なんか、二五〇〇年はとっくに越してる、なんて言います。流石にそりゃないだろうと思いますがね。まぁそれくらいハッキリしないってことです」
教授は眼鏡の位置を直した。僕もセイレキ二五〇〇年はないと思う。二二〇〇年説に賛成だ。
「そもそもなぜ我々は歴史から切り離されたのか、それは皆さんご存じでしょう?」
真面目に授業を聴いていた数人の生徒が、わかりやすく頷く。その他大多数の生徒は、隣のサーティンくんのように寝ていたり、友達同士でお喋りしたり、スマートフォンをいじったり。それでも教授は数人のリアクションさえ返ってくれば満足なようで、話を続けた。
「そう、核戦争ですね。セイレキ二〇五〇年ごろの出来事だとされています。各国が思う存分、核爆弾を打ち続けた結果、約八割の人間が死にました。二割の人間が生き残りましたが、地上は人間の住める環境ではなくなり、長い地下生活が始まります。その間にセイレキという概念は忘れられたというわけです。今思えばそんなマヌケな話があるのか、という感じですがね。そうして何十年か何百年か経って、地上に再び出てきたことで現在の我々があるんです」
確かにマヌケな話だ。何十年も地下生活を送っていたら暦を数えるのを忘れてしまったなんて。
サーティンくんが僕の肩をトントン叩いてきた。いつの間に起きていたらしい。
「なぁおい、アレってアイちゃんだよな? お前と同じ
サーティンくんの腰から伸びる腕に付いた人差し指が指すほうをチラリと見る。確かに一見すると
「
「冗談にもなってねーよ。お前は毎日鏡見ないで顔洗うのか?」
サーティンくんは足の付いた肩を大げさにすくめた。
教授は生徒の集中力が切れてきたことを察したのか、喉元に埋め込まれた拡声器を、眼鏡がずれたときに直す用のこめかみから生やした触手で軽く触れた。
教授の声がさっきよりも少し大きくなった気がする。
「そういえば、皆さんにとっては珍しくもなんともないでしょうが、身体変工──いわゆる改造ですね──はその地下生活の半ばに広まったそうですよ。その理由もまたセイレキ同様にわかっていないんですが、私の推測ではおそらく長い地下生活のストレスから……」
「顔はめっちゃ可愛いらしい」
サーティンくんは教授の解説なんてお構いなしに、妙に真剣な顔つきで語る。
「てか前、駅で見かけた。めっちゃ可愛い。しかも髪で片目隠れてるのがなんかいい、エロい。短めなボブカットのところもポイントが高い。うん、非常に高い。
もったいねぇな、と訊いてもないことを付け加えてくる。
「たとえあの人が
軽口を叩いてみたら、肩に付いた足で地団駄を踏まれた。
「相変わらず
授業終わりの学校から最寄り駅までの決まったルートを歩く。そうするといつもサーティンくんはお決まりの台詞を口にする。
「つけないってば、それも立派な改造だから」
僕の少しくぐもった返しの言葉もいつも通りだった。
「外では常にマスク着用ってほうが嫌だと俺は思うが、これも毎度毎度の押し問答か」
「うん、まぁ悪いのはRPTを付けない僕じゃなくて、こんな汚い大気にした僕らの先祖だしね」
サーティンくんは呆れたように笑うが、僕は割と本気でそう思ってる。
「人工細胞アレルギーってやつなら、無機物由来のRPTも最近はたくさんあるぞ」
「べつにできないからやらないわけじゃないよ。やりたくないんだ」
僕が少しだけ語気を強めて言うと、サーティンくんは「そうかよ」と理解できない、と地面すれすれに肘がある腕を広げて首を傾げた。
「あ、そういや、ディッセンバーちゃんの新曲聞いたか?」
誰だっけそれ、と一瞬考える。確かサーティンくんの好きなアイドルか何かだったか……。
「あー、聞いてない」
「聞けよ! 『奇形たちのお祭り』ってやつ、めっちゃイイから。MVのディッセンバーちゃんが相変わらず最高にキモい! やっぱあの丸見えの心臓だな。あの心臓、脳死した父親のらしいぜ。俺もあんな風にキモくなりてぇ」
熱っぽく語るサーティンくんに、今度はこっちが辟易させられる。自分の名前がエイプリルサーティンで、ディッセンバーという名前に勝手に親近感を抱いたことが始まりらしいが、今ではすっかりハマっているみたいだった。
「サーティンくんの改造だってすごい『キモい』よ」
「ホントか⁉ どの辺が⁉」
「腕が足で足が腕なところかなぁ」
適当におだててみたら食いついたので、そのまま適当に返した。サーティン君は腰から生え出た腕で、恥ずかしそうに鼻を掻く。
「実は最近、そこんとこ悩んでてな。俺にはまだまだキモさが足りないんじゃないかって」
「そんなことないよ」
本心だった。実際僕の知人の中で、サーティンくんほど派手な
「マジでか⁉ ならぐらぐらと俺だったらどっちがキモい?」
答えに困る問題だなぁ、と若干ウンザリしたが、ここはサーティンくんを立てておこう。幸い比較対象はこの場にいないわけだし。
「そりゃ、」
「面白そうな話をしているわね、
サーティンくんだよ、という言葉はのどまで達したところで引っ込んだ。
「おう、ぐらぐら! だよな、気になるよな」
「ええ、とても」
「や、やぁ、ぐらぐらさん。相変わらずお腹が背中で背中がお腹だね」
「そういうあなたは相も変わらず
「だよね、僕も割と気に入ってる」
ぐらぐらさんは大きなため息をついた。
「似合ってるというのは皮肉よ。それと、私のいないところで私の話をしないで、不快だわ」
「んだよ気になるんじゃないのか?」
「全くならないわ、あなたみたいにキモさにこだわりはないもの。人間大事なのは中身よ」
「つまんねぇなぁ、やっぱキモさは大事だろ? ぐらぐらだって結構キモいじゃねぇか、ちぐはぐな人形みたいで」
サーティンくんが同意を求めるように僕に目を遣った。確かにぐらぐらさんの見た目はかなり『キモい』と思う。常に後ろ向きで歩いているようなものなのに、よく転ばないなぁ、なんて感心したりもする。
「そうだとしても、それを比べあうのは可笑しな話よ。あなたにはあなたの、私には私の、人それぞれのキモさがあってもいいと思うわ。そもそも比較するものじゃない、ってこと」
「なんだか話がずいぶん広がったね……?」
サーティンくんとぐらぐらさん、どちらがより『キモい』か、っていう他愛のない話題だったはずだ。
ぐらぐらさんは肩をすくめた。その動きにあわせて肩甲骨が盛り上がって服にしわを作る。
「あら、べつに構わないでしょう。それくらい視野が広くて斬新で、それでいて自己陶酔的で不毛な議論を展開するのが大学生という生き物なんだから」
ぐらぐらさんは皮肉げに口の端を吊り上げて、それを右手で左側から覆い隠した。
すぐに手がどけられると、いつもの真顔に戻っている。
「もう行くわ」
「もう? なんだよ、またオトコか?」
相手にとっては正常位でも、私にとってはバックなのよね、とはぐらぐらさんがよく言う冗談だった。ちなみに言われたほうは反応に困るだけだ。
「いいえ、今日の相手の
「へぇ、そりゃまたお前向きなヤツだな。てか、そんなに毎日シたいなら、正人なんかどうだ?」
「いやちょ、何言って……」
唐突におかしなことを言うサーティンくんに思わず大きな声が出る。ぐらぐらさんが見つめてくるのですぐにしぼんだ。
「嫌よ」
ぐらぐらさんは短くかぶりを振る。
「それは正人が
「違うわ。言ったでしょう、中身が大事って。
ぐらぐらさんの目はひたすらにまっすぐ僕を見つめている。なぜだかその目線から逃れたくてたまらなくなった。助けを求めるようにサーティンくんを見遣ると、腰から生えた腕を組んでウンウン頷いている。
「そうかそうかなるほどなるほど、中身がダイジね。じゃあ、俺は⁉」
「論外ね。うるさいヒトはそもそも嫌いよ」
「そ、そう……、論外…………、ウルサイ……」
サーティンくんは足の付いた肩をがっくりと落とした。
「それじゃ、私はこれで」
「うん、さようなら」
「お、おい、せめてお前みたいにモテる方法を教えてくれ!」
頼む、とせがんだサーティンくんは華麗に無視されていた。
サーティンくんとは乗換駅が違う。だから学校からの帰宅時間の半分ほどは一人だ。いつもは家の最寄り駅に着くまで本を読んだりなんだりで適当に時間をつぶしている。いつものように地下鉄のホームで電車が来るのを待ちながら、大して面白くもない文庫本を広げようと手にしてから気がついた。
隣に並ぶ人、サーティンくんが言っていたアイさんじゃないか。マスクをしていないから、RPTは付けているみたいだ。さっき受けていた授業の時と全く同じ服装と、サーティンくんが推していた短めなボブカット、たぶん
サーティンくんが騒ぐから、妙に気になってしまっている。それに同じ価値観を共有できる数少ない人物かもしれない。けど声をかけるのはちょっとなぁ……、向こうは僕のこと知らないだろうし、とチラチラ横目で様子を窺っていたら、ばっちり目が合ってしまった。一瞬怪訝そうな顔をされたが、思い至るところがあったようで右目を丸くした。左目は長めの前髪が隠してしまっている。
「君、もしかして戦前史学の……、
「え、あ、はい。
僕のことを知っていたことに内心驚きつつも、なんとか返答する。
「アイです、よろしく」
意外にもフランクに差し出された手をおずおずと握り返すと、アイさんは人懐っこく笑った。
「いやぁ、初めましてだね。私たち一年生の時も何個か同じ授業とってたけど、一切喋ったことないし」
「え、そうなんだ」
そんなこと全く気が付かなかった。
「よく覚えてるね」
「そりゃね、介見君目立ってたし」
「目立ってた? なんかしたっけな……」
「ううん、なんにも。いるだけで目立つよ、君」
アイさんは僕を見てころころと笑う。
「周りが皆
「あぁ、そういう……」
なんとなく分かるようで分からない理論だった。確かに、アイさんのさらに隣に並ぶサイ頭の男が横目で僕たちを窺っている。
アイさんはその好奇の目線を知ってか知らでか、特に気にしていないようだった。
「その本、なんてやつ?」
アイさんは僕が手にしている本を指差した。
「『普通よ、さようなら』って本」
「あー、あの売れてるやつ?
「そうそう、泣けるって話題の」
「面白いの?」
「んー、どうだろ。ほとんど最後まで読んだけど、僕はあんまりだったかな。なんか、
ふーん、とアイさんは相槌を打った。あまり納得はしていないみたいだ。
「なんか難しいこと言うねぇ」
「そうかな?」
「そうだよ、独特の視点だね」
「いやいや、そんなことないって。きっとみんな思ってる」
アイさんは何が面白いのか、可笑しそうにクスクスと笑った。
「そのみんなって、
それは、そうかもしれない。いやでも……、と反論しようとしてやめてと、もにょもにょ唇を動かしていたらアイさんはさらにその笑みを深めた。
「君、面白いね。いい感じにキモい」
「
「うん。外見じゃなくて、内側の部分の話だけど。キモいって言われるのは嫌い?」
「うーん……、あんまり言われたことないけど、好きではないかなぁ」
「へぇ、なんで?」
アイさんは意外そうに小首を傾げた。左目は隠れたままだ。
「おじいちゃん家にあった本に書いてあったんだけど、戦前は、『キモい』って言葉が結構な悪口みたいだったから、その印象に引っ張られてるのかな」
「ふぅん? でも、今は戦前じゃないよ?」
「そうなんだけど……、そもそも『キモい』っていうのは外見のことを指す言葉でしょ。
「私?」
アイさんは自分の顔のあたりを指差す。
「私は……、まぁ嫌いじゃないね、キモいって言われるの。だって
「えっ、
誰が? アイさんが?
「そうだよ、実はね」
いたずらが成功した子どものように楽しそうにアイさんはニヤニヤと笑った。
「RPTを付けてるって意味?」
「違うよ、RPTは改造に入らないでしょ、あんなのはただの空気清浄機。一か所だけだけど、しっかり改造してるよ。だからまぁ、
「そうなんだ」
けれど何度見返しても、アイさんの外見に
「どこだと思う?」
アイさんは両腕を軽く広げて見せた。
「わかんない」
全然わからない。電車の到着を告げるアナウンスが流れ始めた。
「正解は、右足の親指と左足の親指がそれぞれ逆に付いてる、でした」
耳障りな音を立てながら、電車がホームへと入ってくる。
「っていうのは冗談。本当の答えはね」
電車の先頭車両が、僕ら二人の目の前を通り過ぎていく。アイさんの髪が、強い風に当てられて激しくなびいた。左目を隠し続けていた前髪も、たまらず宙に浮く。電車が停車する。風も収まった。
「……見えちゃった?」
「…………うん」
ドアが開き、たくさんの客が下車する。僕らはそれぞれドアの両脇に退いて、それをやり過ごす。そうして今度は乗車した。
「答え、言う前にネタばらししちゃった。つまんないの」
ドアが閉じて、電車がゆるやかにホームを発つ。
「すごく、きれいな目だね」
アイさんは
お昼時のカフェテリアは、いつものごとく学生たちで賑わいを見せていた。そこかしこで和気あいあいとしたお喋りが聞こえてくる。僕はそれらの中心から離れたベンチに座って、黙々と野菜ジュースを飲んでいた。
「隣に座ってもいいかしら、正人君」
僕は頷いた。
「ありがとう」
ぐらぐらさんはバックから小さなお弁当箱を取り出した。包みを丁寧に開ける。
「もうその生活には慣れたみたいね」
僕はもう一度頷く。その様子を見て、ぐらぐらさんは薄く笑みを浮かべた。
「意外だったわ。あなたがそんな決断をするとはね。いつかくじけて、RPTくらいは付けるだろう、と思ってはいたけれど」
つられて僕も笑ってしまった。抑えきれずに空気がのどから漏れて、ひゅうひゅうと音を鳴らした。
「私、あなたのことを少し誤解していたみたい」
なんのことかよくわからず、僕は首を傾げた。
「あなたは
いや、……いや、見下してきたつもりは一切なかった。否定するように手を振るが、ぐらぐらさんは構わず続けた。
「見下す、というより憐れんでいたって言ったほうが正しいかしらね。無条件の憐れみで
違う。絶対に違う。そんなこと考えたこともなかった。思いつきもしなかった。
「まぁ、それは私の思い違いだったみたいね」
ぐらぐらさんは僕の下顎があった部分を指差した。
「そんな風に思ってる人が、自分の下顎と舌を切り落としたりしないものね」
カフェテリア中に垂れ流しになっているラジオがよく聴こえる。
『んで、そいつ付き合ってると思ってたカノジョが浮気してたー、とか言って、そのコに問いただしたんですって』
『あらら、修羅場だ』
『だと思うでしょ? けどそのカノジョなんて言ったと思います? 「あれ、私たちそもそも付き合ってたっけ?」って真顔で返されたって』
『あちゃー、それは彼が勘違いしてたってことなのかな? それともその彼女が悪い?』
『勘違いでしょ、勘違い。思い込みの激しいやつなんですよねー』
『結構バッサリ切るねぇ、それでその後どうしたの? その人』
『「俺も浮気してやる」って風俗店に駆け込んでいきましたよ。馬鹿ですよね。ってかそもそも風俗が浮気になるのか問題』
『あははは! その彼、このラジオ聴いてるかもしれないから、それくらいにしといてあげて!』
『もう遅い気もしますけどねー』
『手遅れかぁ…………。まぁ、それじゃあお時間ですんで、今日はこの辺で。えー、エンディングは、今話題沸騰中のアイドル、ディッセンバーで「
フリークス・ジャム rei @sentatyo-
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