しがない前世の記憶持ち貴族令嬢と訳あり国王陛下〜前世助けた王子様がヤンデレになっていた件〜

遥月

第1話

「————断れ」


 シン、と静まり返った一室にて。

 設られた執務机に向かうように、椅子に腰掛ける短く刈り揃えられた赤髪の男、クロードはにべもなく、言葉を吐き捨てていた。

 しかし、即座に返事がやって来ない事に不信感でも抱いたのか、


「聞こえなかったか? 俺は、断れと言ったぞ」

「……ですが、陛下」

「くどい。これまでも幾度となく言ってきた筈だ。俺に、伴侶は要らん」


 繰り返すように告げられ、今回もまた駄目であったかと、従者らしき風貌の男、ヨシュアは瞑目し、小さく溜息を吐いた。

 ここまで情け容赦なく拒絶をされては、光明を見出せるわけもなく、今年で早、二十五歳。

 そろそろ後継者の事も考えて、良き伴侶を見つけて欲しいのですが……。


 という内心を必死に胸中までに押し留めながら、ヨシュアは「承知いたしました」と返事をした。


 ただ、鼓膜を揺らした返事に含まれた不満げな色を感じ取ってか。

 陛下と呼ばれた男、クロードは念を押すように口を開いていた。


「金糸のような髪を、長く伸ばした女性だったな」


 それは、ヨシュアがクロードの前で口にしていた縁談。その当事者であった女性の、事前に伝えられていた外見であった。


「……はい? それが、何か」

「言っておくが、アンナ、、、とどれだけ似た容姿の人間を連れてこようと俺は絶対に頷く事はないぞ」

「…………」


 クロードの言葉が図星だったのだろう。

 あからさまにヨシュアは表情を歪めて口籠る。


 アンナとは、かつてクロードが慕っていた魔法使いの名であった。

 まだ、クロードが幼かった頃、血で血を洗うような魔窟と宮中が化していた頃に宮仕えをしていた魔法使いの名であった。


 ただ、彼女はもう何処にもいない。

 それは他でもない、クロードが一番よく分かっている事実であった。


「俺のせいでアンナは死んだ。それだけが事実だ。分かったら、アンナを冒涜する事だけはやめろ」


 まるで、俺がアンナの容姿だけを好いていたような。そんな扱いをするのはやめろと底冷えした瞳に苛立ちの感情を乗せながら、クロードはヨシュアに向かって言い放った。


「それにそもそも、俺は仕方がなくこの地位にいるだけだ。世継ぎがいようがいまいが関係あるまい」


 国の行く末を憂いたからこそ、国王という地位にいるのではなく、血で血を洗う政争にて、勝手に兄弟が自滅し、死んでしまったが為に、随分と前に追放されたクロードが呼び戻された。

 それが事実であった。


 だからこそ、クロードからすれば縁戚の人間を据えればいいと思っている上、王位を継いだ十年前こそ、赤子同然であったものの、勝手に自滅した兄の子供を後継にすれば良いだけの話だろう。

 と、クロードは割り切っていた。


「故、王宮で催す明日のパーティーに、俺は参加するつもりは毛頭ない。政務で疲れているとでも連中には伝えておけ」


 ちょうど明日。

 ヨシュアのようにクロードに伴侶がいない事を憂いたある貴族諸侯の意向もあり、王宮内でパーティーを開催する事になっていた。

 一応、表向きは交流を深めるため。


 と言ったものになってはいるが、その実、クロードの伴侶をどうにかして見つけようと目論んだ貴族達による顔見せパーティーのようなものであった。


「……陛下。少しの間も、難しいでしょうか」

「悪い冗談はよせ、ヨシュア」


 静かな、本当に静かな呟きのような声音。

 けれど、そこに含められた怒りの感情を感じ取れないほどヨシュアは鈍くも、そしてクロードとの付き合いが浅いわけでもなかった。


「俺の境遇を知らんお前ではないだろう?」

「それ、は……」


 クロードの境遇。

 それ即ち、邪魔者であるからと真っ先に国を追われた存在であるということ。

 そして、念には念をと追っ手を差し向けられ、殺されかけた回数は数十にも上る。


 そんなクロードを、助けようとしたのはたった一人の魔法使いだった。

 他の貴族は軒並みその排除に加担するか、静観するかのどちらか。


 ただ、クロードもその気持ちは分かっていた。

 当時は、クロードの兄弟達が最有力とされ、多くの貴族を味方につけては血で血を洗う争いを行っていたと知っているから。


 しかしだ。


「この俺が、アレを経験した俺が、今更、静観か俺を殺すために動いていた連中の意見をなぜ聞かねばならない? なぜ、そんなクソどもの血を入れなければならない? 助けの手を一切差し伸べようとしなかった奴等の今更な好意なぞ、ありがた迷惑どころか、はらわたが煮えくり返るだけだ」


 粛清でも望んでいるのか?

 だったら、その行為は正しかったと言ってやろう。今すぐにでも大半の貴族共を粛清してしまいたい気分になったからな。


 クロードが捲し立てるようにそう告げる。

 その様子からして、これ以上、下手に言葉を紡げば本当にやりかねないと懸念し、ヨシュアは流石に口を真一文字に引き結んだ。


 ……ただ、最後に、


「……ですが、陛下にも心を許せる相手というものが必要でしょう。いつか、それではいつか、陛下が壊れてしまいます」

「成る程。お前まで関わっていた理由はそれか」


 ヨシュアがクロードの側仕えを出来ている理由はただただ単純なもので、己の追放及び、宮廷魔法師アンナ・クロイツの殺害に関与していない者と言える人間だからであった。


 そんな彼が、クロードの貴族諸侯に対する恨みを知らない筈はなくて。

 しかし、まるで伴侶を作ることを勧めようとしていた理由はそれかとクロード自身も漸く合点がいっていた。


「だが、余計なお世話だ」

「しかし、」

「俺の心の安寧というものになってくれる人間はいた。いたが、もういない、、、。それが全てだ」

「……しかし、アンナ様は陛下が苦しむ事は望んでおられなかった事でしょう」

「そうだろうな。あいつは、底抜けに優しいやつだったから、きっとそうだろうよ」


 アンナの話題を口にする時だけ、クロードの表情は穏やかになる。

 それは、クロードの側に仕える人間達にとって周知の事実であった。


 事実、アンナの名前を口にした途端、顔に浮かんでいた険が緩んでいる。


 ただ、それはつまり、それほど彼にとってアンナの存在が大きかったのだ。そして、そのアンナを殺したのが、国の貴族である。


 当時は、それが仕方がないとも言える情勢であったとはいえ、よくもまあ刺客を放ったであろう貴族、その全てを粛清せず、王位についていられるものだとヨシュアは何度思った事か。


 それ程に、クロードと貴族諸侯の折り合いは悪いの一言に尽きる。

 だからこそ、今回の縁談も、パーティーも、全てが駄目もとであった。

 そして案の定、駄目であった————と。


「だが、これはあいつが望んでいる、望んでいないの問題じゃない。それに、これは俺の罪だ。断じて苦しくなどない。何より、死者を想ったまま朽ちてゆく事の何が悪い? あいつは俺の全てだった。俺の世界そのものだった」


 ————あいつさえ居てくれたなら。


 たとえ命を狙われていようと、苦しい思いを幾度となく味わう事になろうと、俺は幸せだった。


 そんな俺の心の安寧、だ?


「……ここまで言えば分かるだろう。あいつの代わりは、何処にもいない。故、いらん気を回す暇があるなら政務でもこなせ。そんな気遣いは、俺には不要だ」


 クロード・アルセラートは、もう手の施しようがない程に歪み切っていた。

 そして、そう歪めたのは他でもないこの国の貴族である。それも、一人や二人でなく、大勢の貴族諸侯だ。それこそ、粛清されても仕方がないと言える人間はごまんといる。


 だが、何が理由なのか。


 クロードは粛清を全くと言っていいほど行おうとはしなかった。

 きっと、それはアンナ・クロイツによる何かが理由なのだろう。


 そうは思えど、誰も藪蛇を突きたくはない。

 故、理由は本人のみぞ知る。


「……失礼いたします」


 やがて、何を口にしようと言葉は届かないと悟ってか。沈痛な面持ちのまま、ヨシュアは執務室を後にする。


 残された部屋にひとり、ぽつんと残された形となったクロードは、小さな溜息を漏らした。

 そんな彼の視線の先には、護身用の剣が映り込んでいた。


「……何の躊躇いもなく死ぬ事が出来たなら、良かったのにな」


 クロード自身、自殺を試みた事は何度もある。

 それこそ、思った回数を律儀に数えるなら幾万と。


 しかし、それだけは出来なかった。

 怖いとか、そういった感情によるものではなく、ただ単純に、命懸けで救われた命を、己が寂しいからと、それだけを理由に衝動的に断ち切る事は真に正しいのか。

 それは、アンナに対する冒涜ではないのか。


 そう思うたび、踏ん切りがつかなかっただけであった。それ程までに、焦がれていた。

 クロード・アルセラートを現世に留めている理由というものは、その申し訳なさだけだ。


 それが無くなった瞬間、間違いなくクロードは生を手放すだろう。

 半句ほどの文句すら口にする事なく、笑って逝くだろう。死んだ先で、アンナに会える可能性が1%でもあるのなら、それは間違いなく。



 やがて、ヨシュアとの会話と並行して行っていた政務に一区切りがつくや否や、クロードは椅子から立ち上がり、すぐ側に設られた窓越しの景色を眺める事にしていた。


 広がる景色は、赤に染まる花々が咲き誇る庭園。


 アンナ・クロイツは、花が好きな人だった。

 それも、赤色の花を好んでいたとクロードに向かってよく話していた。

 ちょうど、クロードの髪の色のような花が好きなのだと。


「…………ん?」


 基本的に、庭園に人はあまり立ち入らない。

 わざわざ窓から庭園が見える位置にクロードが執務室を移動させた事は周知の事実であるし、溝が深い分、下手に怒りを買う事もないと彼に負い目がある貴族ほど、全く立ち入らない場所である。


 そんな場所に、一人の少女がいた。

 クロードにとって、見慣れない少女だった。


 花に誘われて来たのだろう。

 しゃがみ込み、花をじとーっと観察する様からそう予想をつける。


 別に庭園へ足を踏み入れる事にこれといった規制はなく、だからこそ、クロードは少女の存在を放っておこうと思った。

 ……思った、のだが、己の考えとは裏腹に、何故か彼女の姿を自然と目が追っていた。


「……金色の長髪に、魔法杖か」


 花を観察している少女の特徴を挙げる。

 それは、まるっきりアンナが好んでいた身格好そのものであったが為に、クロードは無意識のうちに口にしてしまっていた。


 そして、少女を窓越しに観察する事数分。

 やがてクロードの視線に気付いてか。

 二階に位置する執務室。

 その窓越しに映るクロードの姿を前に、少女は少しだけ不思議そうな顔を浮かべた後、小さく、口を動かした。


 それは偶然だったのかもしれない。

 ただの見間違いだったのかもしれない。

 けれど、クロードからすれば、そんなもので収められる衝撃ではなかった。



 ————クロ?



 声は勿論、聞こえていなかった。

 けれど、唇を読んだ限り、間違いなく彼の目の前の少女はクロ。と、そう言っていた。



『クロードじゃ、名前でバレちゃうし、何より名前が長い! だから、今から私は君の事は〝クロ〟って呼ぶ。長いと色々と不便だからさ、不敬だとは思うけど、今は許して欲しいな』



 それは、アンナ・クロイツがかつて、クロードに向かって言っていた愛称の名であった。




 姉と両親に無理矢理に王宮にまで連れてこられた挙句、強制的に婚約者を探すパーティー的なものに参加させられる事になった。


 それが私、アンナ・フェデリカの今置かれている状況であった。


「……そもそも、貴族との婚約とか嫌なんだよなあ。陰湿な奴多いし。前世、、では結婚から逃れる為に宮仕えの魔法使いになったっていうのに、今度は地盤を固める前に強制的に、ってわけですか」


 逃れられる術は……どうにかしてパーティーをすっぽかすくらいなものではなかろうか。


 そんな事を考えていた私は、王宮へと共にやって来ていた家族の目を掻い潜り、庭園へと訪れていた。



 私には、前世の記憶があった。

 それも、幼い頃からずっと。


 アンナ・クロイツとして生きた記憶が鮮明に私の中に存在していた。


「特に、私やクロに散々嫌がらせして来たヤツらと縁を結ぶとか割と本気で反吐が出そう」


 幸い、私を前世の記憶を持ったまま転生でもさせた神様は優しい人であったのか。

 フェデリカの家は、私が関わった政争において我関せずと静観を貫いていた貴族のうちの一つであった。


 だからか、余計に刺客とか放ってくれやがったお家の連中を見ると反射的に睨むか、全く目が笑ってない愛想笑いをするくらいには敵愾心がメラメラと燃えちゃっていた。

 転生してから早、十五年。

 十五年経っても消えないのだから、多分もう一生消える事はないんだろうなって諦めの境地である。


「……にしても、どうして私もついて来ちゃったかなあ」


 王宮に向かう事自体、もうそれは物凄いくらい駄々をこねればなんとかなりそうな感じはあった。

 でも、私はあえて、一回だけですからねと言って元々半強制的だったとはいえ、真面目について来てしまった。


 貴族の顔なんて叶うならば見たくもない。などと、心の底から思っている私らしくもない。


 そう思ったのも刹那。


 赤色に染まった花が咲き誇る庭園を前に、不意に胸にすとんと落ちる。


 赤色の花が赤髪を連想させ、そして、


「……クロの顔を、見たくなったのかなあ」


 口にしてしまうと、それが正しかったのだと言うように、無性に納得が出来てしまった。


「とは言っても、クロだって私の事なんてわかる筈もないのに」


 転生である。

 私が逆の立場だったら、百パーセント信じない。


 だから、会うなんて事は論外で。


 ……だけど、それでも、私は本当に少しの間だけだったけど、世話を焼いた弟分のような存在の顔を見たかったのだろう。

 元気にしてるのか、知りたかったのだと思う。


 きっとだから、姉や両親の誘いにこうして乗ったのだろうし。


「寂しがり屋だったけど、元気してるといいな。まぁ、本当に国王陛下になっちゃってる事はびっくりなんだけれど」


 クロを追い出した連中が、全員揃いも揃って自滅したのだと知った時は呆れて言葉も出なかった。

 そして、厄介払いにと早々に追い出したクロを迎えざるを得なくなった、というのが現状だ。


 笑い話にしても笑えない。


「赤色の花、か」


 花は好きだった。

 なんとなく、心が癒されるような気がして、好きだった。


「クロの髪の色だね」


 元々、クロード・アルセラートという人間は、生きる理由を持ってない少年だった。

 厄介払いに、殺される事を許容し、だったらさっさと楽になりたい。


 そんな考えを抱いていたクロを、どうにか説得しながら私ががむしゃらに助けた人だった。


 名前はクロなのに、髪色は赤色。

 おっかしいねって笑ったんだったっけ。


 などと昔のことを懐かしみながら、私は花の側でしゃがみ込む。


「パーティーには参加したくない。でも、クロの顔はちょっとくらいは見ておきたい。……うぅん。どうしたものやら」


 曰く、パーティーにさえ参加すればクロには会えると姉と両親は言っていた。

 なにせ、パーティーの主賓である。

 それが当然だ。


 しかしながら、一部の貴族諸侯を目にすると反吐が出てしまいそうになる宿痾を背負って生きる私にとってパーティーの参加は至難のわざ。

 何より、一度参加してしまえば途中で抜ける事は多分出来ないだろうし、立ち入ったが最後、私にとっては長い長い地獄の1日が始まりを告げる。とてもじゃないが耐えられる気がしなかった。


「ちょうどばったり、散歩中のクロと出会う事があればいいんだけど……そんな偶然はないよねえ」


 今の状態の私がクロにしてやれる事は何にもないとは思うけど、世話を焼いた名残りなのか。

 はたまた、助けるだけ助けておいて、一人先に逝って残してしまった事に対する負い目か。


 ……自分でもよく分からないけど、遠くからでも良いから一目、見ておきたかった。


 やがて、花をじとーっと眺める事数分。


 宮仕えであった前世の知識を活かし、王宮の執務室があった場所の付近にいこう。

 そうすれば、偶然を装ってクロに会えるかもしれない。


 そう思って立ち上がり、姉や両親の存在に自分が気付かれていないかと周囲を見渡した————その時だった。



「————クロ?」



 口をつくように、反射的に声が出た。


 随分と成長してはいたけれど、窓越しに此方を眺めていた赤髪の青年に、私は覚えがあった。

 厳密には、その姿にクロの面影を感じた、が正解であるんだけれども。


 そして私の見間違いか。

 クロらしき人物も、何故か私を見て驚いているようであった。



 ……まさか、私の知らない間に庭園が立ち入り禁止になっていたとか……?

 そういえば、全く人いないし……可能性あるぞこれ。


 などと、パニックを起こし、どうしようどうしよう、謝った方が良いのかな、これ。


 右往左往する私をよそに、いつの間にか窓越しに映っていたクロらしき人はいなくなっていて。



「————名前は」


 いつの間にか庭園へと向かって来ていたクロらしき青年が、私に向かって不意にそう問い掛けてくる。


 ぜぇ、ぜぇ、と小さく息を切らしていた。

 きっと、慌てて降りて来たのであろう。


 ……処罰をする為に名前を聞き出すつもりなのだろうか。なら、ここはその場逃れに偽名を……。


 などと本気で思っていた私であったけれど。


「あんた、クロって言っただろう。俺の顔を見て、クロって言っただろ」


 続けられたその言葉のお陰もあって、なんとなく、違うような気がした。


 ただ、近くで見ると余計に思う。

 きっと、クロが成長したら、こんな感じになってたんだろうなって。


 でも、あの部屋は私の記憶が確かなら王族の人が使う執務室ではない。ならば、目の前の人はクロではない誰かの可能性が高かった。


「あぁ、えっと、その……」


 ここで馬鹿正直に、私の知るクロの面影がある人だったから反射的にクロって言っちゃいました。と、言うわけにもいかなくて。


 真剣な眼差しで此方を見つめて来るクロらしき青年は、しどろもどろになる私の姿を前にした事でようやく我に返ってくれたのか。「……ぁ、いや、すまない。取り乱していた」と、謝罪をされた。


 その尋常でない様子から、わざわざ下にまで降りて来た理由が私を咎める為ではなく、私が反射的に口にしてしまった「クロ」という言葉を読んでしまったからなのだと理解する。


「……いえ。私は全然構わないんですけども」

「そう言ってくれると、助かる。ちょうど、〝あいつ〟の話をしていた直後に〝クロ〟と呼ばれたものだから、つい、我を失ってしまった」


 ————あいつはもう、何処にもいない筈なのに。


 普段から、鈍いとか姉や両親から散々言われる私でも分かる、悲しげな表情であった。


 きっと、私が何気なく口にしてしまった言葉のせいで、彼の中にあるトリガーを引いてしまったのだろう。

 そう思うと、クロの面影がある容姿も相まってか、放ってはおけなくなってしまって。


「……悩みでしたら、お聞きしましょうか? 人に話すと、気が晴れるかもしれませんし」


 別に急ぎの用事があるわけでなし。

 だったらと、そう提案してみると、彼は若干、驚いた表情を浮かべはしたけれど、やや悩んだ後、私のその申し出に頷いていた。


「あ、そういえば、名前を名乗るのを忘れていましたね」


 初めに聞かれていたのに、言葉を捲し立てられていた事もあって名乗り忘れていた。

 だから、折角だしと思いつつ、


「アンナっていいます。アンナ・フェデリカです」


 若干、何故か私がアンナと名乗った際に目を見開いていたけれど、何か思うところでもあったのだろうか。

 ただ、フェデリカと言うとその驚愕の色もすぐになりを潜めてはいたが。


「知っているとは思うが、一応、俺も名乗らせて貰う。だが、かしこまる必要はない」


 かしこまる必要はない。

 そう前置きをするほど偉い人なのかなと思ったのも刹那。


「俺はクロードだ。クロード・アルセラート」


 …………。


 …………んん?


 私の気のせいだとは思うけど、めちゃくちゃ覚えのある名前が出てきた。


「一応、国王ではあるが、ただの代役のような国王だ。かしこまる必要などない」


 私がクロード・アルセラートの名を聞き、身体を硬直させた事を見てか、再度言葉を繰り返す彼であったが、悲しきかな、彼の言葉は私の耳に全く届いていなかった。


 確かに。

 確かに、クロっぽいなあとは思ってたけど、本人とは考えもしていなかった……!!

 というか、あそこ執務室じゃないでしょう……!


 しかし、混乱に混乱を重ねる私をよそに、悩みを聞くと言ってしまった手前、悩みを聞かざるを得ない状況であって。

 さらに、その言葉に甘えると言わんばかりにクロの悩みがぽつぽつと語られる事になった。






「—————」


 なんというか、申し訳なさで胸がいっぱいになった。


 最後に、初対面である筈なのに、不思議とお前には言ってしまいたくなった。

 どうしてだろうか、お前の雰囲気が〝あいつ〟に似てるからなのかもしれないな。


 などと自嘲気味に付け足されたあたり、本当に私以外に悩みを打ち明けた事はないのだろう。


 ただ、語られた悩みは、一部一部がぼかされていたけれど、アンナ・クロイツとして生きた前世の記憶を持つ私だからこそ、そのぼかしは全く意味を成していなかった。


 語られた悩みは、本当に簡潔なものだった。

 ただ、解決は不可能と断じる事のできる悩みだった。



 俺は、一人の女性に助けられた。

 優しいやつだった。

 俺の憧れだった。

 俺の唯一の味方だった。


 でも、そいつは俺のせいで死んでしまった。

 あいつのことだ。

 俺には自由に生きろとか、己の死なんか気にすんなとかきっと思ってるんだと思う。


 でも、俺はそれが出来なかった。

 十五年経ってもまだ、あいつの事を忘れられない。毎日、思い出して、後悔してる。


 どうしてあの時————一緒に死んでしまわなかったんだろうかって。

 あいつがいない世界で生きていたって、何も楽しくないのに。



「…………」


 ここまで、思い詰めてるとは思わなかった。

 全く気にしない事が無理である事は何となく分かってた。でも、きっとクロなら乗り越えてくれるだろうし、昔からずっと苦しんでた分、自由に残りの人生を楽しんでほしいと私は切に願ってた。

 そうする事が最善であると、私は信じて疑っていなかった。


「俺は……俺は、どうすれば良いんだろうな」


 ————命懸けで救われた人間にもかかわらず、寂しさのあまりその命を投げ捨ててしまいたいと何度も考えてしまうようなロクでなしだ。


 そう続けられたものだから、反射的に「違う」と叫んでやりたかった。

 ロクでなしなんかじゃないって、言いたかった。


「どうすれば、俺はあいつに報いる事が出来るだろうか?」


 こればかりは、アンナ・クロイツの口から答えてやらない限り、解決は不可能だろう。

 何より、私は、、、報いるだとか、報いられていないだとか、そんな事は微塵も考えた事はない。


 好きに、自由に、楽しく生きてくれ。


 本当に、ただそれだけだったから。



 そんな事を考える私に向けられるクロの視線。

 それは、縋るような瞳だった。

 答えをくれと、切に願っているとよく分かる瞳であった。


 だから私は、私らしく答える事にした。

 今の私はアンナ・クロイツではないけれど、それでも、


「好きに、自由に、楽しく、後悔なく生きてくれれば私はそれで良いと思いますよ。たとえ、クロ、、がどんな選択を掴み取ったとしても、そこに後悔がないのなら、それで良いと思います」

「…………。本当に、あんたはあいつに似てるな。雰囲気もそうだが、口調も、言葉もあいつそっくりだ」


 だって、あいつは私ですから。


 と、言うわけにもいかないので、それとなく笑って誤魔化しておく事にする。


「それにしても、クロードさんはその方が本当にお好きなんですね」


 そこが本当に意外だった。

 命の恩人的立場にあたるし、それなりに懐かれているとは思っていた。

 だけど、共に過ごした期間なんてたかが知れてる。日数にして三十日あるかないか程度だったというのに。


「ああ、そうだな。あいつがいない世界に、価値はないと思えるくらいには好きだった」


 ————めちゃくちゃ重いよ、クロ。


 一切の躊躇いすらなく言い切ってしまうものだから、恥ずかしさを通り越して呆れてしまう。


「だから多分、もう一度あいつに俺が会えたなら」

「会えたなら?」


 どこか含蓄のある意味深な笑みを浮かべながら、クロは殊更に言葉を区切り。

 ややあった後。



「きっと俺は、どんな事をしてでも側に置くんだろうな。それで、もう二度と離さないと思う」


 ————そのくらい、大切だから。


 そう言葉が締めくくられたお陰か、私は引き攣った笑みを浮かべずにはいられなかった。


 ただの冗談だとは思うけれど、本気だったら全く笑えないからね。



 そんな事を思いながら、クロに一目会っておきたいという目的も果たせた上、国王陛下を一人でこんな場所に拘束するのもよろしくないだろう。


 そう思い、適当に理由をつけてその場を後にする事にした。

 去り際、クロが私に見せてくれた笑みというものは、憑き物が落ちたような、そんな屈託のないものであって。


 もうアンナ・クロイツではないけれど、クロの役に立てたなら良かった。

 と満足感に浸る私の耳に、クロの呟きは一切届くはずもなかった。



 ————困った時に髪を弄る癖、世話焼きな性格、花好きで、俺を見た第一声が「クロ」。極め付けに名前がアンナと来た。口調といい、その魔法杖といい、他人の空似と言い張るには、無理が過ぎるだろ、なぁ————アンナさん、、



 その翌日。

 目的を果たした私に、最早パーティーなどという催しに参加する理由もなく、それとなくすっぽかし、そして全てが終わり、領地に帰ろうかといったところで何故かストップがかかった。


 しかも、聞けば私だけが王宮に残れという通達を両親はされたのだとか。

 それも、国王陛下直々の命であったのだとか。



 ……いや、待って。

 全く理解出来ない。

 意味が分からないから。



 そんな私の感情の整理がつくようにとゆっくり待ってくれる気は無いのか。

 全く、王宮に私だけを残して帰る事に躊躇のない薄情な両親の側、領地に帰るつもり満々だった私を何故か迎えに来てくれたクロは、それはもう最高に良い笑顔を浮かべていた。


 まるで、長年探し求めていた何かを見つけたかのような。

 目はきらっきらに光り輝いていて。


「今日からお前には、俺の側仕えをして貰う」


 まだ状況をうまく理解出来ていない私に向かって、クロは楽しそうにそう告げてきた。

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