第15話 最後の叫びを聞いた者は
映画館に着いた俺たちが休息コーナーのソファーに腰を据えると、待ち構えていたように希の携帯が鳴った。
「……えっ、映画を?」
画面に目を落としていた希が突然、目を丸くして声を上げた。
「どうかしましたか?」
「せっかくだから映画を見て、その後出口で会いましょうっていう内容です。どういうつもりなんでしょう」
「わかりませんね。とりあえずチケット買って、言われたとおりにしてみましょう。……なんていう作品です?」
「ええと『ブレス・オブ・ユー』っていう恋愛映画です」
俺は上映中の作品を表示しているパネルに目をやった。すでに入場は始まっているようだ。俺と希はチケットを入手すると売店で手早く飲み物を購入し、作品が上映されているシアターに足を踏みいれた。
映画が始まって間もなく、俺はある種の既視感にとらわれた。
――この作品は以前、観た覚えがあるな。
そう思いながら飲み物を口に運びかけた瞬間、シートが大きく左右に揺れた。
なんだ?戸惑いながら画面に目を遣ると、ちょうどヒロインが交通事故に遭う場面が見えた。
「……参ったな、劇場にこんな仕掛けがあるとは」
俺がぼやくと、隣で希がくすくす笑う声が聞こえた。
「最近、この劇場で導入した機能らしいですよ。ほかにも匂いがするとか煙が出るとか、色々あるみたいです」
まるでお化け屋敷だな、そう思いながら映画を見続けているうち、俺はやはりこの映画は見たことがある恋愛サスペンスだと確信していた。どうやら再編集をほどこしたリニューアル・ヴァージョンらしい。
「俺はこの作品を見たことがある。こうしていると、なんだか過去の記憶をなぞっているみたいだ」
「あら、偶然ですね。実は私も二度目なんです」
「……でも、結構忘れてるみたいなんで、それなりに楽しめます」
「うふふ、寝ないでくださいね」
俺が異変に気づいたのは映画の中盤、ヒロインが恋人を疑い始めるあたりのことだった。
なんだか集中できないな、と思っているうちに瞼が重くなり、頭がぐらつき出したのだ。
――おかしいな、それほど退屈な場面でもないのに。
そう思っているうちに意識が闇に引きずり込まれ、再び目を開けた時には、映画はエンディングにさしかかっていた。
しまった、ラストシーンを見逃した。そう思いつつ隣を見た俺は、シートが荷物ごと空になっているのに気づき絶句した。
――どうしたんだ?トイレか?
俺は席を立つとシアターの外に出た。ロビーの中をあちこち見回していると突然、俺の携帯が鳴り始めた。画面を見ると、驚いたことに送信者は希だった。
『すみません、急に『コーディネーター』から待ち合わせ場所の変更を告げられてしまいました。新しい待ち合わせ場所はX町七丁目のスイートローズっていうホテルです。先に行っているので映画が終わったら来て下さい』
メールを読み終え、俺は唸った。なぜおれが眠っている間に一人で外に出たのだろう。
罠の匂いがしなくもなかったが、だからと言っていかないという選択肢は俺にはない。
なにより『コーディネイター』の指定した待ち合わせ場所が、希の印象とはまるで異なる異様な場所であることが気になった。
メールにあった『スイートローズ』というのは歓楽街の奥にある、老舗のラブホテルなのだ。
※
『スイートローズ』の受付で俺は希の特徴を告げ、教えられた二階の部屋へと向かった。
ドアを開けた俺の前に立っていたのは、心なしか青ざめた顔の希だった。
「『コーディネイター』は?」
俺が尋ねると、希は抑揚のない声で「もう来てるわ」と言った。
「もう来てる?……どこに?」
「ここに」
「……ここに?」
希は不可解な笑みを浮かべると、両手で顔を覆った。次の瞬間、薄い皮膜のような物が剥がれる音が響き、『希』だった顔の下から見知らぬ男性――いや、男性とも女性ともつかない人物の顔が出現した。
「だれだ、君は?」
「あなたが探していた『コーディネイター』」
「希はどうした」
「ちゃんといますよ」
『コーディネイター』はそう言うとバスルームのドアを開けはなった。近寄ってみると、バスタブの中にタオルを巻きつけただけの希がぐったりと横たわっていた。
「いったい何をしたんだ」
「何も。……不吉な眺めだというなら、ベッドまで運びましょう」
『コーディネイター』は希の身体をバスタブから運び出すと、ベッドの上に横たえた。
「これは何なんだ。何かの罠か?」
「そうですね、罠と言えば罠かもしれません。これから私は、もともと予定されていた契約を履行するのです」
「契約だと?……しかし希の話では、あんたとの契約は破棄したいとのことだったはずだ」
「それをあなたに打ち明けたのは、『本物の希さん』でしたか?」
俺ははっとした。「まさか、待ち合わせの場所にいたのは……」
「私です。……お蔭で映画も楽しむことができました」
「なんのつもりで希に化けた?」
「契約を実行に移す際のオプションとして、希望の人物を立会人として用意すると約束したのです。彼女が希望したのが、あなたでした」
「立会人?」
「はい。自分の最後の瞬間を見届ける人物、と言う意味です」
「なんだって?」
俺が『コーディネイター』を睨みつけたその直後だった。首筋にちくりと針で刺したような痛みが走った。
「――お前は!」
振り返った俺の背後に立っていたのは『顔なし女』だった。……くそっ、三人目の奴は『コーディネイター』と二人一組で動いていたのか……
何かの薬物を注入されたのか、俺は床に手足をついたまま動くことができなくなった。
「後の『仕事』は彼女に任せることにして、私はこれで退散させてもらいます」
『コーディネイター』が俺たちを残してホテルの部屋から立ち去ると、『顔なし女』はゆっくりと希が横たわっているベッドの方に近づいていった。
「こんな状態で契約が成立するわけないだろう。やめろ」
『顔なし女』は俺の制止に耳を貸すことなく希の傍らに立つと、こちらを振り返って手にしたナイフの刃を見せた。
「馬鹿なことをするんじゃない」
俺は絶望的な思いで叫んだ。『顔なし女』はナイフを持った手を振り上げると、ためらうことなく希の白い胸に突き立てた。
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