第6話 標的は単独行動を好む
「今日は大漁よ、木羽先生」
変身を終えたばかりの俺に、ほのかは満面の笑みで言った。今日の打ち合わせはほのかが指定した甘味処だ。
「『コーディネイター』の噂と『標的』の噂、どっちから聞きたい?」
「どっちでも構わないよ。とにかく俺の知らない話を聞かせてくれ」
俺がせがむとほのかは頷き、冷たい緑茶で口を湿した。
「まず標的についてなんだけど、一時期、死にたいっていう書きこみで噂になった人の中に、結婚したての元教師っていう女性が二人いたの」
ほのかはそういうと、プリントアウトした情報を俺に寄越した。一人は二十六歳の元国語教師、もう一人は三十一歳の美術教師だった。
「どう?先生の見立ては。なんなら『刑事』の直感を使ってくれて構わないわ」
助手と言うより上司のような口調で、ほのかは俺に見立てをしろと迫った。
「そうだな。……俺ならこっちを先に調べるな」
俺が指さしたのは、三十一歳の元美術教師だった。
「何か根拠がおあり?それともただの勘?」
「ただの勘さ。駄目かい」
俺が凄んでみせると、ほのかは「いいわ、その人から調べましょう」と返した。
「じゃあ次の話題、『コーディネイター』らしき人物と知り合いだったっていう人がいたの。その人の書き込みによると、『コーディネイター』は若い男性で、その頃は病院に勤務していたらしいわ。一年以上前の話だっていうから、捜査に役立つかどうかはわからないけど」
「病院か。……ほかにその人物に関するエピソードはないのか?」
「あるといえばあるわ。当時、ネット上で死を賛美するような書き込みをしていたことがばれて、ひどく落ち込んでいた時期があったようなの。でもその時も『コーディネイター』は健康な人を憎むかのような呟きをやめることはなかった」
「なるほど、そういう人物だったらまた名前を変えて同種の書き込みをしている可能性はあるな」
「そう思って、最近の情報を集めているところよ」
「よし、じゃあとりあえず俺たちは標的候補の主婦を当たってみるとするか」
「探偵の本領発揮ってわけね」
ほのかがからかうような口調で俺を鼓舞した。たしかに多くの主婦は、探偵と聞くと身に覚えがなくても興味くらいは示すものだ。俺は普段は食べない蜜豆を頬張ると、あらためてほのかが示した資料に目を落とした。
※
「出てきたわ、先生」
助手席から身を乗り出そうとするほのかを、俺は「わかってる」と宥めた。
マンションのエントランスから出てきた人影は、白いワンピースを着た細身の女性だった。
「青柳逸美、三十一歳。半年前まで市内の中学校で美術教師を勤めていた。夫はコンピューター技師。……合ってるか?」
俺はほのかから提供された情報をそらんじてみせた。
「合ってるわ。あと、この間の資料に付け加えさせてもらうと、新任の頃、うつ病を患って一週間ほど休んでるわ」
「なるほど、そのあたりにさかのぼれば『コーディネイター』とのつながりもみえるかもしれないな」
俺たちは逸美の歩調に会わせて軽自動車をそろそろと出した。近所に買い物に行く服装ではない。が、人と会うとも限らない。無駄足の覚悟が必要だった。
「……バス待ちの列に並びそうね。私が行くわ」
「頼む。降りたら教えてくれ」
俺が路肩に車を寄せると。ほのかは鳥が飛びたつように助手席から飛びだしていった。
バスの路線に沿ってゆっくりと車を流していると、やがて携帯からほのかの声が飛びだした。
「降りたわ。一見、何もないところだからびっくりしちゃった」
いくぶん慌て気味の声に、気づかれたか?と一抹の不安を覚えつつ、俺は「わかった。次の動きがわかったら報告してくれ」と答えた。
ほのかの声が再び聞こえ始めたのは、それから十分後のことだった。「来てくれる?」という言葉に続いて彼女が読み上げた番地に着くと、廃屋のような古びた建物の前で携帯と向き合っている姿が目に留まった。
「彼女はこの近くにいるのか?」
車を目立たぬように停めた俺が声をかけると、ほのかがはっとしたように顔を上げた。
「あそこのアパートに入っていったの。見た感じ、お店なのか個人の部屋なのかわからないけど、チャイムも鳴らさずにドアを開けたってことはお店の可能性が高いと思うわ」
俺はほのかが目で示した建物を見た。半世紀は経ていそうな共同住宅は一階部分にスナックなど店舗の看板が並んでおり、青柳逸美はそのうちの一軒に入っていったらしい。
「よし、俺はここでここで出てくるのを待つ。君は中の様子を探ってきてくれ」
俺はほのかにそう言い置くと、車の中に戻った。店の外に変化が現れたのは、それからに十分ほど経った時だった。逸美が一人で外に姿を現したのだ。
「おい、ターゲットが出て来たぞ。……追うか?」
俺の呼びかけにほのかが応じる気配はなく、俺は一瞬、逡巡した後、名状しがたい直感に囚われた。
――不自然だ。……まさかあいつに何か?
俺は車を飛びだすと、表札も看板もないさびれたドアの向こうに飛びこんでいった。
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