Vの緋劇~眠れぬ鬼のために

五速 梁

第1話 白昼の脱獄


「四十二歳大学助教授、女子大生に言い寄った挙句、殺害未遂……か。馬鹿な奴だ。おおかた勘違いの挙句の愚行だろうが、いっときの迷いで人生を棒に振るとは」


 俺はいつものトピック漁りに興じつつ、揶揄めいた呟きを漏らした。


「ハイ・ジャック。ご機嫌いかが?」


 ぺらぺらのドアを開けて俺の城に踏みこんできたのは、お目付け役の玲だった。


「その挨拶はどうかな。ここが旅客機だったら大パニック間違いなしだ」


 ネットサーフィンに興じていた後ろめたさもあって、俺は玲のふざけた挨拶に軽口で応じた。ジャックというのは俺の名字が霧崎だからだ。現役刑事を連続殺人鬼の名で呼ぶこと自体、先輩を軽んじている何よりの証拠だ。


「それで?お仕事ははかどってる?」


「見ての通りさ。こちとら労役のない囚人だ。監獄の中でできることといったら他人の不幸を覗き見ることだけだ。お蔭で日増しに人相が悪くなって来やがる」


「そっか。じゃあ「いつも通り」って報告すればいいわね。もうすぐお昼よ、ジャック」


「やっと仮釈放タイムか。それじゃ一つ、娑婆の空気を味わってくるとするか」


                ※


 俺の名前は霧崎律男。比丘東署殺人課の刑事だ。


 現在は捜査本部のある部屋を離れ、一時的に『情報収集室』という俺一人の部署に詰めている。スタンドプレーがばれて当分の間、閑職に追いやられるという「懲役刑」を喰らったのだ。


 俺は署を出ると、徒歩で十分程度の場所にある雑居ビルに入った。地下にある『フルムーン』という喫茶店が俺の行きつけの店だった。


 俺がナポリタンを食べ終え、苦いコーヒーを飲んでいるとテーブルの上の携帯が着信音を発した。


「俺だ」


「俺か。着いたぜ。十分前には戻れる」


「悪いな、頼む」


 俺は電話の相手である『俺』に短い礼を述べ、通話を終えた。『俺』とは俺にそっくりの人物で、報酬と引き換えに半日の間、俺の代わりに勤務してくれる『替え玉』だった。


 俺は別人となって脱獄を果たすため、偶然手に入れた『替え玉』に俺の癖を叩きこんだのだった。自由になった俺が何をするかというと、パチンコや競馬と言った娯楽ではない。


 これから半日、俺は偽刑事や架空の私立探偵となって殺人事件の単独捜査を行うのだ。


 俺は『フルムーン』を出ると、隣町にある理髪店に足を運んだ。馴染みの店主に来意を告げると、奥にあるメーキャップ室に通された。ここで俺は顔を変え、『別人』になるのだ。


 二時間後、俺は午前中の強面から、切れ者探偵風の顔立ちへと変貌を遂げていた。理髪店を出た俺は、その足で繁華街の雀荘へと移動した。


                   ※


「やあ、木羽ちゃん」


 雀荘のドアをくぐると、顔見知りの老人が目を細めて挨拶を寄越した。


 俺が片手を上げて挨拶を返した直後、奥の卓で歓声が上がった。顔を向けると若い女性がガッツポーズを取り、対戦相手のいかつい男たちが歯ぎしりしている様子が見えた。


「容赦ないな、お嬢さん」


 俺が声をかけると、女性は長い髪を払いながら俺の方を向いた。


「あら、仕事のお誘い?……ちょうどよかったわ。今、一区切りついたとこよ」


 女性はそう言うと、大きな瞳を悪戯っぽく動かした。この女は佐久間ほのかと言って、とある事件の捜査中に知り合った女子大生だ。IQ140の才媛で昼間は一流大学の模範学生、夜はクラブで歌姫として男たちを魅了する生活を送っている。


 彼女は俺が半日だけ営業する偽の探偵社の、極めて優秀な『助手』なのだった。


「じゃあ、早速打ち合わせだ。『肉食汁』に行こう」


 俺が行きつけのもつ鍋屋の名を口にすると、ほのかは「ちょうどよかったわ。頭を使いすぎて、お腹が減ったとこだったの」と返した。


「頭だけじゃなく、運もだろう。大四喜なんか出しやがって」


 俺は浮き浮きと身支度を整えるほのかを尻目に、出口へと向かった。


             ※


「これでしょ?あなたが追ってるのは」


 湯気で人相が煙る狭い店内で、ほのかが俺に見せたのはタブレットの画面だった。


「正しくは『追えなかった』だ」


 俺は馥郁たる味噌の香りに陶酔しつつ、わざと渋面をこしらえて言った。事実、タブレットに表示されているトピックには『OL、無念の死』と俺の気持ちを代弁するような見出しが躍っていた。


「最初の事件を未然に防いじゃったら、真犯人との対決がなくなっちゃうじゃない。ここからよ、面白くなるのは」


「そいつはどうかな。俺がかかわる事件は大抵、胸糞が悪くなるようなシーンで終わる。この事件だってどっちに転ぶかわかったもんじゃない」


「どっちだっていいわ。報酬さえはずんでくれるなら。……で、最初の聞きこみ先はどこ?」


 激辛の鍋をぺろりと平らげたほのかは、油で照り輝く唇で俺に尋ねた。


「死んだ女の職場だ。……もっとも昼間の本職じゃなく夜のアルバイトの方だがな」


 俺が被害者のアルバイト先を口にすると、ほのかは目を見開いて「そのお店なら、知ってるよ。女の子の質が高いんだよね」と俺のお株を奪うような言葉を口にした。


「優秀なアシスタントで鼻が高いぜ」


 俺はレジの前で負け惜しみを口にすると、財布からくしゃくしゃの札を引っ張りだした。


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