せめて勇ましく努めて

 足がすくんだ事は、言うまでもないことだった。当然状況は最悪だ。急いで倒れている勇者の元へ駆け寄る。幸い息は続いていた。呼びかけは……する暇もないようだ。堂々と立つ赤き竜はぎろりと俺を睨み付ける。その体に幾つの傷を彼は負わせる事が出来たのか。……善戦であったことを願う。


 竜が地を揺らすほどの鳴き声をあげ、口からその体によくにた赤熱を吐く。その一瞬前に俺は勇者を担ぎ、近くの岩影に隠れていた。今の行動を見たところ、竜は炎を吐く前首を上に仰け反らし、戻すと同時に首を左右に振り、広範囲の炎を吐き出している。なので竜が炎を吐き出す事は容易く予想できる。そしてこれはあくまで予想でしかないが、炎を吐き出している途中は大きく体を動かす事は出来なさそうだ。――まったく。あの時にこれ程の洞察力があったら……。とにかく、一人であれば確かに辛い勝負だろう。


「……何で、いるんだよ」

勇者はいつの間にか目を覚ましており、俺に口答え出来る程の意識は取り戻して来たようだった。

「まあ、信用していないわけではないが、ちょっと心配になってしまっただけだ」

俺は勇者を担いだままだという事に気付き、ゆっくりと勇者を降ろした。

「……余計なことしやがる。お前が敵う敵じゃない。来ようたって無駄だ」

竜は雄叫びをあげ辺りを見渡している。

「そんな事はない。何か弱点があるはずだ」

「それを見つける為にお前がいるってのか?すぐに黒焦げにされるぞ」

女神の加護ありきの強さだと言う事は本人がよく分かっている物だろう。竜は俺たちの居場所が分かったようで、着実に距離を縮めて来ている。空気に緊張感が増してきた。

「……それは分からない。俺は、今更この戦いに戻る意味が出来てしまったんだ。望みが出来た。未来が出来ようとしている。じゃあ、せめて勇ましくあるべきだ」

「全く意味分かんねえ……」

竜は片足を引き、尻尾を巻いた。この岩に打ち付け、壊そうとしているようだ。

「おい!早く下がれ!」

一足先に勇者は尻尾の届かない安全圏まで行っていた。俺はしゃがみ、体の真横に剣を突き刺した。――もし、この世に本当に女神様が居るのであれば、もう一度。なんなら今日だけで良い。


 俺を勇者にしてくれ。


 ――長い尻尾が岩を打ち砕き、とてつもない轟音と煙が巻き起きた。そして尻尾は勢いに任せそのまま剣ごと俺を吹っ飛ばし……。


 とはならなかったようだ。だが、確かに尻尾は俺の剣に当たっていた。衝撃が手にじわりと伝わって来ている。俺は、この攻撃を耐えられたと言う事だ。手のひらをもう一度眺めてみる。――間違いない。


「今日だけ……。今日だけ俺は、だ」


俺は剣を構え、その赤い体に矛先を向けた。


 


 

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