第五話 天使殺し

第5話 天使殺し その一



 門のなかは龍郎の見覚えのある風景だった。浜辺だ。海をはさんで入江が見える。


(あの場所だ! ミカエルとアスモデウスが逢引きに使っていた入江)


 なんという深い愛情だろうか。秘密で会っていたその場所を遠く望むだけで、これほどの愛しさがこみあげてくる。今そこに、とうの恋人はいないのに。幸福な思い出がそれほど強く、その場所に刻まれているのだ。


 門はすでに見えなかった。

 かわりに見えるのは神殿だ。龍郎が立っている側の大地には、見渡すかぎり神殿。近くにその中庭がある。かつて、そこで戦勝の宴がひらかれた……。


 つまり、ミカエルが殺された現場ということだ。


(そうだ。この砂地。なだらかな潮騒。ここで以前のおれは信頼している者から殺された)


 いったい、これはどういう趣向だろうか?

 なぜか、この場所にミカエルの親しかった天使が集合している。


 さっき、突風で龍郎を地獄へ堕とそうとしたラファエル。それを責めるようすのガブリエル。それに、当然、マルコシアスはその場にいるし、エアーベールもタルタロスから追いかけてきた。


 空からは弓矢を持ったウリエルが飛んでくる。副官のシャムシエルをひきつれていた。


 この天使たちの顔ぶれを見て、龍郎は物悲しくなった。親しい友ばかりのはずなのに、このなかに、前世のミカエルを殺した者がいる。


「なんと懐かしいことだな。四大天使が一同に会するとは」と、芝居の口上めいて、ウリエルが言えば、ラファエルは皮肉にうそぶく。


「おれはまだ認めてないぞ。そいつがミカエルだとは」


 やはり、彼からは龍郎を嫌う意思がひしひしと感じられる。


「よさないか。ラファエル。彼は天界の門を超えた。門番が彼を認めたんだ。それに君はまず、ミカエルにさきほどの非礼をわびるべきではないか?」


 そう言って、ガブリエルがたしなめると、ラファエルの表情はますます歪んだ。悲しげですらある。


「でも、ガブリエル。おれがタルタロスへつきおとしたおかげで、こいつは前世の記憶をとりもどしたんだろう? むしろ感謝されてもいいはずだ」

「そんなことしなくても、龍郎はミカエルの魂の持ちぬしだ。私にはひとめでわかった」

「…………」


 ガブリエルはほんとにラファエルの気持ちに気づいていないのだろうか?

 誰が見ても、ラファエルは妬いているのだと明白なのだが。それとも天使というのは恋愛に関しては、人間よりかなりニブイのだろうか?

 案外、気づいていて、気づかないふりをしているのかもしれない。応える気がなければ、断るか、無視するしか方法はないだろう。


「それにしても、龍郎。早くゆりかごへ行かなければ」と、マルコシアスが主張する。それは、もっともな意見だ。


「おれが大天使ミカエルの生まれ変わりだということは証明された。天界に害意があるわけじゃないんだ。今すぐ、アスモデウスのところへ行かせてくれ」


 すると、ウリエルが口をひらく。

「そのためには神のお許しが必要だ。そうでなければ、ゆりかごへ入ることはできない」


 赤ん坊を養育する大切な場所だから、当然と言えば当然だ。それにしても、これ以上、時間を食うのはとりかえしのつかないことになりそうで焦燥感がつのる。


「……わかった。それなら、今すぐ神のみもとへつれていってくれ」


 龍郎は周囲を天使にかこまれて、ぞろぞろと歩いていく。

 ガブリエルはほんとは行ってほしくなさそうな目で龍郎を見あげる。


「私も行ってよいだろうか?」


 わざわざ尋ねるのは、神の住む楽園へ行けるのは、上位三位の天使のみだからだ。今のガブリエルの位階は大天使にすぎない。しかし、それを言えば、ウリエルもラファエルも大天使なのだが。


 すると、向こう岸から天使が海面をすべるようにやってきた。たいていの天使は金髪や銀髪だが、その天使はミルク色をベースに毛先や翼のさきに濃いピンクから紫のグラデーションがかかっている。爪や唇の色は青い。とても優美で女性的な天使だ。瞳は片方が水色。片方が淡いレモンイエローだ。みるみるうちに近づき、声を放った…その瞬間に唇から花がこぼれる。


「皆々でいらっしゃい。神がお待ちです」


 ラドゥエリエルだ、とマルコシアスが耳打ちした。

「神への賛美を唱えるだけで天使を生むことができる特異な力を持つ。ゆえに、すべての天使の長をつとめている」


 ラドゥエリエルのあとについていく。水面に恐る恐る足をつけても沈まなかった。

 島への道のりはそれほどはない。せいぜい一キロかそこらだ。天使は歩幅も大きいので、五分もあれば歩いていける。道中、龍郎は気になっていることを聞いてみた。ミカエルの末期の映像は見たが、まだすべてを思いだしたわけじゃない。


「ミカエルはルシフェルと双子だった。堕天したルシフェルは、おれとの戦いに負けて捕らえられたはずだが、そのあと、どうなった?」


 答えたのは、またマルコシアスだ。


「ルシフェルは汚染が激しかったので、心臓だけとりだされ、新たな天使に転生した」

「その天使の名前は?」

「さあ。私はそこまでは知らない」


 龍郎は周囲を見まわした。それぞれの反応を観察するものの、思うところがあるようなそぶりをしているのは、ラファエルだけだ。しかし、ラファエルは例のごとく龍郎を嫌っているので、何も言わない。


 そのうち、海を渡りきった。

 透きとおるように白い砂浜にたどりつく。

 ここが楽園。

 神の住処だ。

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